メリディアン

日本語

 

編集室

2008年2月1日

 

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ヒンクレー大管長の一つの思い出 

1961年3月27日だったと思います。当時の一週間の宣教師の訓練がソルトレクで終わって、聖任される時でした。両親は60マイル離れたスパニシュ・フォク市からその儀式に参加するために来ていました。選ぶことができないですが、19歳のわたしの希望は十二使徒定員会会員リグランド・リチャーズに聖任してもらいたかった。彼でなければ、他の十二使徒定員会会員でもいいと思っていました。(今恥ずかしいことですが)十二使徒捕助の一人で聖任された時にちょっとがっかりしました。 

聖任が終わると、父はわたしに尋ねました、「彼があなたに与えた祝福の言葉を聴きましたか」正直にわたしは「いいや、あまり注意してきかなかった。」と答えた。お父さんは「あなたが日本語を早くまた良く学ぶという祝福をしてくださいました。」とわたしに説明しました。

その祝福のお影でわたしは言語の賜物を頂きました。日本語を勉強した時、一回も辛い気持ちを持っていた覚えはありません。今でも同じです。日本を学ぶことhはわたしの大好きなことです。神様からの賜物のですから、わたしはその賜物を神様の王国を築くために使わなければならないと思って、メリディアン日本語と変換のプロジェクトに時間を使っています。非常に楽しいことです。 仕事をしている間、よく御霊の導きを感じて、神様の愛を感じます。嬉しい仕事です。

そして、その十二使徒捕助は6ヶ月後に1961年の10月の総大会で十二使徒定員会会員に召されました。そして、今年の1月27日まで彼は末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長でした。

フィルモア