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February 3, 2008
Dear Brother Fillmore;
Feb.1st
の記事を読みました。私の誕生日を覚えてお祝いのお言葉を有難うございました。
ヒンクレー大管長のご逝去は前便で教えていただきましたが、今日彼の葬儀の放送を見る予定でした。それが朝から雪が降り、横浜では初めての本格的な雪の日になり、ビショップさんや、ビショップリックの方たちも、3人が私を心配してくださって、後で見る機会があるから、今日は休んで家にいてくださいと、電話がかかってきました。89歳が電車や車を乗り換えて、教会に行くのを心配してくださったのです。私はそれでも地下鉄の後はタクシーで教会に行くつもりでした。でもビショップさんも、車のチェーンがないから、電車で行くつもりで、「柳田姉妹は休みなさい」と言われて、彼に従いました。
それで、時間が出来たので、コンピューターでメリディアン日本語を見ていましたら、その後どのボタンを押したか分かりませんがNEWS
ROOM" と言うのが出てきました。
そこに{Beloved Church
President, Gordon B. Hinckley, Dies at 97}
と言う見出しがありました。それでその記事を読んでみました。
彼は日本に若いときから何回もいらしたことがあり、親しい感じを持っていましたが、日本だけではなく、ずいぶん活動的に沢山の国々を訪問していらしたことを知りました。また、新聞、雑誌の記者とも話しているし、ソルトレークのオリンピックにも積極的に働き、ご自分はそのほかにも沢山の本を出版していらして、伝道にもイギリスに行かれたとか、広報活動を進めてこられたと知りました。10年以上まえに、日本でも広報委員会ができて、私も井上龍一部長のもとで、お手伝いしましたが、ヒンクレー会長のご方針で進められていたのかと、今さらに考えています。
日本人が団体で初めて、お金がないときに皆で働いて、資金を作った(その時フィルモア長老が沢山働いて下さったと後で知りました)ハワイ神殿に初めてチャーター機で行ったとき(1965)
ハワイにヒンクレー長老がいらしていて、大正時代の古い会員たちとクリソード神殿会長といっしょに写した写真があります。
彼は少年の時、新聞配達もしたようですが、沢山の学問を修め、いくつも学位をとられていらっしゃるようで、改めてその博識と信仰と愛の偉大さを感じています。その上、ボーイスカウトでも賞を受けていらっしゃるし、神様に近い方と言う印象を前から持っていたのですが、知識、能力、愛などすべて全知全能の父なる神様に近いお方であると痛感いたしました。神殿が驚異的にいくつも世界に出来たのも神様のお考えを実行されたのですね。
苦痛があまりなく、自然に眠るようにこの世を去られたのは、神様のお子として、安らかに幕の内に逝かれたのは祝福そのものであると感じています。
ハワイの写真を添付します。コピーなので、綺麗に出ませんでしたが、左の人から、クリソードハワイ神殿会長、奈良源子(もとこ)姉妹、奈良冨士哉兄弟、桂鶴一兄弟(大阪の改宗者)、ヒンクレー十二使徒、高木光(みつ)姉妹、高木冨五郎兄弟、(私の両親)です。宿舎か食堂のそばで撮った写真です。見にくいですが見えますか? 柳田聡子 |