ーディアン

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F・エンツィオ・ブッシェ
Yearning for the Living God
40−41ページ

わたしは父を深く尊敬し,慕っていました。そのため,バプテスマを受ける決意をするにあたって最も難しかったのは,当然ながら父がどんな反応を示すかということでした。確固とした証を持っていたので,父の許しを求めないままバプテスマを受けることもできました。しかし,たとえ喜んではくれないとしても,理解してほしいと思いました。そのような望みを抱きながら,父のもとへ行きました。「最終的に福音を理解するに至り,バプテスマを受けるつもりである」と父に伝えたのは,確かバプテスマの2日前だったと思います。わたしが幼いときから青年期にかけて,真理を捜し求めていた姿を見ていた父は,わたしがこの教会に対して幾分かの興味があることにすでに気付いていました。また,わたしが度重なる病から癒されたときも間近で見ていました。……父は何人かの宣教師にも会い,彼らの正直な態度と犠牲をささげる姿にいくらか感銘を受けていました。父はわたしが宣教師たちと交際していることを喜んでいました。それでも,「バプテスマを受けて回復されたイエス・キリスト教会の会員になる」というわたしの決意を聞いたときに,父がどのような反応を示すのか,まったく分かりませんでした。

 バプテスマを受けることについて伝えたときの父の態度は,非常に真剣で誠意のあるものでした。父はこう言いました。「返答する前に,一晩考えさせてくれないか。明日話すことにしよう。」翌日,父はわたしのオフィスに来て言いました。「おまえに言っておきたいことがあるんだ。質問が3つある。」最初に父はこう言いました。「この教会についてほんとうによく研究したのかい。」

「はい」と,わたしは答えました。

次にこう尋ねました。「時間は十分にかけたのか。あらゆることを調べて,教会を批判しているものも含めて,手に入るものは全部読んだのか。だれかに圧力をかけられてはいないか。」

「はい」と躊躇せずに答えました。

父は言いました。「そうか,それなら選択の余地はないわけだな。実行するしかない。人は自分の確信に従って生きなければならない。そうでなければ,しっかりと立つことはできないからだ。たとえそれが人に受け入れられないとしても,人から理解してもらえないときがあるとしても,自分の確信を信じなければならないんだ。そうでなければ,しっかり立って生きることはできない。」

父の最後の言葉に,わたしはすっかり圧倒されてしまいました。実に独創的な考えです。様々な理由をつけては妥協する人たちが多くいるのに対して,父は,わたしが洗脳されていないか,なんらかの強制を受けてはいないかと心配していました。そして最終的には,わたしの決断を尊重し,心から支持してくれたのです。