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メリディアン 日本語 |
ジョン・H・グローバーグ |
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いつでも、どこでも(Anytime, Anywhere)
17章
絵画の巨匠
主は,絵画の巨匠のようだ。主が描かれるものはすべて傑作である。そして,主は今もなお,多くの作品を描いておられる。制作中のキャンバスを覗いてみると,何の絵か理解できない。確かに人生というキャンバスは,「現代アート」と呼べるほど,様々な色や,奇妙な線が,無秩序に散りばめられている。なぜここに,こんな色が? あの細い線は一体何だろう? と,いぶかしく思うことも多い。でもあるとき,その不可思議な絵に,一本の線が引かれ,新しい色が塗られる。すると突然,はっきりとしたイメージが浮かび上がる。あの太い曲線,黒い点,無意味に思えた色が,その絵に欠かせなかったことが分かるのだ。 永遠という名の巨大な名画を理解するのは困難だ。それは,この世が常に変化しているからだ。たとえば,わたしたちがハワイからユタ州バウンティフルに移ってきたとき,11人の子供たちは,夏休みになると全員顔をそろえたものだ。長女はブリガム・ヤング大学に入学し,次女もそれに続いた。三女も,四女も,数年のうちに,皆,BYUに入学した。 やがて,来るべきときが来た。3人の娘が相次いで,特別な青年を家に連れて来たのだ。どの青年も,結婚を許可してほしいと言う。そんな日が来ることを予期しなかったわけではない。だが,それでも何とも言いようのない気分になる。長い間ずっと一緒だったのに。上の娘たちは,よく手伝ってくれたのに。あの娘達がいなくなってしまったら,我が家はやっていけるのだろうか。 もちろん,娘たちの相手には満足していた。皆,帰還宣教師だし,3組とも目を輝かせ,愛し合い,真剣で,優しく,証に満ちていた。幸いなことに,わたし自身が神殿で彼らの結婚の儀式を執り行うことができた。それでも,娘たちを「手放す」のはつらいことだった。 ほんの数年のうちに,同じ屋根の下に暮らす子供たちの数が7人に減った。そのうちの二人はブリガム・ヤング大学に通学していた。そのようなとき,南アメリカ南地域会長会の一員として奉仕する召しを受けた。アルゼンチンのブエノスアイレスに移り住んで,アルゼンチン,チリ,パラグアイ,ウルグアイの教会を管理するのだ。 家族のだれもスペイン語を話せかたったが,妻のジーンとわたしは,その召しを喜んで受け入れた。ブエノスアイレスの宿舎は,あなたたちのような大家族には狭いですよと言われたが,夫婦そろって「大丈夫です,慣れていますから」と答えた。主がその僕たちを通してわたしたちを召されたのだから,何も心配はいらないと信じていた。 問題は,子供たちだ。どう説明したらよいだろう。子供たちの生活を大きく変えてしまうことになる。パークシティーにある友人の別荘を借りて,そこに家族で一泊することにした。子供たちは,何かあるなと感づいていたようだ。事情を説明し,神の僕たちに従うべきことについて証を述べた。それから,「泣かないで,アルゼンチーナ」という曲をみんなで聴いた。美しい曲だった。笑顔と,涙と,信じられないという思いが入り混じり,その夜は皆,胸を躍らせながらよく話し,たくさんの質問が飛び交った。 これから,居心地のよい安全地帯を離れることになる。だれもスペイン語を話せない。バウンティフルの生活に慣れ親しんだ子供たちにとって,違う土地へ行くのはつらいに違いない。でも,主が僕たちを通して,主の業に招いてくださったのだ。わたしたちのキャンバスがなぜそのように描かれるのか,やがて分かるときが来るだろう。 思ったとおり,すべて順調だった。ゲールとジョンエノクの二人は,宣教師の志願書を提出し,6月に宣教師訓練センターに入った。その数週間後,残りの家族も皆,宣教師訓練センターに入り,スペイン語の訓練を受け,南アメリカへ旅立つ準備をした。 思ったとおり,アルゼンチンの宿舎の寝室は狭かった。上の階に,同じ地域会長会で奉仕するアルディン・ポーター長老夫妻の住居があり,息子のトムは,そこの一室に寝泊りさせてもらうことになった。1年後,娘のスーザンがブエノスアイレスの高校を卒業し,ウルグアイでの伝道に召された。わたしが忘れていたあることを,妻が思い出させてくれた。昔,伝道部会長に召されて家族でトンガに行ったとき,娘のゲールはまだ生後数週間だった。ジョンエノクはトンガで生まれ,スーザンはトンガから帰国して数か月後に生まれた。わたしたち夫婦はこの3人を「伝道ベービー」と呼んでいた。そして今,その3人が同じ時期に専任宣教師として働くことになったのだ。何という達成感だろう! アルゼンチンでの3年の任務が終わりに近づいてきたとき,わたしたちはある強い気持ちを感じるようになった。それは,わたしたちの心から湧き出た感情でもあり,権能を持つ人々の口から発せられたものでもあった。少なくとももう1年この地にとどまると感じたのだ。南米の人々を愛するようになり,スペイン語も好きになった。この地での責任もよく果たしていると感じていた。そんなある日,まったく突然に,ソルトレーク・シティーから電話を受け,本部に戻り,カリフォルニアとハワイの教会を管理するようにと告げられたのだ。アルゼンチンを去るのはさびしいことだったが,新しい任務を喜んで受け入れた。そして,新たに訪れる地域にも,ラテンとポリネシアの人々がいることに気づいた。 ある土地に慣れてくると,たいていすぐに移動を命ぜられるのには驚かされる。人生のキャンバスに描かれている絵が分かり始めると,すぐに主はまったく新しい色や形を加えられる! どんな任務を割り当てられても,初めから全力投球で取り組まなければならないことが,経験から分かってきた。その機会がいつ取り去られ,いつ新しい機会に取って代わられるか,分からないからだ。どのような召しであれ,すべてをささげることを怠れば,ほかでは得られない何かを失うことになるだろう。 不平は言わなかったが,少しの間,自分たちの感情について不思議に思った。子供たちは引越しを喜んではいなかった。子供たちはスペイン語とその地の文化になじみ,親友もできていた。わたしたちは自分たちの心を探った。そして神の御心を行う預言者の祝福に改めて気づいたのだ。預言者の言葉に従えば,何事もいつもうまく行く,そしてもっとも偉大な祝福が得られる。そのことを知っているのは,何という心の慰めだろう! あるステーク大会で,新しいステーク会長会を召す必要があった。大会の直後に,ある夫婦が話をしたいと言ってきた。その夫婦は最近神殿に参入したとのことで,特に妻の方が神殿で,夫が次のステーク会長になるという強い印象を受けたというのだ。活発でふさわしい夫婦だった。そのような印象を受けたのに,なぜ夫は召されなかったのかと二人は疑問に思っていた。わたしは説明した。「神はそのような気持ちを与えることによって,あなたがステーク会長になるふさわしさを備えた人であると,神が認めておられることを,あなたたちに伝えてくださったのです。実際に召されるかどうかは大事ではありません。でもあなたがふさわしいという事実はとても大切なことです。そして,主はそのことをお二人に知らせてくださったのです。」わたしは,こうも説明した。「考慮すべき事柄がほかにも多くあって,最終的な召しは,割り当てを受けた主の僕たちの霊感を通して与えられました。」これを聞いて,彼らの疑問は解決した。このときの経験を振り返ることで,わたしたちの新しい召しに関する疑問も解決した。 アルゼンチンを発つ準備をしながら,お気に入りのあの曲をかみしめた。「泣かないで,アルゼンチーナ」と口ずさむのは簡単,でも,涙なしにアルゼンチンを離れることはできなかった。子供たちの友達がバスを1台借りて,空港まで見送りに来てくれた。空港のロビーの中央は,我が家の子供たちとその友達で一杯になった。飛行機に乗る時間になり,子供たちを出入国管理事務所へ連れて行こうとしたとき,涙の跡がセメントの床の上に残っていた。アルゼンチンに来るために故郷を離れたときよりも,もっと多くの涙が流れた。 これまで,どの地を去るときも,もっとそこにいたいと願った。いつでも,どこにいても,主の業に専心するなら,その地の人々に深い愛着を感じるようになる。生活や心の中で,彼らの存在が大きくなる。当然のことながら,深く愛するようになる。実際,別れ際に感じる悲しみは,どれだけ深く愛していたかを表すのではないだろうか。主の犠牲と復活,結び固めの権能に感謝している。主はすべてを正す力をお持ちで,喜んですべてを正してくださるのだ。この世でつらい経験をしているときでさえ,あるいは,そのようなときこそ,主は懸命に,わたしたちの人生のキャンバスに傑作を描いておられるのだ。 わたしがこの原則について思い起こすようになったのは,慣れ親しんだ安全地帯から遠くの地に行くよう命ぜられてから何年も後のことだ。そのきっかけは,教会の指導者たちから,わたしが若い宣教師時代にトンガで経験したことを本に著すように「励まされた」ことだった。トンガでの経験は,以前に記事や説教に書いたことがあった。しかし,1冊の本を書くのは初めてのことだった。予想よりはるかに大変だった。わたしにとっても,関係者にとっても,長い時間と,大きな努力が求められた。ついに原稿が完成し,出版社に提出したとき,ほっとため息をついた。でも,それは短いため息だった。 出版を目前に控え,原稿のチェックをしてくれていた教会の指導者から,わたしのトンガでの経験の中で,この本に書かれてないものもあることを指摘された。「それは宣教師時代の経験ではなく,伝道部会長として再度トンガを訪れたときの経験です」と説明すると,それなら,そのときの経験をもう1冊の本に書いてはどうかと勧められた。 人生とはそのようなものだ。大きな山の頂上にたどり着き,腰を降ろして「勝利」を味わいながら,ふと,見上げると,さらに高い山々が目に入る。そして,自分はまだ登り始めたばかりだと気づく。今達成したことは,次の大きな仕事への準備に過ぎなかったのだ。ずっと休憩していられるわけではない。 あの2冊の本を書くのは確かに気乗りのしない仕事だったが(『嵐の目の中で』〔In the Eye of the Storm〕1993年発行,『炎の信仰』〔The Fire of Faith〕1996年発行),それでも,その経験に感謝している。時が過ぎ,何百もの手紙やカード,電話,訪問を受け,この2冊が助けになったという話しを聞いた。初めは,親切心からそう言ってくださるのだと思っていた。しかし,時がたつにつれて,この2冊がほんとうにだれかを助けたことが納得できるようになった。頂いた手紙やメモの幾つかは今でも保管している。そして,時々こう思うのだ。「もしも,大変な仕事だというプレッシャーに負けて,本を書く誘いを辞退していたら,どうなっていただろう。」当時は,忙しすぎてできないと感じていた。しかし,本を書くよう勧めてくれた人々を尊敬し,信頼していた。だからやってみようと思った。実際,想像以上に大変だった。わたしを愛し,わたしの幸福を望み,力づけてくれる人々からの「大丈夫,きっとできる」という言葉がなければ,もうできないと何度も思ったことだろう。でもそんなとき,彼らにはわたしに見えていないものが見えていると思った。彼らは,わたしよりもはっきりとキャンバスを見ていたのだ。 このように考えると,さらに視野が広がってくる。神がわたしたちに何かを命じられるのは,何がわたしたちのためになるのか,どうすればわたしたちが人に奉仕できるのかを知っておられるからだ。忙しすぎる,気が乗らない,難しすぎると言うとき,神は決して強制なさらないが,神の命令に従うことで得られる喜びは,味わえない。与えられた山を登るとき,恐れを乗り越え,信仰を胸に抱いて進み,権威ある者からの招きに素直に応じるなら,大いなる祝福と深い満足が得られるのだ。 しかし,わたしの絵はまだ完成ではなかった! 時が流れ,ハリウッドからの訪問者が『嵐の目の中で』(In the Eye of the Storm)を映画化したいと言ってきた。わたしは,そのことがもたらす影響,特に家族が世間の注目を浴びるということを考えて,圧倒された。何度も祈り,教会の指導者たちと相談した末に,映画化に同意することにした。そのことで,だれかの人生が祝福されることを信じて。それから2年以上が過ぎ,『天の向こう側』(The Other Side of Heaven,邦題『幸せになるための恋の手紙』)が封切られた。 この映画について,感動的で奇跡的な話を数多く聞いた。その中の一つを紹介しよう。それは,この映画の持つ影響力の大きさを示している。この映画はこれまで何度も,特にアジアやイスラム世界の広い地域でテレビ放映された。ある伝道部会長から次のような話を聞いた。彼の管理する地域には,宣教師のビザの取得が大変困難な国がある。宣教師は法律に従って正当に入国しようとしているのに,入国管理官は彼らを冷たくあしらい,手続き上の些細な事柄に文句をつけては,入国を拒否するのだ。 ある日,4人の宣教師が有効なビザを持って入国しようとした。しかし,手続き上の小さな問題があるということで,足止めを食らった。入国管理官は,彼らを国へ返そうと思っていたのだ。一人の宣教師が上の階の責任者の部屋へ連れて行かれ,密室で,質問を受けた。宣教師は次々に浴びせられる鋭い質問に必死に答えた。突然,責任者は宣教師を見つめて言った。「パスポートには,オーストラリア国籍とあり,確かに君はオーストラリア人のように話しているが,オーストラリア人には見えない。」 宣教師は緊張しながら答えた。「わたしはトンガで生まれたのです。小さいときに家族でオーストラリアに移り住みました。」 「トンガ? そういえば昨日,『幸せになるための恋の手紙』という映画を見たぞ。あれはトンガの話だった。君はコリポキ(訳注――映画の主役である著者のこと)を知っているかね?」 「はい,わたしの両親はコリポキをよく知っていて,よく彼のことを話してくれました。」それから20分間,映画について,トンガについて,モルモン(末日聖徒イエス・キリスト教会)が伝道をする理由について,そのほか様々なことついて話し合った。 話が終わると,事務所の責任者は宣教師の肩を抱いて上の階から降りて来て,部下たちに言った。「手続きに問題はなさそうだ。その3人もここに留めておく必要はない。すぐに入国させなさい。」 神がどのような方法で業を進められるか,人には決して分からない。何年か前にこの本を書くように励まされて良かったと思っている。この本を映画化したいという申し出を受け入れる決意したことにも感謝している。もしも,安全地帯に留まって,本の執筆という大冒険に踏み出せないでいたら,一体どうなっていただろう。 確かに,絵画の巨匠である主は,御自分が何をなさろうとしているか御存じである。神の完全な幸福の計画は,この世から永遠にわたって続いている。神はその全体像を見ておられるのだ。神はわたしたちを御存じで,計り知れないほど愛しておられる。自分の理解力に頼らないようにし,神を信頼するならば,神はわたしたちを導き,すべてのことをわたしたちの益としてくださる(箴言3:5−6参照)。やがて,完成に近づいた絵を目にして,すべての線,色,明暗,形が,まさにあるべきところにあったということを知り,驚くことだろう。すべてが組み合わせられ,完全で,美しく,神の恵みによって日の栄えの栄光を持つ絵が完成しているのだから。 翻訳:神田央
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