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メリディアン 日本語 |
母の歌 第七回 |
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母の最後の年は、自分の家を作るというので、カーペットはこの色がいいだとか、カーテンはこれにしようだとか、とても嬉しそうだった。ところが、二階に住み始めてまもなく胃が痛いと言い始めた。そこで、ぼくの近所の、友達の医者の所に家内と行ったら、胃潰瘍の薬をもらってきた。医者はこれで痛みが治らなかったら、他の検査をしなくてはいけないと家内を通して言ってきた。母は、薬を飲み始めたのだが一向に痛みはおさまらない。母に、検査してもらわなくちゃと言うと、もうすぐ日本に行くから、日本で精密検査をしてくると言って、四月の日本行きを待った。ところが、横浜の市民病院やら従兄弟の病院で検査してもらったのだが、胃には何の異常もないということで、原因がわからずにただただやせていく毎日だった。ぼくは、夏になると、アメリカのバーモント州のミドルベリー大学というところで教えるのだが、とても居心地がいいので毎年両親も一緒に付いてきていた。その年も、日本からすぐにミドルベリーに来ることになっていたので、父と母がやってきた。ところが、あまりに痩せこけて弱っている母を見たぼくはびっくりしてしまった。すぐに、ユタ州の友達の医者に連絡して、ぼくの息子、フォスターと一緒にユタに戻らせた。友達からすぐ連絡があって、腎臓に腫瘍ができている、自分ではわからないからあとは専門医にみてもらったほうがいいとのこと。兄正二と弟正末が一緒に行ってくれたら、結果は最悪のニュース。5センチほどの悪性腫瘍、体力がなさ過ぎるから手術はできないし、放射線治療も不可能とのこと。結局あと二か月から六か月ほどの命だと言われてしまった。8月4日のことだった。父はあまりのショックに倒れて、自分の方が先に行くんだとまで思ったそうである。 いつの日かわからないけど、すぐやってくる死と対面した母は、カレンダーと睨めっこをして自分の目標をたてていた。まず、孫娘レイチェルの結婚式、もう一人の孫娘ミッシェルの伝道への出発、もう一人の孫娘のエミの結婚式、そして孫息子ブライアンの結婚式と、これに全部参加できたら、あとは言うことなしと言っていた。母が最期に息を引きとったのが、ユタでしたブライアンの結婚レセプションの翌日だった。 母が残した歌 この最後の6ヵ月ほどの間に母が残した歌の何首かを、簡単に説明付けして紹介させてもらう。8月4日は医者に膵臓に5センチほどの腫瘍ができていると宣告された日。良性か悪性かはまだ分からないものの、手術もだめ、放射線治療も化学療法も耐えることができないだろうと言われた日。それでも自分の頭にあるのはまわりでいろいろ悩んでいる子供のこと、また看病で周囲の人達に迷惑をかけてしまう自分の死に下手を一番気にしていたようだった。 吾子なれば 善きも悪きも いとおしく 五十男の 肩抱きて泣く。 尚子8月6日 起きて見つ 寝てみつ腰の 痛さかな 加賀の千代女が 笑って居るよ。 半年の いのちと宣(のたま)いし 医師の顔 青き瞳は 穏やかなりき。 8月9日に医者から膵臓癌と言われる。父が自然療法で治すと、放射線治療や化学療法も断わった。母は、「私は痛みさえなければ、あまり無理な事をしても仕方がないのでとにかく痛みがとれれば言う事なしなのだけれど. . . 。」と覚悟を決めている。日本の、懇意にしてくれている中村兄弟というお医者さんや、親戚や友人で医者をしている者から送ってくる坐薬と、これまたいろいろと心配してくれた、親切な兄弟姉妹、友人の送ってくれる栄養剤やら自然療法で、何とか母の痛みを緩和し、体力を減らさないようにという看病が始まるが、どうしても痛みで寝られない。 生きるのぞみ 100%に あらねども 励ます人の ひとみうるわし。 尚子8月13日 痛み眠れぬ 夜半に汝は 未だヨブの 如くならずと 声のきこゆる。 尚子8月15日 涙涸(か)れ 声もかれぬといふ 姉の文に 電話をすれば 敗戦黙祷の刻なりき。 半年の 生命と云われ 頼み事 するにも少し 気軽になりぬ。 RW(リワイン)して 耳を澄ませど テープはただ ね息の如き 音のみ立てぬ。 醜き字 更にみにくく 判読も 思うに任せず 情けなき日々。 尚子8月19日 かきわけて 吾が許にくる 幼児と(2) たわむれし日々 なつかしき日々。 (2)注釈…これは、母が一年以上、弟夫婦の共稼ぎを助けるのに子守したアンディーのこと。 一刻(ひととき)は 経ぬと思いて 時計見れば 痛み堪えしは たったの五分。 東より 西より賜る 栄養剤 受くる事のみ 多き吾が身よ。 その昔 孫にきかせし 子守歌 ねむれぬままに 吾が為にうたう。 尚子9月14日 一筋の 涙流れて 子守歌 残る生命を 惜しむが如くに。 今日も又 生命長らえ なす事も なくて日向に 細き身をおく。 母の10月5日の日記から:「午前1時半まで一眠りしたら、腰や背が痛くて目が覚めた。2時まで我慢したが仕方なく台所へ行ってモルヒネを久し振りで飲んだら痛みはうすらいで楽になったのでねむれるかなと思ったけどねむれそうにない。下手な短歌がいくつも出来たのに朝起きたら皆忘れてしまった。キミさん達今日はいよいよ帰られる日。ついつい涙が出てしまった。よき友!」 よく見れば 同じ樹々なり 立ち枯れの 渇きに弱き 死に様哀れ(3) 尚子10月5日 (3)注釈:アメリカのバーモント州にミドルベリー大学というのがあるのだが、もくが毎年の夏にそこで教えている。非常に居心地がいいのと、緑の山々がきれいなのと、日本語、中国語、ロシア語等いろいろな言語が話せるというので、父と母もそこで夏を過ごすのを楽しみにしていた。この年、水不足で夏にいつもきれいだった樹々が枯れて死んでいく様子を写真で見て歌っている
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