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新しい年を迎えて、新しい希望もふくらむことでしょう。
このごろ忙しくて、その上パソコンが調子がよくなかったので、1月4日の通信をなかなか読めなかったのです。
おそくなりまして、ごめんなさい。
「これは自慢ですか?」のつづきも読みました。私はいつも、何回も神様に愛されていると感じることが多いので、お祈りして、助けていただくことが、多いので、全部を話すと自慢になるかとおそれます。でも光は輝かして、ろうそくの光はテーブルの上に置くように、枡(ます)の下におかないようにと、イエスさまはおっしゃいました。私の経験が、ほかの人をはげます材料になるなら、証会にお話するべきかとも考えます。
西郷隆盛は西南戦争で、賊軍と言われましたが、明治天皇もいっぱんの日本人も彼を愛しています。彼は岩倉具視(いわくら、ともみ)やほかの政府の高官たちがアメリカやヨーロッパを勉強するために大きな団体で日本を留守にしたとき、日本の政治を預かって(あずかって)留守番の総理大臣として、日本を守って働いたのです。彼は決してあの戦争はしたくなかったのですが、若い侍(さむらい)たちの不平が大きくならないように、また征韓論を通したかった若い人たちを治(おさ)めるために彼らをまとめて結局戦ってしまったのを、歴史は認めています。
ついでに、その岩倉具視や木戸孝允(きど、たかよし)大久保利通(おおくぼ、としみち)や伊藤博文(いとう、ひろぶみ)やほかの政府の人たちと、留学生として出かけた若い男女みんなで100人くらいの人たちがアメリカへ行って、カリフォルニアからヨーロッパに向かうために、大陸横断鉄道に乗って東に出かけたのですが、ロッキー山脈に大雪がふって、汽車は止まってしまいました。かれらは乗り換えのためにオグデンで乗り換えるつもりでしたが、汽車は不通になりました。ソルトレークから教会を代表して、ジョージ・Q・キャノンとほかの二人の三人が日本からの人々を翌朝ユタ・セントラル鉄道で、ソルトレークに案内しました。その人たちは、ソルトレーク市内に分散して、政府の高官たちは「タウンゼント・ハウス」に滞在し、ほかの人たちは教会の人たちの家に泊まったのです。この間にブリガム・ヤングは自宅軟禁(じたくなんきん)のときで、伊藤や大久保や木戸らはヤングの家に訪問して、彼と会っているのです。
日本から行った政府の人は世界の知識を得たいという希望を持っていたので、ソルトレークの道が広くてきちんと設計されて作られていることやタバナクルの建物をヤングが設計したものであり、釘を使わずに建てられていて、音が一番まえの卓に一本のピンを落とすと、一番後ろの席でも聞こえるという音響効果に驚いたと日記に書いているのです。その建物の大きさを尺と寸(しゃくとすん)の単位で細かく書いています。そのように西郷隆盛に日本の政治を預けた政府の高官たちは新しい外国の知識をソルトレークで学びました。
くわしい話は「世紀を越えて」(Beyond
the Century)
に書いてあります。そのことを私は日本の夜明けまえのしるしのように感じています。やはり神様のなさることは人間の想像以外のことがおこなわれると思っています。 柳田聡子
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