|
メリディアン 日本語 |
詩
|
|
掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ最初の六つの詩(ページ) 照りつける真昼の海の太陽は心も焦げよと若者に射す、(16−1) わが歌はわが涙なり嬉しきに悲しきにつと流れ出づれば、(19−1) 山風に松の梢は騒げども谷あひの梅咲きしづもれり(20−3) 街育ちが田植ゑの前に疎開して忙しき農家に身の置き所なし(25−1) 一日の吾子の様子を夫に語るこのひとときやわれの幸なる(29−1) 友のなきこの地に住むを嘆かへど庭べは春の花の咲き初む(31−3) 掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第二の六つの詩(ページ)
走りては草にまろびつ走りてはまたまろび伏し子等は喜ぶ (35−2)
天父(ちち)と呼び懐かしみけり孤(ひと)り居(い)の淋しき時の祈りの中に(48−1) 掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第三の六つの詩(ページ) (今回は柳田姉妹は意味を説明して下さいます。) 子等いまだ幼きころの若き日を甦らせて孫と戯る(52−1) (子供達がまだ幼いころで私も若かった日のことを思い出して、そのときのような気持ちになって孫と遊んでいます) 寂しとは言ふまじ子等は夫々に妻得ていまは幸ひなるを(53−3) (さびしいなんて言わないでいましょう。子供たちは結婚して今は幸せにしているのですから) 稚きより憧れゐたるヨーロッパ今眼前にドナウ河流る(55−2) (私が子供の時からあこがれていたヨーロッパが今は目の前にドナウ川が流れていて、ヨーロッパを目の前に見ています。嬉しい気持ちです) ナポリ過ぎポンペイの廃墟に入りて怖る火山の力文化を滅ぼす(56−3) (イタリアのナポリを通り過ぎてから、ポンペイの街がすっかり滅びて、その昔の繁栄していた様子が分かる場所を見て、火山の力の恐ろしさを、よく感じられました) 世に出でて働く子等を頼もしと見れど淋しき母なり我は(61−1) (社会に出て働いている息子達はたのもしいと思うけれど、自分から離れて、りっぱになっていると母親としては何となく淋しい感じがするのです) 若き等とはしやぎて行きしピクニック帰りのバスに老いを気付きぬ(63−2) (若いひとたちと喜んで、ピクニックにさわいで行ったのに、帰りのバスの中で、若い人たちは元気なのに、私は疲れていたので、「自分が年をとっているのだなあ」と気がつきました。残念です) 掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第四の六つの詩(ページ) ふるさとは東京にある街育ち人知らぬ路地に思ひ出はあり。(64−3) 華やげるデパートの柱に鏡あり映れる影にわが老いを見つ。(66−1) 竹藪の中に入りたる心地なり十代の子等の集ひに入りて。(68−3) (竹やぶの中に入ったような感じになりました。Teenager の少年少女の集会に入ったら。それは、私が歳をとっていて、話がぴんと理解出来なかったからでしょう。) 褒められて頼られてなほ淋しさは胸底深く沈みゆくなり。(69−1) (ほめられたり、たよられても、私が頼れる人がそばにいないので、なおさびしくなります) 老い夫は我に頼ると知りつつもこの逆転に如何に立つべき。(69−2) (私より七歳年上の夫は私を頼るようになりましたが、私は若い時から彼を頼っていましたので、反対の立場になってどうすれば良いかまごまごしてしまいます) ツイゴイネルワイゼンの旋律しみ透り思ひがけずに涙となりぬ。(70−1) (ツイゴイネルワイゼンが作曲した曲を聴いていたら心にしみて涙がでてきました) 掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第五の六つの詩(ページ) 夏山も冬山も愛しみ年毎に登りし弟癌にて逝きぬ(72−1) 弟は山が好きで夏の登山に行き、冬も雪の山でスキーを楽しんでいました。それが54歳で癌(がん)で亡くなりました。下の弟は特に気持ちの優しい弟でした。懐かしく思っています)愛しみ(いとしみ) 逝きぬ(ゆきぬ) と読みます。 神と人に奉仕をせむと心決め夫と異国に渡る支度す(77−1) 神様と人々に奉仕しようと夫と共に決心して台湾神殿宣教師に召されて外国である台湾に出かける支度をしました。そのときの歌です。 初めての日本から電話かかり来て思はず声の高まりにけり。(77−2) 台湾の台北(たいぺい)に住んでいた時、日本から初めて電話を受けた時、思わず声のトーンが高くなりました。嬉しかったのです。 ホテルにてNHKのテレビ見ぬ久々に聞き入るその日本語を(79−1) 毎日、中国語を聞きながら台北に住んでいましたから、ホテルに食事に行った時テレビが日本の番組を放送していたので、その日本語が久しぶりに耳に入り、懐かしくてよく聞きいりました。 誰よりも互ひの欠点知りつつも信頼はあり金婚むかふ(82−2) 台湾にいた間に結婚50周年になりました。私達二人は他の誰よりもお互いに相手の欠点も分かっていましたが、50年間の二人はお互いに信じ合い、愛していることを感じていました。 すめらぎの葬られ給ふ時に会ひわが若き日も遠く去りにき(85−2) すめらぎ=天皇のこと。 ほうむられたもう=亡くなってお葬式をする 天皇様のお葬式の時は私達はまだ台湾にいました。それでその様子をテレビで見ることも出来ませんでしたが、昭和の年代も終わり、私も若かった日が遠くなってしまったなーと感じて歌った歌です。 掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第六の六つの詩(ページ) 山鳩や小綬鶏の声聞こえ来ぬ目醒めてここは日本と思ふ(93−2) (やまばとやこじゅけいの声がきこえてきました。ああここは日本なのだなあと思いました) ロッキーの山脈に没る太陽は碧空を黄金に変へて輝く(96−2) (ロッキーのやまなみにいるたいようは青空をこがねにかえてかがやく(読み方) (昔のMIA の歌の“Gold and Green” の歌を思い出してその夕方の景色は歌の通りだと思いました) アイダホの馬鈴薯畑広がりて地平線秋まで陽豊かに(97−1) (アイダホのポテトの畑はとても広く地平線まで続いて秋の太陽がいっぱいにてっていました) 初めて馬に乗せられ馬の背の幅広さを知るアイダホの旅(97−3) (馬の背中は乗ってみて幅が広いなあと驚きました。アイダホを旅行して知りました) 公害のなき空澄みて冷え冷えしアメリカ西部の月は冴えきる(98−3) (公害のなき空すみてひえびえしアメリカせいぶの月はさえきる)(よみかた) (アメリカの西部は広くて、工場の煙もなく、空気がきれいで、冷えているようでした。月がはっきり と特に綺麗に見えました) 「来てくれただけでうれしい」と手をとりて涙流せる孤独の長寿(101−1) (夫は亡くなっていまして、子供が一人も生まれなかった一人の教会の姉妹が老人ホームに入っていました。奈良姉妹です。お見舞いに行きましたら、「来てくれただけで嬉しい」と言って手をとって涙を流して喜んでくださいました。彼女は93歳の長寿でしたが、家族や友だちもない方でした) 掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第七の六つの詩(ページ) 逝きし人わが父母の友なりき母とも姉とも慕ひ来しなり (103-1)
育ちたる武蔵野の家の夢醒めて父母は近しと声を追ひかく (106-2)
朝毎の日の出の位置は左へと寄りつつ春を招き呼ぶらし (109-3)
空青く水清らかなガリラヤの湖に拾ひし石捨てかねつ (111-1)
幸子なる孫嫁ぐ日の宴にて夫と歌ひぬ「幸ちやん」の歌 (113-2)
冬の陽は廊下に深く射し入りて埃目立たせ主婦を促す (116-2)
掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第八の六つの詩(ページ) 賜りし黄なる八重咲きチューリップ、バレリーナのスカートの如く開きぬ(121−2)
曾孫の初の手離し一人立ち秋晴れにうからの笑ひ声満つ(122−2)
大枝を切り落とされしも梅の木は花五つ六つ付けそめて春(124−1)
夕空が美しと呼ぶ夫の声厨仕事を措きて出で見ぬ(129−1)
冷凍の鮭カチカチに固まりて包丁拒み姿を保つ(129−3)
車駆ける冬陽いつぱいの道の上銀杏の黄葉が一斉にもろぶ(132−2)
掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第九の六つの詩(ページ) 老齢の夫を連れ出す思ひもて八十一歳の免許更新す (134−2)
懐かしきテニスなれども我すでにかく走ること叶はぬ齢なり(137−1 「齢」としと読みます。
父母は亡く帰京するべき家もなし弟すらも幽冥の地に (140−2)
乳牛は機械に摑まれ絞られて温もり知らで乳を出しをり (142−1)
底に沈む侘しさ人は知らぬなりこの集ひに先輩居らず (144−2)
若き日の父の日記を読みてより父に初恋抱きし昔 (147−1)
掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第十の六つの詩(ページ) 幼きは小走りにただ従ひて母と行く道タンポポつづく (149−1)
街の夜の赤き曲線幾筋も映る写真に郷愁のあり (151−1)
山深くわれは来しかな高々と澄みたる空のどこまでも青し (152−2)
声挙げて泣きたき衝動抑へつつ今朝も主婦なり朝餉を作る (156−1)
白波が荒く重なる日本海深き青にて空につながる (158−3)
宇宙なる星に生物ありといふ言葉に尽きぬ魅力覚えぬ (160−2)
掲載するために夕空から柳田姉妹が選んだ第十の六つの詩(ページ) 宇宙なる星に生物ありといふ言葉に尽きぬ魅力覚えぬ。(164−3) 宇宙の星には別の生物がいると言う話を聞くと何か福音とつなげていろいろの想像をします。それがいろいろ興味と希望になって尽きない興味になります。 苛立ちて荒く抗ふ我の手を撫で擦りつつ慰む夫は(170−3) いらだちて あらくあらがう われのてを なでさすりつつ なぐさむ つまは (読み方) 記憶がおとろえて、話がしく伝わらなくなった夫と話していると、気持がだんだんストレスに負けて言葉が優しくならなくなり、いらいらしていると夫は「どうしたのか」と心配して私を慰めてくれるので、私は反省して、彼に優しく接しなければいけないと考えなおします。(歌を作った時の気持) 友の父我より若きを柩にて運び去られつ若葉照る道(172−1) 私の友のお父様は私より若いのに亡くなって柩(ひつぎ)に入れられて、運び去られています。太陽が明るく照って木の葉は若葉で光っている。私はその友に気の毒な気がしています。 賑やかな客送り出し一夜明け五月の陽いつぱいの部屋の寂しさ(175−3) お客さまが来て賑やかで楽しかったのに、翌日は私一人の家になり、五月の太陽は明るいので、なお寂しさが感じられます。 八十歳の誕生日の夜息子たち連れ立ちて来ぬただ嬉しかり(178−2) 息子二人がいっしょに来たのはそれだけで老いた母は嬉しいのです。彼等が誕生日を覚えていたことも。 黄緩褒章頂きし息子陛下よりのお菓子携へ分けてくれたり(179−2) (おうじゅほうしょう いただきしむすこ へいかよりの おかしたずさえ わけてくれたり)読み方 長男は仕事の上で後輩を育てていることを認められ、天皇陛下から黄綬褒章を頂き、記念のお菓子を頂いたのを両親の私達にも持ってきて、分けてくれたことが嬉しかったのです。 夕空からページ180−181 短歌との出会ひは北見志保子先生わが十代の半ばごろなり。(180−1)
十代の稚きときより手ほどきを受けて有難き北見先生。(180−2)
子を負ひて防空頭巾頭にかけ巣鴨よりの道師のもとに行きぬ。(181−1)
初めての歌集に望み待ちしとき若き日のわが歌を怖れつ。(181−2)
温かき思ひやりにて理解さるる先輩歌友より学び知らさる。(181−3)
|