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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史 アンデセン伝道部会長ーI |
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日出づる国と共により 第六章 アンダーセンの歴史記録 森駒枝に送られた口述史 二〇〇六年の二月三日、ユタ州プロボ在住のドゥエイン・N・アンダーセンから、日本における経験を話された歴史記録が森駒枝のもとに送られて来た。それは一九七三年八月三日と同年八月十三日に、教会本部歴史記録部のR・L・ブリッチとのインタビューによって収録されたものであった。また数週間後に、アンダーセンの生涯に関する多くの資料や新聞記事なども彼女の手元に届いた。 「私は資料に目を通しアンダーセン兄弟が、いかに日本の教会発展のために尽くされた方かを知ることができた。同時に日本人の会員たちにも長老の伝道の歴史をぜひ知ってもらいたいと思っていた矢先に、出版会社社長の福永兄弟から、Eメールが入った。『ハワイ神殿訪問に関する書籍の出版計画』についてであった。神様が私の祈りをお聞きになられたと強く感じ、福永兄弟にアンダーセン兄弟の件を伝えたら、大変喜んで下さった。また、アンダーセン兄弟のハワイ神殿訪問に関する資料の翻訳を依頼されて、私の心は喜びに満たされた」と森駒枝は語る。 I-ハワイ伝道部へ 私ドゥエイン・N・アンダーセン(Dwayne N. Andersen)は、一九二一年三月十一日ユタ州ブリガム・シティで生まれた。 ブリガム・ヤング大学で、二年を終了し二十歳の誕生日を迎えた私は、心の中に伝道に出て主に仕えたいという気持ちで燃えていた。その年の夏、証会で、私は伝道の大切さについて強い証を述べた。もし自分がその時、伝道に出なければ戦争に召集され、伝道の機会を逃すに違いないと思ったからだ。 一、二ヶ月経って、私は、アルゼンチン伝道部への召しを受けた。アメリカ合衆国のパスポートからすべての準備を整えて、ソルトレークの伝道本部に入る二週間前のこと、ヒーバー・J・グラント大管長から手紙が届いた。そこにはアルゼンチン伝道部からハワイ伝道部に変更されたことが記されていた。当時、アルゼンチンは、宣教師にビザ発行拒否を始めていた。 生まれて初めて汽車に乗り、サンフランシスコに行った。海原を見たのも初めてだった。私の他に六人の宣教師たちが一緒に旅をした。三人はハワイ伝道部に、他の三人は、ハワイにある日本伝道部だった。 一九四一年十一月二十三日ホノルル港に船が着いた時、大勢のダンサーやシンガーを乗せた小船が近づいてきて、歌と踊りと美しいレイで私たちを歓迎した。船はタグボートで桟橋に静かに引かれていった。 桟橋では、ハワイ伝道部のコックス伝道部会長と、日本人伝道部のジェイ・C・ジェンセン伝道部会長が迎えに来られていた。私たちは、桟橋でハワイ伝道部と日本人伝道部(ハワイ在住十五万人の日系人を対象。日本は伝道部閉鎖中だったが日本本土も含まれていた。編者注)に分かれて二列に並んだ。伝道部会長が、リストを見ながら一人一人の名前を呼ぶが、私の名前は呼ばれなかった。一人残って立っていると、コックス長老が『あなたは誰ですか』と尋ねた。私は「アンダーセンです。私の伝道地をグラント大管長が、アルゼンチン伝道部からハワイ伝道部に変更しました」と伝えると、「では、あなたの言うことを信じましょう」とおっしゃられた。 私の最初の伝道地は、ハワイ島のラウパホエホエだった。ハワイに着いて二週間目の一九四一年十二月七日、オアフ島の真珠湾に、突然爆弾が落された。神権会を開く寸前のことである。美しい日曜日の午前八時頃だった。アメリカ合衆国は直に日本国との戦争を宣言。この宣言で、ハワイへの宣教師派遣が中止された。ハワイ伝道部と日本人伝道部が合併した状態になり、ハワイ伝道部の宣教師もハワイ在住の日本人に福音を説いてもよいという許可が出された。 真言宗熊谷僧侶との出会い 当時、ハワイでの伝道中の経験が、私の人生を変えるとは夢にも想像できなかった。 一九四三年のチャーチ・ニュースにリチャード・W・マディセン長老の、「ハワイの日本人末日聖徒の話」と題した新聞記事に私と熊谷僧侶のことが書かれているので要約する。 「……アメリカの地で生を受け、学校に通った若き日系二世たちは、初めて親の反対を振り切り、キリスト経の真理を渇望している。真のイエス・キリストの教えを千人以上の傑出した若者が受け入れ、さらに多くの若人たちが回復されたイエス・キリストの福音を探究している。彼らの宣教師の働きをすべきであるという望みと喜びの素晴らしい証は、ハワイの教会員の心を喜ばせている。…… マウイ島の西海岸に面した、人口八千人の暑く乾燥しきった小さなラハイナ村で起きた、奇しき注目される出来事がある。
私は伝道部会長に次のように手紙を書き送った。 「私は伝道部会長に、仏教寺院の僧侶に関する最近のニュースをお知らせいたします。彼は妻帯者で四十五歳くらいの僧侶です。五人の子供がいます。大変教養があり、学問に秀でています。毎週の英会話の勉強会で教会を代表する私に、とても関心を寄せています。私はモルモン書と信仰箇条の日本語版を、熊谷僧侶に贈呈しました。それは、先週のことです。今日、訪問しましたら、僧侶は私のところに急いで来て、『私は、モルモン書を読みました。この立派な教えを私のお寺で日本人たちに教えたいと思います。この経典は真に素晴らしいものです』と、言われたのです。私たちの英語のレッスンが終わった後、『あなたは、日本に行きたいですか』と聞かれました。私はしばらく躊躇 しました。『はい、いつか日本に行きたいと思います』。すると、目を輝かせて、『戦争が終わり次第、あなたを日本に連れて行きましょう。あなたが、日本人にこの本のメッセージを教えてください。私たちは日本人に、彼らが幸福になるために、真のキリストの福音を教えましょう。系図を探究して、真の教えを知らずに他界した先祖のために、バプテスマの儀式を施しましょう』と、真面目な顔で熱心に言われました。私はすでに一度は伝道に出ているので、再び伝道に出る機会はないことと、日本でも宣教師の働きが行われていたが、残念ながら今は閉鎖されているので、再び宣教師たちが日本に行き、真のキリストの教えを伝える日が訪れることでしょうと、話し、『私はあなたと、同行することは不可能ですが、戦争が終わったら、他の宣教師があなたの助け手となるでしょう』と、告げました。熊谷僧侶は『私の幼い三人の娘たちは(他の二人はホノルル在住の学生)、来週の日曜日に子供日曜学校に出席することになっています』とおっしゃいました」。 私が転勤した後、熊谷僧侶とのコンタクトは残念ながら途絶えてしまった。伝道を続けていたら、アメリカ合衆国の兵役に就かなくてもよいことになり、二年の伝道が終了した後もしばらくは伝道地に留まった。三年目を迎えた一九四四年に、帰国して陸軍を志願することにした。
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