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コラムニスト

柳田聡子姉妹

2008年2月4日

 

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February 4, 2008

西郷隆盛については、前にも書きましたが、私は彼を好きですし、たいていの人は彼を悪く思っていません。彼は明治の政治を始めた人たちが、アメリカやヨーロッパを見学に出かけた時、留守番の内閣を預かったので、同じ鹿児島県、薩摩(さつま)の仲間の大久保利通(としみち)や、ほかの木戸孝允(たかよし)や、伊藤博文(ひろぶみ)は西洋の文化を勉強したのですが、西郷隆盛は残っていました。

征韓論といって、韓国を攻めて、日本の領土にしようと言うのも、武士が平民と同じになることに反対した不平武士(ふへいぶし)たちのエネルギーを外に向けようとした考えに思われます。彼は自分では田舎に引っ込んでいたかったのに、不平武士(ふへいぶし)のために、あえて彼らとともに西南戦争を起こして、政府に対抗したので、国賊(こくぞく)と言われて、最後は自分で死んでしまったと言うことを聞いています。

同情的に見る人も多くて、犬を連れてのんびりしていた彼の銅像が上野公園に立っています。ご覧になったことがありますか?あの銅像は江戸のまちを見渡すように立っています。江戸城を無血開城(むけつかいじょう)といって、戦いをしないで、勝海舟(かつかいしゅう)という徳川の武士と西郷のふたりの会談で、城を明け渡したので、江戸の町も救われたのです。