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編集室

2007年1123

 

 

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「これは自慢ですか」の追加

続けて、申し訳ありませんが、聖文には自分の経験を書いた預言者はあるかを考えて調べた結果を少し書いたら良いと思いました。もちろんこれらの言葉は自慢だとは言えないでしょう。 

まず教義と聖訳19章から、1,2節

 「1わたしはアルパでありオメガであり,主なるキリストである。すなわち,わたしは初めであり終わりである者,世の贖い主である。2わたしは,わたしの属する御方,すなわち父の,わたしについての御心をなし終えた。わたしは万物をわたし自身に従わせようと,このことを行ってきた。」

高価な真珠

第2の例はモーセ書7章2節から始まる「わたしが旅の途中に,マフヤという所に立って主に叫び求めると,天から,『あなたは引き返して,シメオンの山に登りなさい』という御声がありました。3そこで,わたしは引き返して,その山に登りました。そして,その山に立つと,わたしは天が開くのを見て,栄光に包まれました。」

第3の例はアブラハム書1章1節から「1わたしの先祖が住んでいたカルデヤ人の地において,わたしアブラハムは,別の居住の地を得ることが自分にとって必要であるのを知った。」

第4の例はジョセフ・スミス−歴史2節から「2この歴史の中で,わたしは,真実かつ公正にこの教会に関する様々な出来事を,それらが起こったとおりに,あるいは現在あるとおりに述べよう。今や,この教会が組織されて八年目〔千八百三十八年〕である」

モルモン書

第5の例はニーファイ第一書1章1節から「わたしニーファイは善い両親から生まれたので、父が学んだすべてのことの中から幾らかの教えを受けた。わたしはこれまでの人生で多くの苦難に遭ったが、生まれてこのかた主の厚い恵みを受け、まことに神の慈しみと奥義を深く知った。そこで、生まれてからこれまでの間に行ってきたことを記録する。」

第6の例はエノス書1節がら「1 さて見よ、わたしエノスは、父が正しい人であったことを知っている。父はわたしを父の言葉で、また主の薫陶と訓戒によって教えてくれたからである。神の御名がほめたたえられるように。」

第7の例はアルマは36章の6節から次はあります、「わたしはかつてモーサヤの息子たちと一緒に歩き回って,神の教会を滅ぼそうとしていた。ところが見よ,神は,聖なる天使を遣わして,道の途中でわたしたちを止められた。」

ヤコブ、ジャロム、モルモン、などは自分の経験を書きました。

新約聖書

第8の例はコリント人への第二の手紙11章24節から「ヤダヤ人から四十に一つ足りないむちをうけたことが五度、」

第9の例はヨハネの黙示録1章1節から、「ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そしてわたしのうしろの方で、ラッパのような大きいな声がするのを聞いた。」

旧約聖書

第10の例は詩篇4章1節から、「わたしの義を助け守られる神よ、わたしが呼ばわる時、お答えください。あなたはわたしを悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました。わたしをあわれみ、わたしの祈りをお聞きください。」

第11の例はエゼキエル書1章4節から、「わたしが見ていると、見よ、激しい風と大いなる雲が北からきて、その周囲に輝きがあり、たえず火を吹き出していた。その火の中から四つの生き物の形が出てきた。」