インターネット・ゲーム(Defender)から学んだ
サタンの影響力に打ち勝つための方法論I
有泉芳彦
2007年8月10日(改定)
はじめに
「小さな、簡単なことによって大いなることが成し遂げられる」(アルマ書37:6)とあるが、単純なゲームでさえも、研究と頻繁な祈りと真剣な取り組みを通して霊の目が開眼される経験になることがわかって驚いた。ブリガム・ヤング大学での博士課程で研究したテーマに沿ってさまざまな実践をしてきたが、今回は半ば遊び心で始めた活動が次第に発展して霊的な事柄にまでその影響力が出始めていることを感じ、まだ、きわめて荒削りな中間報告であるとは自覚しながら、このような初期の段階から、日本の兄弟姉妹の中で、興味のあるかたがたと意見交換をすることを目的に、このような不完全な報告を発表することにした。この方法論Iと後日発表したいと考えている方法論IIの両方を通じて願っているのは、このような研究をすること自体をわたしの回復された福音に対する証として、兄弟姉妹と関心をもつ人々に伝えたることである。
この方法論Iでは、ゲームについての経験の分析が主で、最後の数ページのみが直接霊的なことにかかわっていることをお許しいただきたい。霊的な面への本格的な応用については、現在このことを南フィラデルフィアの支部長会の一員として支部長さんの全面的な協力を得て試しているので、これから1年の間に方法論IIとして報告書を作成するつもりで、それにより、より具体的な教会の発展のための応用の仕方について論じていきたいと思う。
以下の4つの図がインターネットを通じてみる際には正しく見られない方もあるかもしれないので、この報告書の最後にある注2のわたしの連絡先に問い合わせていただければ、Microsoft Wordで作成した原文をお送りすることができる。
さて、今年の1月くらいだったと思うが、家内がわたしの頭脳の老化防止に、無料のコンピュータ・ゲーム1で遊ぶように、“Flood It”というゲームのSiteを教えてくれた。それ以来、食後の休憩にかなり規則的にそのゲームをするのが習慣になった。やがて、勝率も上がり、90%を越えるようになったころ、それが限界だろうということで、やや興味が薄れていった折、同じSiteにあるDefenderという別のゲームに目が留まった。見るからに子供の遊びというか、戦争ごっこ的な、単純なゲームであった。知的な遊びというよりは、条件反射の速さを競うものであることは明白であった。というわけで、このゲームとの出会いはやや冷ややかなものであったが、それが2ヶ月以上の間深くはまり込み、世界のあちこちにいる挑戦者に混じって競い合い、ついには7月20日にTopの座を占めるとこまで発展する情熱になった。しかし、思いはそこにとどまることなく、ここで得た経験と技術を日常的な活動や霊的な領域にまで応用することができるであろうという望みへと次第に広がっていったのである。
最初にぼんやりと目指したもの
1−2度試してみて、これは何か有意義な結果が得られるかもしれないと思った。自分の夫としての、また、父親としての過去を振り返ったときに、不器用な自分がゆっくりとしか物事を進められないために、何度となく手際のいい妻と、その訓練を受けた子供たちの足手まといになり、怒りと不調和を生み出してきたことを少しでも改善できないかと思ったのである。きわめて適性のない人間が、高得点を目指して努力することを通して、より早い反応や的確な判断などを訓練し、その経験を基にほかの活動にまでその成果を取り入れていかれないかと思ったのである。まあ、そういうのは半ば口実であったのかもしれないが、素直に楽しんでやっていたことも事実である。このような集中した試み(百数十時間をも費やすことになった)を誰にでも薦めることはできないが、研究の対象と考えたわたしにとっては、単純なゲームであるがゆえに、数多くの試行を通して、進歩のパターンを分析するためのまたとないチャンスであると考えることができた。
不器用な人間を内部から改造していくという願いのほかに、もし、これが成功するならば、知源育2を使って、スポーツ選手など、競技に勝つための技術を日々練磨している人々や、あらゆる芸能の演技を高めようと日夜精進している人々のためにも、その他技術者などがそのスキルに磨きをかけようとするためにも、この研究の成果が役立つだろうと予想されたのである。だから、このゲームと四つになって真剣勝負で取り組むことになった。
わたしの適性
家族にわたしの短所について尋ねるならば、「行動が遅く」また「不器用」なことに異口同音に触れることだろうと思う。20歳直前の運転免許を取るために自動車教習所に通い始めた初日だったことを思い出す。ゲーム機のようなものを使って、障害物を避けるハンドル捌きをテストされた。それを操った頼りない経験を思い出すことができる。結果は、散々たるもので、5段階評価の最低であった。それ以来、気持ちの面では「手際よく速やかに」と心に念じて物事を進めようとは努力しているとはいえ、生活の大部分の面では、遅さと不器用さに大きな変化は起こらなかった。例外といえば、予備校の講師をしていたときに、黒板に書くスピードと話すスピードが増したことくらいであろうか。それには、大きなプレッシャーがかかっていたことや、また、訓練する機会にも恵まれていたことも貢献していた。
研究の方法
知源育2の原則によって、サイクルを作り、記録をしながら頻繁に振り返る機会を作った。具体的には、すべての試行の得点を記録し、それを分析しながら、思いつきや感じたことなどを記録してそれを何度も振り返ることにした。主な活動は、5月9日に始まり、7月の31日で一段落した。最初の数日は、数字の記載が主で、考察についての記述は少ない。やがて、記述には、効果的なStrategyなどについての細かい記述が入ってくるようになり、さらに、実際にゲームでやっていることはすぐ忘れてしまう傾向にあるので、1つの試行毎に状況や感想などを録音してみたが、とりわけコメントすることのない試行も多く、また、録音のことをうっかり忘れてしまうこともあり、一貫しては行われなかった。数量的な分析の仕方に関しては、一連の試行の平均値は最初から出していたが、後半になって、高得点の出現頻度などを週ごとに集計3したり、全得点を折れ線グラフ4にしてその推移を見たり、20回の試行を1つのセットにし、その平均値を取って、その推移を折れ線グラフ5で表したりした。これらの数量化は、自分のパフォーマンスをより客観的に捉え、向上への糸口を見出すための助けになった。
もう1つの方法は、それぞれの段階の始まりに、進歩の予想をし、それを記述した。とりわけ最初のは当てずっぽうというしかない程度のものであったが、自分の適性に鑑み、控えめな予想を試みた。それぞれの段階が進んでいくうちに、当初の予想を上回る結果が出て行ったために、思いのほかそれが強い動機付けになった。また、予想を立てること自体がはっきりとした目的意識とチャレンジ精神を生むことになっていったと思う。
結果
次のグラフを見ていただきたい。このように数量化・視覚化をすることで隠れている事実に目を開かれることがわかった。いくつかの気付きをグラフの下にまとめてみる。
トップ20への道のり
5月9日に始めてより約7週間後である6月26日に、通算684回目の試行で、予期しない早さで3231ポイントを上げ、11番にランキングされることになった。下のグラフはその全試行を網羅している。


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5月9日
図1
1.まず全体像を見てみよう。毎回の試行の変動は激しいものであり、徐々に平均値は上がってはいくものの、時折極めて低い値になることもある。また、逆に、思わぬ時期に思わぬ高得点が現れることもある。
2.青い線は、平均値の推移を予想したものであるが、勾配は次第に小さくなり頭打ちの状況がまもなくやってくるだろうと予想された。
3.黄色い矢印を見ていただきたい。このグラフには、3つの躍進的なスコアーが出ているが、その直前に後退とも思われるような苦戦する時期があることである。その時期には悩み、そのスランプから何とか逃れようといっそうの努力をしていたのであるが、それが実を結ぶのか、驚くべき躍進が訪れるのである。これは面白いパターンだと思った。
4.次に、赤の直線である。これは、このようなグラフにして初めてこのような傾向に気づいたのであるが。つまり、時折訪れる記録更新の高得点は、ほとんど1次関数(右上がりの直線)の上に連なり、一貫した上り勾配で起こることに気付き、その事実は、わたしに、このゲームを始めた当初にのろまな自分が到達するとは夢にも思わなかったような高得点が近い将来にも得られるかもしれないという望みを与えたことである。実際、後になって分かるのであるが、トップになった5000点を超える得点が、グラフに入れてみるとほとんどこの直線の延長上のようなところに位置づけられ、このような傾向が確かであることを証明することになるが、このグラフを作成した時点では、このような気づきがわたしが一層の努力をすることへの励みと確かな根拠を与えてくれた。
ところで、時折訪れる高得点というのは、半ば偶然の賜物である。ラッキーな状況がこれでもか、これでもかというように続いてくれるのである。それでも、ひどいへまをすれば途中でストップしてしまうことは当然であるが、基本的なテクニックを身に着け、しかも注意深く行えば、一定の確率でこのような高得点が訪れることが分かる。
そこで、自分の本当の実力はどうなっているのかをもっと正確に知る必要があると思った。6月26日のランキング入りの時点では、青色の線が示しているように平均値は頭打ちになるように思われ、しかもかなり低い値でストップするように思われた。上の図では、1500ポイントに届くか届かないくらいの値である。この点をさらに明らかにするために、1つ1つの試行ではなく、20回分を1つのセットとして、その平均値の推移を見てみることにした。次のページのグラフがそれであるが、これはランキング入りの後の2−3日分のデータまで含んでいる。
平均値(20回分)の推移
ランキング11が起こる
2500を初めて超える 2000を初めて超える
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図2
このようなグラフ化によって気づいたことをあげてみると、
1.図1でははっきり見ることのできない、実力のより現実に近い変化を見ることができる。確かに、1次的な後退はあちこちに見られはすれ、全体としては、力が確かについていっていることが分かる。そして、明らかに後半になるにつれ、上昇傾向は鈍り、足踏み状態が長く続いているのも常識的に考えてもうなずける。
2.黄色の矢印で示した時期は大きなスランプの時期で、これはなおも続いていく。心理的には、失望とフラストレーションが続き、継続していく元気が揺らぐ時期でもあった。もうこれ以上は上がらないのではないかという、悲観的な考えが何度も頭をよぎった。つまり、時々訪れるラッキーな高得点はあれ、真の実力というのはなかなか育っていかなくて、痺れを切らしてしまい見通しがつかず迷っているという現象である。
その後の平均値の推移
(トップの得点にいたるまでの)


図3
全体として上昇傾向は次第にスピードダウンしていく。知源育を用いたとしても、この成長がいつしか頭打ちになるという傾向は阻止することができない。たとえば、100メートル走を例にとって見よう。過去1世紀の間に何度も世界記録を塗り替えてきたとはいえ、5秒で走る人が出てこようとは到底考えられない。しかし、知源育の役割は、進歩が通常そこでストップしてしまいそうな状況で、何度もそれを打ち破る突破口を開けてくれることである。
緑の矢印で示したスランプはおよそ300回に及ぶ試行の間続いた。それは長いもので、もう実力はこれ以上伸びないのではないかと感じ始めていたし、また、高得点の伸びも止まっていた。そんなときが確かに試しの時で、記録することもまた記録を振り返り、分析することもより丁寧に進められた。やがて、より高いレベルでの総合的なStrategyがゆっくりと育っていく。そして、それと前後してランキング7位の成績がおき、それからまもなく、トップの座にいきなり躍進することになるのである。何か壁のようなものにぶち当たり、そのことでより細かな考察の振り返りを行うように動機付けされること――そのあたりに成長の鍵が潜んでいるように思われた。知源育のモードで実践することは、スランプから躍進までのプロセスを加速するのだろうと思われる。
では、今度はトップにいたる1025回の試行を全部グラフにしたものを観察してみよう。
トップまでの足跡
(7月20日の夕方、FNNのニュースをインターネットで映し出し、音だけを聞きながら、ゲームを行ったときに突然トップへの道が開けた。それまでの最高点がその前日に出した3582点であるから、それからでも、1500点近い上昇であり、ランキング11に達したときから3週間半の足踏みをして、それから一挙にこの2日間に1800点もの躍進を果たしたことは驚きであった。このゲームに初めて出会ってから、2ヶ月と11日目の出来事である。わたしにとっては、きわめて意外な結末である。当初予想していたのは、6ヵ月後までに2000に達するのがやっとで、わたしのようなのろまはトップ20の近くにさえも到達しないだろうと思い込んでいたからである。)

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図4
興味深いことは、赤線の示しているように、時折予期せぬ形で訪れる好運な局面では、実力をはるかに超えて高得点を生み出すから、このような試行をさらに6−7週間も続けていけば、6000−7000点に到達することも可能なのかもしれないと考えられる。わたしにとってはこのプロジェクトに関しては時間切れであると感じているので、今までのように密度の高い試みはここで終了しようと考えているので、関心と余裕のある方に挑戦していただきたい。
さらに面白いことは、このグラフを眺めているうちに、著しい躍進はある周期を持って起こっているように思われたことである。グラフ中の青色の矢印が示している飛躍の試行は、それぞれ、319番目に2000点に達し、それから365番目の試行で3231点に到達してランキング入りし、それから341番目の試行でトップに躍り出ることになる。そう考えると、1年(365日)の日数に近い試行回数の後に何か画期的な結果が出るというような傾向があるのではないかなどと推測した。あまりにデータが少ないのでこの点を確証する材料に欠けるが、毎日一回ずつ何かの練習に打ち込み、それを1年継続する頃に何か大きな成長を経験するというようなことは何かありそうな気がする。この辺の数の不思議を追究してみたい。
今年の3月初旬に始めたピアノの練習が、これもやや緩やかながら知源育のモードで進めているので、来年の春には、練習回数がこの数に近づいてくるので、その時期に何か著しい飛躍が起こってくるかどうか見るのが楽しみである。
他の分野への転移の可能性とその方法論
このプロジェクトの思わぬ成功から学んだことをほかの分野に応用するにはどうしたらいいのだろうか?1つの分野でスキルが発達したからといって、それがひとりでに他の分野のパフォーマンスを向上させていくことはないのは、これまでの数々の経験を振り返ってみると明白である。1000回を越える試行によって徐々にスキルが上達していったのである。だから、別の分野に応用するときには、その分野におけるスキルもある程度ドリルのような形で訓練する必要があるだろう。
ここで学んだいくつかの基本的な原則や、体で覚えたことはそれを普遍的なものとして、そのままか、やや修正した形で他の分野に応用することができよう。
1.
体の部分が訓練され、力がついてくること
条件反射がどのように起こってくるのかそのメカニズムはよく分からない。もちろん、生理学的な常識については少しは学んだことがあるが、そういうことではなく、分からないのは実際に自分の体と頭の中で起こっているこの現象をどのようにコントロールしていくかという具体的なプロセスについてである。それが解明されるということは、実際に反射スピードが改善されるという事実と平行して起こっていくはずで、そこに知源育の本領を発揮させる契機がある。しかし、この点に関しては、体こそほとんど無意識のうちに力をつけていったのであって、そのプロセスをわたしの頭脳が具体的に把握しているわけではない。今後の課題としては、この点を実験や各種の測定などをしながら解明していくことである。
ところで、このゲームで学んだ集中力や注意力は徐々にほかの活動に影響していると感ずる。たとえば、研究のために多くの記録を行うが、正確には測定していないが、限られた時間の範囲で多くの情報を記録するという頭の働きが、このゲームをする中で多くの爆撃を受けている危機的状況で、激しくそれに応酬する経験から学んだ頭や体の使い方を参考にして、より速くより的確なものになっているように思う。料理や食器洗いというような日常的な活動に確かに応用されている。ゲームでは、多数の対象の動きを同時にモニターしなければならないが、料理をしながら、流しでの水洗い、まな板での切る作業と、ガスレンジで揚げ物をしているという作業が同時進行している中で、それらをモニターしながら適切なころあいを見計らって意識と動作を1つのポイントから別のポイントへと移していくところに、ゲームとの共通点があって、そういう連動的な意識と体の反応というのが少しずつ転移していっているように思う。明らかに、これらの活動におけるわたしの行動は機敏になっている。
意識をあちこちに向けて、短い時間の中でそれをやり遂げるということである。次の状況はゲームでトップの成績を達成した夕方のことである。教会の支部長さんからの要請で、若い女性の活動のために教会の建物の鍵を開けて欲しいという依頼が夕食の準備中に来た。確か作っていたのはてんぷらだったと思うからやや手が込んだもので片付けも手間取るはずであった。ところが大急ぎで食事の準備を済ませ、教会に直行するとまだ誰も来ていなかった。普段なら、その辺でぶらぶらするところを、車からレジ袋と使い捨てのビニール手袋を手早く取り出すと、いつも汚れている南フィラデルフィアにある教会の前のごみを3つの袋にいっぱいになるほどに片付け、しかも同じ建物の中にある日焼けサロンの従業員が出てきて感謝したことがきっかけになって、教会に誘うなどという会話までがほんの3−4分ほどの間に起こったことである。この密度の高い時間の使い方、意識があちこちにくまなく向いていくという頭の働きは、ゲームの中で鍛えられ、それがその他の活動にもゆっくり浸透しているように思う。確かに、今までの自分以上の力とスピードが伴っているように思うのである。
次に指の動きについてである。1000点を越えるあたりから、かなり速い指の動きが要求され、ほとんど連続打ちを何分も続けなければならないから、指自体が強くならなければならない。幸い少し前に始めたピアノの練習のために、特に小指と薬指という日ごろあまり使わない指を鍛えることが始まっていて、成果も少しずつ出ていたことは、ゲームの技術向上にはプラスに働いていた。それと同時に、今度は、ゲームで指を使うことによってウォーミングアップした後にピアノの指の練習曲をやるとスピードの出方がいいということである。しかし、この2つの活動の間の関係はそれほど単純ではなく、逆に疲れからか、ゲームをやってからはピアノでの指の耐久力がなくて、目標の練習を完了できないというようなことも起こってくる。だから多数の因子がそれぞれの活動を左右しているので、単純には技術の転移が起こってこないことに注意しなければならない。
2.
状況にあわせてきめ細かくギアを変えながら対処すること
実力がある程度高まっていった段階で、徐々に気づいていったことは、1つの戦略だけでいろいろな状況に対応することは効率の悪いことで、状況に応じて効率のよい対処の方法をそのつど変えていくことの必要性である。1回ごとのゲームの試行にも、ほぼ決まったパターンに従って戦略を変えていくことが効果的である。たとえば、1から200ポイントくらいまでは、たいていヘリコプターの出入りの頻度が比較的ゆったりとしていて、余裕を持って対処できるから、通常は一発ずつ弾を打っていく。ところが、それから500ポイントくらいまでの間に、やや危機的な状況が1−2度訪れるのが普通である。左と右の両方向からほとんど同時に複数のヘリコプターが表れ、爆弾とパラシュートを多数落としていくのである。そんな状況では、一挙に指の動きを何倍も速くして、タンクを左端から右端まで目覚しいスピードで移動させていかなければならない。そんな、危機的な状況をやり過ごすと、やや、落ち着いた状況が続く。だから、そこで、疲れすぎないように、スピードのギアーを落とすことになる。わたしが後になって開発したテクニックは、そこで、指の交換をして、後のもっと激しい戦いのために力を貯めておくという戦略である。そのほかの具体的な戦略としては、700ポイントあたりからわたしがSwingと呼んでいるテクニックを使う。タンクをブランコを進めるように、左右(前後でないが)に揺らしてヘリコプターが出てくる前に予防線を張っていくというもの、それから、1000ポイント以上では、Sweepと呼んでいる方法を頻繁に使う。これは、それぞれの端に向かっていくときに高速の継続撃ちをすることでそのコーナーにあるものを一掃する方法である。
物事を進めているときに、どんな状況のことでも、一辺倒な同じやり方で片をつけようとしていないだろうか?このプロジェクトでの経験から、状況に応じて細かく多数の戦略を使い分けていくことによってより効率を上げていくことを学んだ。そのようなテクニックはどんな活動にも使えるはずである。たとえば、1日に行うことの順序などを決めるときに、朝まだウォーミングアップができてないときにやるべき活動、調子が乗ってきた時に集中してやるべき活動、午後に適した活動、やや疲れているときでも気晴らしをかねてできる活動などと、活動の種類と、また、それらを行う活動のモードを適切に使い分けていくことで、1日の活動はもっと生産性の高いものとなろう。
3.
進歩のパターンを自覚して努力を継続すること
経験のある人は、スムーズに一貫して進歩が起こるなどということはほとんどありえないことを承知していると思う。必ず山あり谷ありである。しかし、研究の視点を持って経験をもう少し詳しく見つめるといろいろな改善点が見えてくる。たとえば成果を数量化したり、グラフのような形で表現してみることによって、キャジュアルな観察からは見出すことのできない隠れたパターンが明らかになり、それに基づいてアプローチを見直すときに思わぬ改善ができる。このプロジェクトの結果が、おそらくほかの多くの場合にも当てはまるだろうと思うのは次の点である。まず、スランプが何回となく起こってくる。それは、実力がついているはずだという思いとは裏腹に、結果が停滞ないしはむしろ後退していると感ずるという形でである。これには、やはり忍耐強く努力する必要があるのだが、少なくともこのプロジェクトで学んだような成長のパターンを予測できれば、スランプの中でも、やがて訪れる飛躍のことを期待して希望を持って待ち、忍耐強く努力を続ける励みになるだろう。夜明け前の闇は一層濃いことの自覚も、それを1つのパターンとして認めることによって、より適切に対処できる。
まだ十分な確証が得られていないが、図4の所で触れた、365回を大きな転機の訪れるタイミングであると考えると、そのような規模で一定の練習活動を計画することで、目覚しい成果を見るところまで持ちこたえるという動機を得、それによって練習活動を続けていく推進力が出てくると期待できる。この365という数字がマジックナンバーかどうかは分からないが、予めこのような数字を参考にして継続する最低線の数を決めておき、それを目指して努力するほうが、闇雲に結果が見えないまま努力するよりよほど気持ちの持ち方や意識や集中力の面で有効になるであろう。
このゲームでの経験から受ける霊的な示唆
しばしば祈りで始め、改善をするための霊感を求め、祈りで終わって新たな学びに感謝してきた。そんな折、ふとここでの経験が自分自身と家族と教会の兄弟姉妹と地域の人たちを守るための技術を磨く機会にもつながっていくのではないかという霊的な側面に目が開けてきた。自分も含め、人は絶えずサタンの悪影響にさらされている。Defenderというタイトルは、まさにこの影響からの「守り手」という意味だとも考えられるのである。この不思議な偶然の符合に気づいたとき、教会の組織を強めるための知源育を始めていたときだけに、このゲームで学んだ数々の原則が特別な意味を持って意識を占めることになった。このゲームの知源育が終結に向かっている今、そこで得たことを最大限使って次の知源育に応用しようとしているのであるが、教会を強めるということは、そこに集う人々を強めることであり、それは翻って、世の悪影響から教会員を守り、彼らの霊性を強めることである。
では、時々刻々迫り来るサタンのさまざまな攻撃に備えて、このゲームから学んだ原則がどのように役に立つのであろうか?次の4つのポイントからこの点に関する応用の仕方について、まだ極めて雑ではあるが、考察を文字にすることを通して、多くの方々からのご意見・示唆・指摘を請うしだいである。
1)敵を知り己を知る。2)意識の上手な分散と機敏な対応。3)状況にあわせて戦略的であること。4)根気強い数多くの繰り返しの努力によって躍進を待つ。
1.敵を知り己を知る
これは「百戦危うからず」という中国に伝わる兵法(孫子の教え)の考えである。
サタンはどのような策略をするかは聖典を学び、預言者や教会の指導者の言葉をよく分析することによって知ることができる。たとえば、七十人のクリスチャンセン長老は、以下にあげる3つの戦術を、また、わたしの所属する支部のトンプソン姉妹は4番目のを加えた。
(1)直接いろいろな悪い考えや気持ちを吹き込んでくる。いろいろなメディアや人々を通してもこれが起こる。
(2)罪の深刻さを過小に見せる。「たいしたことはない。」「そんなことみんなやっている」という類の方法である。
(3)罪深い行為を魅力的であるかのように見せかける。快楽的な面を強調し、それが最高の幸せのように思わせる。これもいろいろなメディアを通し、また、仲間や同僚などを通して影響を与える。
(4)ささいなことから始めじわじわとより深刻な罪へと誘う。その過程があまりにも少しずつであるために本人も気がつかないうちにひどい問題に陥っているということになる。
ゲームの状況では、敵に関してはヘリコプターの動きの特徴、パラシュートや爆弾の投下されるスピードなどの特徴が徐々に体験を通してわかってきたが、それが正確にわかれば分かるほどそれにどう具体的な対処をすればいいかが分かるために得点が伸びていった。
では上の4つのそれぞれについて具体的にどのうに対策を練るべきであろうか?
(1)サタンの考えが入り込まないようにバリアーを張ることである。それは、常に信仰の祈りによって聖霊を友とすることを通して実現することができる。弱い教会員の場合は、まず、規則的に聖典を研究し祈ることを通して聖霊を受け、証を強める機会を作っていく必要がある。
(2)教会員は正しい原則が何であるかについて、正確に詳細にわたって教えられなければならない。また、自ら、聖餐会に集い、聖典を研究し、総大会の話を詳しく研究することによって、主の標準に関するしっかりした理解をしなければならない。
(3)われわれは常にいろいろな考え方や生き方に接していて、その影響下にある。だから、そのような考え方などが入ってきたときにそれを正しく吟味することが必要になってくる。日曜学校やその他の集会の中で教わり、議論することを通してより正確な理解が起こってくるのである。
(4)小さいうちに芽を摘めば楽である。初期のうちに何かの問題がおき始めることを感知する能力を養っていく必要がある。そして、引き延ばしすることなくそれを根治することである。定期的に自分自身を吟味し、何か問題が起き始めているか否かについてチェックすることが大切である。
2.意識の上手な分散と機敏な対応
サタンの攻撃は四方八方からやってくるのを覚悟しなければならない。だから、教会のプログラムのある1つのことにこだわりすぎたり、ほかの人たちができることを自分が背負い込んでしまうことによって、余裕がなくなるために、問題に突き入る鋭さや確実さを失ってしまうことが問題である。それ以上に、自分自身がふさわしくない考えや行動によって御霊を失っているときに、適切な判断を誤ってしまう。だから、絶えずバランスの取れた生活をすることとともに、勇気と決断力を持って、問題点の適切な把握とそれに対する対処をしていかなければならない。
宮本武蔵の兵法に学ぶと、「立会いに臨んでは、見の目を弱く、観の目を強く持つべし。」と五輪の書の中で述べている。「見の目」とは、物事を分析的に見る目である。しかし、詳細にこだわるあまりに、全体像である観の目のとらえるものを見失うところに敗因が生ずる。うららかな目で自分の周りに起こっていることを正確に動じない心で看取していかなければならない。これは、ゲームの場合についていえば、群がって落ちてくるパラシュートに気持ちを奪われて、反対の側から出始めているヘリコプターの存在に目が届かないときがある。よい成績を出す時は得てして画面の全体に冷静な目をくまなく平等に向けていて、飄々として打ち続けているが、失敗が起こるときは、ある状況でパニックになって、ほかに目をやる余裕がない。このバランス感覚は、戦いで勝利するための必須事項である。
3.状況にあわせて戦略的であること
ゲームをやり始めの初期の段階では、1つの試行で最初から最後まで同じ方法で戦うわけであるが、そのうちにそれぞれの状況に応じて戦い方を変えていかなければならないことに気づいてくる。車の運転で言えば、運転速度や坂の勾配などのことを考慮してギアーを変えていくことである。もっともオートマチック車では平坦のところを走るときこのことが自動的に行われるが。効率のよさ、望ましい成果を挙げるためには、きめ細かい戦略の使い分けが必要である。
事態の深刻さや個性などを考慮して、アプローチの仕方を変えていかなければならない。また、特に手をとり足を取りしてやり過ぎないようにも心がけなければならない。それには、要所要所で助けを与えるというような的確な判断力が必要である。
4.根気強い数多くの繰り返しの努力によって躍進を待つ
一度で問題状況がなくなることは少ないだろう。キンボール大管長は、不道徳に陥らないように青少年に教える際には、彼らが結婚するまでの間に何百回でも大切な原則を教え、警告を与えていかなければならないといっている。サタンも何百何千と攻撃を仕掛けているのであるから、こちらのほうでも手を変え品を変えて防備をしていかなければならない。過ちに陥った人たちが悔い改めるときに、時には、失敗が続いて断念しようとするかもしれないが、365回の後に飛躍が訪れるというパターンは、希望の燈をともしてくれているように思う。成果が出るまでには、長い忍耐の時期がいるという教訓とともに、いつかは思いもしない変化が訪れるという希望である。
おわりに
この半ば冗談半分のようにして始めたゲームについての知源育のプロジェクトのためにたくさんの時間を費やしたが、多くの新しい知見、自分の中に潜んでいる能力の開発、他の領域への転移、霊的な成長への示唆など収穫はその努力に十分報いるものであった。1つのプロジェクトをこのように丁寧に締めくくることは、次のプロジェクトがより効果的にスタートし、より早く目標のレベルに到達するために力を蓄えることになると思う。過去のプロジェクトを振り返ってみると、知源育を進めていくスキルが1つ1つのプロジェクトごとに次第に身についてきていると感ずる。それは決して容易な習得ではなかったが、丁寧に知源育の活動を行い、ここで行っているようなレポートをまとめるまでの段階で、深い理解が得られ、実行力の完成度も上がっていると思う。
わたしの現在住んでいる南フィラデルフィアという地域は、おそらくこの地上でも最もすさんだ地域の1つといえるかもしれない。年間300を超える殺人事件が起こっている古都フィラデルフィアは、全米の大都市の中でも際立って問題状況が深刻である。かつて、この地域の伝道を管理していたフィルモア伝道部長(メリディアン担当のフィルモア兄弟の遠い親戚)はこの地から暗黒の幕が取り去られるように専任宣教師の日々の祈りに加えるように勧められたことは、きわめて適切だったと思う。求道者の方々やお休み会員の方々と親しく知り合いになることを通して、サタンの力がいかに強くこれらの人々に影響し、強い会員になるのを阻んでいるかが分かる。過去数年間に、この支部では7−80人のバプテスマを見ながら、聖餐会の出席人数はほとんど横ばいであった。何かが変わらなければならない。
ラオス出身のムーンラシー支部長と知源育に基づく支部の開発を始めて2ヶ月あまりになる。ある意味で、われわれ指導者がいかにDefenderとして、ここに住む聖徒たちを守っていかれるか、時々刻々迫り来るサタンの攻撃にどう効果的に対処していったらいいのか、総司令官モロナイに倣って、多くの戦略を用いて、大胆にかつ積極的に防備を固め、戦いに臨まなければならない。上記の考察をより具体的なレベルで応用して、サタンの戦術を1つ1つ克服していく必要がある。
最初の戦略は、目標管理とネットワーク作りである。これは、支部長会が家族を1件1件訪問して、永遠の家族になるための具体的な目標を協議・設定し、ホームティーチャーや訪問教師のフォローアップを支えに、長期的にこれらの家族を養っていくことと、会員同士の間にさまざまな支援関係が生まれるように、ネットワークを作るテクニックをまずは指導者から養成し、やがて会員一人一人にこのテクニックを身につけていかれるように訓練と養成を組織的にすることである。当面の課題は、場当たり的な訪問から、組織的に家族を強めていくという方向への変換と、あらゆる支部の教育機会を、知識伝達のアプローチから、個人の悔い改めと進歩向上に焦点を移していくことを考え始めている。
知源育を応用するということは、多くのサイクルを意図的に創り出していくことをも意味する。そのような過程を通して多くの霊感を受け、問題状況の打開が数多く起こってくるだろうと思う。そのことを具体的に記録し、次の報告書にまとめてみたい。
注
1.このゲームは、Internet Explore(なぜかわたしのコンピュータではMozilla Firefoxではだめである)をつかって、つぎのURLにアクセスしていただいたらゲームを試すことができ、1度ゲームが終了するとトップスコアーを見るオプションが表示される。
http://www.labpixies.com/gadget_page.php?ID=41
なお、次のページに8月2日の時点でのトップ20をコピーしておく。
2.BYUにおいて博士論文のための研究を行っているときに、教育におけるアクション・リサーチの実践に興味を持ち、その原則を分析することが論文の中心になった。そのときに、人間や動物の中に在って、知的な行動へと導いている存在のことを包括的に表現するよい言葉がないので、論文の中で、「知源(ちげん)」という造語を導入した。これは教義と聖約93章29節にある「英知」とほぼ重なる概念である。やがて、その知源を育てていくための5つの原則を抽出することになり、それを基にして数多くのケース・スタディーを行い、その驚くべき成果を繰り返し見てきた。やがて、「アクション・リサーチ」という一般の方にはなじみの薄い、ともすると衒学的な響きのある言葉に代わって、「知源育(ちげんいく)」という言葉を使うようになった。これは、個人の成長や職業人としての技術などを伸ばすために、組織立った活動をするためのガイドラインを与えてくれる。詳しい原則については、まだ英文のものしかできてないが、以下の著書を引用していただきたい。2−3年中には日本語のものを書きたいと考えている。なお、この書物は、原則論が中心であるため、その応用の仕方についてお知りになりたい方は遠慮なく以下の連絡先に問い合わせていただきたい。無料で多くの援助を受けられる。援助することがわたしの研究の一部でもあるからである。
University Press Of Americaから2005年に出版された本は:
Amazon.comで “Five Empowering Principles of Action Research That Leads to Successful
Personal and Professional Development” というタイトルで見つけられる。いくつかのケース・スタディーが最後の章に若干ふれられている。
3.週ごとの集計(数字は試行の回数を示す)