メリディアン

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母の歌
渡部正和

第11章

 

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分骨を したしと思う 子等の為 

爪切るを少し 控えて見むか。

尚子12月15日 

生命の日 先細り行くを 自覚せり 

感謝を皆に 残しおかまむ。 

北向きの 我が病床に 戻り来て 

安らぎを得ぬ 常の景色(気色)に。 

炊飯の 匂いかくも いとましきか 

我は50年余 飯炊きにあらずや。 

我が思い ならざる便の もれいでて 

夫を呼ぶのも 呼び兼ね居たり。 

又痛み 差し来る時の せまり来て 

嘔吐の器 眼(まなこ)で探しぬ。 

ロッキーの冬の山は、スキー客などでとても賑わう観光地だが、その反面、天候の変化が急なのと、吹雪けば厳しい山なので、雪崩で遭難したり行方不明になる人が多く出る。わが家の上も救急ヘリコプターがよく飛ぶのだが、母にとってはその音が何とも言えない響きを持っていたに違いない。 

今日も又 探す人あるらし ヘリコプター 

夜のしじまに 音ひびかせつ。

尚子12月18日 

物皆の 色無くなりぬ 寂しさの 

果てなん国を ひたすら恋ぬ。 

母の最後のクリスマスには、いろいろな人から山ほどのプレゼントとお見舞をいただいた。母を子供のように喜ばせた物の一つが、ヘリウム入りの風船で花のように作り上げた贈り物である。「和ちゃん、昨日ね、全然眠れなかったの、痛くて。でもね、あの風船がね、夜ふわっとわたしのそばに飛んできてくれたの。嬉しかったわ。人のようにすり寄って。」 

友の賜ひし 風船我に 近寄りて 

物云いたげに 生命あるもののごと。

尚子12月21日 

人みなの ねしずまりたる 此の夜中に 

我を訪ねし 風船あわれ。 

母は、皆と一緒に歌を歌うのが大好きだった。小さい頃バイオリンを習いたかったのだが、会計士の父親にとって音楽などあまり金にも得にもならないと思われたのだろう。幼心の夢がつぶされても、僕達子供達と賛美歌や唱歌やナツメロを歌うのがとても好きだった。ぼくが高校の頃、聖子の伴奏で、ぼくが家庭教師をしていた生徒達とクリスマスイブにクリスマスの歌を歌ったのをよく覚えている。母の最後のクリスマスを前に、聖子の長女、輝美がバイオリンを持って母を慰めに来てくれた。 

思いっきり クリスマスの歌 唱いたり 

孫の奏でる ヴァイオリンにあわせて。                                  尚子12月21日 

ついに、坐薬、モルヒネ、自然療法と、手を尽くして試した療法が功を奏さなくなって、最後に試みたのがコンニャク療法。これもまた友人に聞いたのだが、熱さがコンニャク全体にしみとおるぐらいになるまでおでんのようにぐたぐたと煮込み、それを手拭かタオルで巻いて用意する。一方、琵琶の葉の表面を熱い火であぶり、それを痛みをもよおしている部分にあてがう。その上に熱いコンニャクを置く。コンニャクが熱を失っていくと効果がなくなるのだが、冷めたら次の熱いコンニャクで置き換えるという療法である。これに琵琶の葉を焼酎につけた湿布も併用すると効果があるとのこと。日本から送ってもらった琵琶の葉と湿布を使ってこの療法を始めた。最初はかなり効き目が出たらしく、母も痛さが和らぐと言うので、ぼくたちも、琵琶の葉だけではなく、コンニャクまでこがしたり、これからおでんも食べられなくなるねなどと言いながら、必死になってコンニャク療法を続けた。ところが、あまりに早く使うので、コンニャクやら琵琶の葉がすぐに無くなってきてしまった。幸い、同じオレムに住む日本からの友達がコンニャクの作り方を知っていてコンニャクの方は十分供給が間に合ったのだが、この冬時に琵琶の葉がユタの山中でそう容易に手に入るわけがない。日本の福岡のお友達、松阪の伯母、長野の友人のところにお願いして届けてもらうことにしたが、時間がかかりそうだった。幸い、家内のハワイの実家、山村家には琵琶の木があるというので、早速電話でお願いして送ってもらうことにした。78歳になる山村のお母さんがあくる朝早く琵琶の葉を採り、飛行機の宅急便で送ってくれたのが元旦の次の日。この時の歌が母のこの世での最後の歌になってしまった。 

痛みには 殊更弱き 我なれば 

お手やわらかに 願いたきものを。

尚子12月23日 

琵琶の葉に こいこがれつつ 虫の息 

命の綱を 絶たれし思い。 

尚子1月2日 

はるばると 海を越えにし 琵琶の葉は 山村の母の 丹精しもの。 

山村の 母上の後ろ姿の 浮かび出て かたじけなさに 手を合わせたる。 

こぶのごとく こんにゃく抱き ねむる夜は 宵の寝覚めの 苦しかりけり。 尚子1月5日 

この後、もう一首、作りかけた最後の歌は、「たらちねの 母に向かいて 言うことなし、. . .」だった。 

1月21日は母があまりに苦しむので、兄正二と弟正末とぼくと父の四人で代わる代わる神に祈った。祈った内容は、それぞれ、異口同音に「お母様ご苦労様でした。ありがとうございました」だった。特に、兄は、神に母をこれ以上苦しめないで天に行かせてくださいと嘆願した。翌朝、父に抱かれて母は昇天した。ぼくが最後に母に、「お母さん、ありがとう」と言ったときに、何のことばも返って来なかったが、目に涙を一つ残して、最後の息をひきとった。孫ブライアンの結婚式のユタでのレセプションの終わった翌日だった。