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メリディアン 日本語 |
母の歌 第六回 |
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ブリガム・ヤング大学への留学 しかし、かのアメリカの宣教師、ジョン・D・チェースと父は大反対。ジョンは、ぼくがアメリカに来なければ、すぐにでも日本に来て説得するという手紙さえよこした。父は、どんな日本の大学でも、教会の大学、ブリガム・ヤング大学ほど良い大学はない。絶対アメリカに行かなくてはいけないと一点張り。正二のときもそうだったが、母とぼくが涙で抗議してもまったく聞こうとしなかった。しかし、そのとき言った父の言葉は、ぼくの一生を変えることになった。「正和、おまえは、実は私の子ではない。おまえの年になるまで、天のお父様から尚子と預かって育てあげただけだ。おまえの本当のお父様に祈ってどうすべきか決めなさい」と。幸い、大学を二年間休学することができ、二年だけブリガム・ヤングに行くつもりで日本を出た。アメリカに来て知ったのだが、ジョンは、日本で初めてぼくと兄とに会った時に、わが家の兄弟三人をアメリカに呼ぶのが自分の使命だと感じたということである。彼の日記にはこのことがはっきりと記されてあり、ぼくがいかにもがいてもそのような運命になっていたのかもしれない。ただ、母にとってみれば、ついに最後の望み、ぼくにまで見捨てられたようで辛かったのだろう。ぼくの出発の日にこんな歌を作ってくれた。 易きより苦しみ選ぶ 子の心 汲みてしのびぬ はなれ難きを。
せまりくる 吾子と別るる 日を思い 殊更それに ふれずに過ごす。
言ひしこと なしし仕業あれこれに 思い出美し 別れし後は。
今日もまた 無為にすごせし 我なれど 夕餉の集い すこやかな子等。
行末を 神に任ねて 一日を つとめてゆかん力ある限り。
その昔、はは君の うたいたまえる 子を思い思いて五十年
夢の間にいつしか我が身になりにける。 ははよ ありがたきかな。
その昔ははの手をわずらはしし 三男の遠き旅立ち 驚きたまいぬ。 ははよ ありがたきかな。 尚子、1966年4月21日
横浜教会堂の建築 ぼくが日本を発ったとき、横浜の教会堂は建築中だった。その当時は、アメリカから専門の技術師が一人来て、あとは全部奉仕をする日本人の会員の手で教会堂を建てていた。ぼくたち横浜支部の会員も同様に、日本中から集まった建築宣教師と呼ばれた人達を世話しながら自分達も奉仕をして建築活動に携わった。この建築宣教師の食事や洗濯の係をしたのが婦人の組織、扶助協会というのだが、その会長に母が召された。この召しをくださったのが、当時支部長をしていた柏倉兄弟。ぼくが受験中、建築現場でよく数学問題やキリストの教えなどを説明してくれた、ぼくの大好きな兄弟だが、母がこのとき、「あなたは私の家を破壊するつもりですか」と言ったそうである。それでも、一度召されると、忠実に自分の召しをまっとうするのが母である。こんな母を天のお父様が見捨てるわけがない。子供達をアメリカにとられたようなものの、実際には計り知れない恵が待っていたのである。 家族の結び固め
このあと、兄正尚は、ロサンゼルスで会計士として仕事をし、正二は数学の教授としてハワイのブリガムヤング大学へ、ぼくは伝道でブラジルへ、残りの家族は日本へ帰国というように家族が四方八方に散って行くのだが、母にとってもこれはすべて御心と見ることのできる霊的な眼鏡ができたようだった。母が、このように点々ばらばらになった家族を、「神殿で結ばれた家族だから、皆がどこに行っても、同じ星を見ながら、同じ方向に歩いている限り、日の栄えで一緒になれるのよ」と、地球の裏側で伝道をしていたぼくに励ましの手紙を書いてよこした。 神殿宣教師としての奉仕 子供達が全員育ったあと、父と母は、専任宣教師として、10年ほど神殿の奉仕に献身した。まず、1978年にハワイの神殿とビジター・センターで、1980年に東京に神殿が献堂されると、東京の神殿で、そして、1984年に台北の神殿が完成すると、そこで神殿の奉仕をした。昔の中国での経験もあって、台湾の人々や同僚がとてもやさしくて気に入ったらしく、1990年の5月までというように、台湾で三期伝道生活を続けた。ぼくが台湾に無理やり連れ戻しに行かないと台湾に骨を埋めるのではないかとまで思われた。 母の最期の年 台湾から帰って来て、最初はどうもアメリカに永住する気にはなれなかったらしい。あんなにぼく達には厳しくアメリカに行けと言った父ですら、住み慣れた横浜や教会員、近所の友達、親戚と別れたくはなかったらしく、冬は、アメリカの子供の家を転々とし、夏になると横浜の家に帰るという生活を二、三年繰り返した。母いわく、「アメリカにいると英語がわからなくて唖、つんぼの生活だけではなく、車がないからあしなえの、全くの不具者だ」と言ってぼくを困らせていたが、ついに、「やはり最終的には家族だね」と納得し、わが家の二階を増築して、一緒に住むことになった。その新築の二階が完成して一年足らずで膵臓癌となり、この世を去って行ったのである。
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