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メリディアン 日本語 |
母の歌 第10章 |
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わが家からロッキー山脈の一山、テンプノーガスという山がとてもきれいに見える。特に、雪のかぶさった山に赤い夕日がかかると、反射する雪の色が変わり何とも言えない光景である。父も母も自分らの二階からこの景色を見るのが大好きで、母も寝室から亡くなる直前までこの景色を見ていた。11月13日は、夕焼けの空に雲のすじびきたる姿が映画のようにきれいで、足に車のついた、台所の椅子に母を乗せて、東の窓、西の窓と家中を押して回った。母は、「あらきれい、あらきれい」を連発。 夕焼けを 見せたしと吾子は 椅子にのせ 窓よりの景観 胸に刻みぬ。 尚子12月9日 夕焼けの 大パノラマを 見せんとて 椅子車にて 室内(ヤヌチ)を廻る。 長期戦 覚悟すべしとの御託宣 業深き我を ひたすらはじぬ。 母の楽しみは、子供や孫達が集まることだった。特に、エミとブライアンの結婚式に家族と参加するのを目標にしてきたので、一応飛行機の切符はとってあった。行ける体調だったら、車と車椅子で全然歩かなくても身動きはできるからとは言ってあった。 外国の 言葉なれども 子等の話す 英語は我に 快よきひびき。 尚子11月18日 ごめんごめんを 連発する 夫哀れ 以前の彼に 無きことにして。 出発の 定かならざる 切符手に 心は浮世を 右往左往す。 だんだんだんだん坐薬も効かなくなり、自然療法もほとんど効果を示さなくなってきていた頃、仙台の教会の親しい友人からとても高価な癌のための薬というのが送られてきた。心から感謝しながら、ワラをもつかむ思いで、その薬と療法に忠実に従ってみることにしたのだが、体調悪化。 わが選び 正しからざるか 看取るらの 皆一様に 難色を示しぬ。(新薬) 尚子11月5日 今日も又 生きて行くなり 横たわり 我と我が身を もて余しつつ。 尚子11月20日 薬効を ただ僥倖と 願いつつ 半信半疑の 薬とるなり。 尚子11月27日 天に宝 積む友数ありて 我は唯 恥いるのみの 毎日にして。 今は唯 永き休息(やすみ)を 願えども 天(あめ)なる神は 許したまわず。 大往生 永遠の眠りを 願いつつ 眠れぬ夜半の 長きをかこつ。 幾ばくの 生命なりとは 思えども 結婚式とは 重ならせ賜うな。 他人事の ように我が死の こと語り合う 癌なればこそと 感謝するなり。 母と娘が 死に様の事 語り合い そばで孫達 声揚げて笑う。 親らしき 事何一つ せざりしに 子嫁孫迄 われにやさしき。 尚子12月5日 久々に 夫の鼾(いびき)を たのしみぬ 鎮痛剤の ききたる夜は。 尚子12月6日 ねむられぬ 夜も又楽し 痛みなく 薬の効きめ 感謝しながら。
母が亡くなる一日前の1月21日、苦しそうにしている母に聖子が「お母さんは、イエス様の胸に抱かれるのね。」と言うと、「私のイエス様はお父さんなの」と答えた。 うとき人と 云われし夫と 56年 我は日本一の 仕合わせ女房。 尚子12月6日 計らずも キリスト様は 傍に居て 我と痛みを 分かちておらるる。 いと高き 父なる神を 拝み居て 身近におわす キリスト忘るる。 疲れはて 我によりくる 時夫(つま)は すでにまなこを 半分とじおり。 尚子12月9日 糞も尿も すべて始末させ 先へ逝く 悪妻のきわみ ゴメンネ旦那さま。 尚子12月22日 いとけなき ひまごら我に 来る時は なにがしかもの 欲りし時らし。 尚子12月9日
母は、前から火葬にされるのを嫌っていた。母の父親が亡くなったとき、ぼくは、家に残った一番上の子供というので母のお供をよくした。父親のお棺の扉に最後の釘を泣き崩れながら打つ母や、火葬場で灰になってしまった父親の骨を虚しく拾う母の姿は忘れられない。そんなことから、母が、「火葬だけはなりたくないね。」とよく口にしていた。母は、土葬のアメリカの方が、いいと決めていたものの、まさか母の埋葬地を決めてきたと言い出すわけにもいかない。おまけに、日本にほんの小さい、教会のお友達と隣り合せに買った墓地がある。母の死後どう始末すべきか、どんな具合に切り出して相談しようか迷ったが、まず、お墓は、オレムの町、そして髪と爪をぼくと父で日本に持っていく事に母の承諾を得た。最終的には、大体母の体が弱り果ててきた12月の末に、丁度正徳叔父が見舞に来てくれたので、叔父に見てもらって、母の部屋の北側の窓からよく見える墓地に、母だけでなく、父とぼくと家内の墓地を四箇所並んで購入して母に報告した。 分骨を したしと思う 子等の為 爪切るを少し 控えて見むか。 尚子12月15日 生命の日 先細り行くを 自覚せり 感謝を皆に 残しおかまむ。 北向きの 我が病床に 戻り来て 安らぎを得ぬ 常の景色(気色)に。 炊飯の 匂いかくも いとましきか 我は50年余 飯炊きにあらずや。 我が思い ならざる便の もれいでて 夫を呼ぶのも 呼び兼ね居たり。 又痛み 差し来る時の せまり来て 嘔吐の器 眼(まなこ)で探しぬ。
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