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メリディアン 日本語 |
母の歌 第九章 |
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自然療法は、食べるものがとても限られている。本で読んだり友人から聞いた、癌に良いと言われている食事法をしていたが、母はあまり自我を通さなかった。でも、この頃から錦松梅が無性に食べたくなったと言って、友人に日本からわざわざ送ってもらった。 贈られし 錦松梅は この日頃 我の欲り居し 故郷の香り。 何時の日か 元へ戻さむ 日もあるか ベルトの穴を 二つせばめぬ。 今日も又 眠れぬ夜半を 駄作する いつしかそれが 性(さが)とはなりぬ。 尚子11月3日 先人の 犠牲なくして 進歩なし 負うた娘に 訓(おし)えられ 今日も暮れゆく。 尚子11月4日 ともすれば 弱りがちなる 我が心 見透すような 友の文届(つ)く。 肉断ちし 吾が為友は 遠くより 海老購(あがな)いて ぎょうざ作りぬ。 新薬の 効きしが今は すがすがし 人皆眠る 夜半にはあれど。 難病に 苦しむ人の 数多く キャンサーでよかったねと 嫁は吾を慰む。 天に宝 積む人積ませる 人ありて 我は遂に 積ませるばかり。 尚子11月5日 長らえて 我の為すべき 事ありや 眠れぬ夜半に 自問自答す。 痛み止め ダブル用いて ようやくに 痛み和らぎ 心和みぬ。 ようやくに 時計の針の 見え始めて ぬばたまの夜の やみは去りゆく。 人皆の 我に向けたる 面(おもて)には 愛と恵みの 充ち満ちてあり。 尚子11月6日 嫁なるに 娘の如く 我がままの いいたい放題 我は姑なり。 いじわる婆さん して居て欲しいと 嫁はいう 姑さんらくして その方がいいと。 正尚の三女エミは、小さいころ、母がやはり兄夫婦の共稼ぎを手伝うために面倒をみてやった孫娘である。アメリカ育ちで日本の文化には疎いが、丁度、結婚前で日本の両親の家に行っていた。エミが鶴を千羽折れば病気が治ると聞いて、母のために千羽鶴を作り始め、日本から送ってよこした。それを弟夫婦が母の病室に飾った。 正末が飾り 順子が口添え エミの鶴 吾が病室を 飛立つ如く。 尚子11月8日 はるけくも 大海原を 越えて来し 鶴はやぬちを かくもよそおう。 尚子11月28日 一羽 一羽 真心こめて 祈りくれし エミの願いに 胸を打たるる。 一日おいて 又下痢はじむ 我が体 何時になったら 栄養のつく。 尚子11月8日 温かき ソフト便座に 子等の愛 肌身に泌みぬ 激やせの吾れ。 尚子11月9日 今宵又 寒さ増すらし ヒーターの サーモスタット しきりに作動す。 尚子11月9日 親らしき 事何一つ せざりしに 子の思を知る 病に臥して。 尚子11月12日 昔から懇意にしてもらっている教会の姉妹に、当真操姉妹という方がいる。沖縄で改宗され、お子さんが小さい頃ご主人に亡くなられて、母の手ひとつでお子さんを教会で立派に育て上げた。アメリカに住むお孫さんの結婚式のためにいらして、母の見舞に来てくれた。 11月12日の母の日記から:「主人11時頃帰って来たので可笑しいなと思っていたら、何と当真操姉妹と邦夫兄弟とお二人のお子様と一緒に来て下さった。操姉妹のお得意の巻ずしはまるで素人ばなれしていて買って来たもののよう。又、沖縄のこぶ巻、そしてお見舞までいただいた。12月にいらっしゃるとは木村兄弟(お孫さんのご主人)からお聞きしていたもののこんなに早くお目にかかれるとは思いがけなかった。彼女は、心臓がお悪く、又、足の軟骨がもうすりへって歩行が困難とのこと。皆さんにささえられてやっと来られたのに感激感謝の一瞬だった。」 不自由な 足をひきずり はるばると たずね賜いぬ 旧きよき友。 尚子11月13日 畏友なり 尊友なり尊愛し やまざる友よ 当真操姉妹!! 12月5日「今朝早く未明、操姉妹が心臓まひで亡くなられたと言う。主人は日曜学校でお会いできたのに、ショック!!いよいよ私は死に下手。こちらでお通夜だけ済ませ御遺体は日本へ運んで日本でお葬式だとのこと。何という---お孫さんの御結婚式のためにおいでになったのに---間に合わず、というより、待ち切れず。先月お逢いしたのが最後になった。あの時こちらに来て体調がよくなったと言われていたけど---でも、彼女は私のお姉様。私を迎えてくださるでしょう、喜んで。御主人と積もるお話しておられるかしら---。」 病床に 我を訪ねし 朋友の訃報 神の御旨は いずこにやある。 尚子12月5日 よきともの つぎつぎと逝くなど 我を供に せざるかこの 苦しみの世に。 尚子12月9日
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