メリディアン

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コラムニスト

柳田聡子姉妹

2007年12月8日

 

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敬愛するフィルモア兄弟;

定期便のメリディアンを読むのに今日は忙しかったです。

親鸞のことが出ていましたが、私の祖父母はとても熱心な浄土真宗の信者でした。私が子供の時には末日聖徒の教会は日本にはありませんでした。何の集会もない時代でした。それで、祖父母は私が一番年上の孫でしたから、私をよくお寺に連れて行きました。その習慣で、私は親鸞上人(しんらんしょうにん)の話をよく聞きました。私が結婚したのはまだ太平洋の戦争が始まる前でした。

戦争が終わったときは1945 年で、私は二人の幼い子供を持っていました。1948 年に教会はクリソード伝道部長によって伝道が再開されました。その年から父は浦和から東京の教会に行きました。母と私は父が朝食も食べないで、教会に行くのは激しいと話していました。私はその頃は名古屋に住んでいました。主人の会社の仕事が戦争中に名古屋に転勤していましたから。

浦和の実家に行ったとき、父が鳴海にプライスさんがいるから行ってご覧。高木冨五郎の娘だと言うと喜ぶよと言うのです。それが私がテッド・プライス長老と会った最初のことです。父はプライスさん(前はそう呼びました)と同僚になって東京の焼け跡に昔の会員を探して歩いたということです。

私は'49
年の4月から2時間かかる鳴海に通いました。それからだんだん教会の教義を学びましたが、親鸞の話と似ている所が多いのです。親鸞は神様の霊感を知らずに受けていたと私も思います。熱心な浄土真宗の(信者を門徒という)もんとはお正月でも門松を飾ったり、七夕に笹竹に願いの短冊をつけたりしないのです。子供の時、私はよその家の飾りを見て、うちにないのがつまらないと思った物でした。感謝することや、謙遜になって、教えを守ることは子供の時から、お寺で教えられていました。禅の修業はしないのです。「そのまま来いよ」と言うこともありました。他力本願というのです。 

全く同じではありませんが、似ていると感じたことは色々経験しました。真理はひとつ。科学者も真理を探究して、偉い科学者は創造主の存在を感じると聞きました。真面目に探求する人には神様が聖霊を通して助けて下さると確信しています。   柳田聡子