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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

アンデセン伝道部会長ーVIII

 

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日出づる国と共により

X-ハワイ空港での歓迎 

ハワイに到着した時、国際色豊かな百人以上のハワイの会員たちから歓迎を受けた。飛行機から降りて外に出た時に、たくさんの美しいレイとハワイのキスで一人一人が大歓迎された。日本からの会員たちにとっては、本当に夢にも想像しなかった喜びと驚くべき出来事であった。ある会員たちは、レイで顔まで埋め尽くされて、周囲を見ることすらできないくらいだった。その後は、ハワイアン・ミュージックとフラダンスで、恥ずかしがり屋の日本人の会員たちまでが、一緒にフラダンスを踊り、彼らの心暖まる歓迎に応えていた。 

バスに乗って、空港を後にした。ライエのチャーチ・カレッジ・オブ・ハワイの寮に聖徒たちが着く。ハワイ滞在中は大学寮で食事と宿泊をした。 

 佐藤龍猪兄弟は、ハワイ神殿で朝夕、断食と祈りを通して、日本からの聖徒たちが、聖なる神殿の儀式を母国語で受けられるように頑張られた。翻訳が終わって、役に相応しい会員たちにより神殿の儀式はテープに吹き込まれた。佐藤兄弟は、そのテープで主役をされた。そして、神殿訪問で会員たちが神殿のセッションを受けた時も、佐藤兄弟が重要な役目を果たされた。 

ハワイ神殿 

 ハワイ神殿ビジターズセンターの会場で、全員が集まって、短時間の集会を持った。神殿の儀式の部屋では、日本の聖徒たち全員を収容することができず、二つのグループに分けた。一つのグループがエンダウメントを受けている間に、他のグループは、死者のバプテスマや他の儀式を施すという計画を立てた。

一九六五年七月二十三日の早朝、最初のグループが、神殿での儀式を受けた。彼らがイニシャトリーの儀式を終わって白衣に着替えた後、神殿の中の小さい集会場で会を持った。全員の心は喜びに燃えていた。ハワイ神殿の中での最初の会で、第二カウンセラーの渡邉驩兄弟が閉会の祈りをするために立ち上がった。数分間彼の口から、何も言葉が出て来なかった。彼は立ち尽くしたまま、涙を流していた。全員が御霊に包まれて涙を流した。 

日本人は感情を表現しない民族だと言われるが、福音に関して、深く心を打たれた時は、そうではないことがわかった。 

日本人の聖徒たちは、神殿訪問を果たすために、熱心に働いた。神殿訪問の夢が叶えられた時、神殿の中に入っていながらも、夢を見ているようなおももちであった。当時、彼らは自分の年給の全額か、またはその半額の費用を出して、自分たちの夢を実現させたのである。 

渡邊兄弟の祈りの後で、ポール・C・アンドラス長老(日本で、マース伝道部会長の後の伝道部会長)が最初の話し手であった。アンドラス伝道部会長も、涙の雨に濡れ話せなかった。 

日本人の聖徒たちは、神殿の儀式が終わるまで、全員の涙は止まることがなかった。各部屋に彼らの涙用に、ティッシュの箱を置く必要があった。過去においてハワイ神殿の中で、あれ程に涙の洪水で溢れたことは今まで、あり得なかったことだと思う。クリソルド長老(日本で戦後ナ初の伝道部会長)は、「今までにどの聖徒たちよりも、このグループは霊的にも物質的にも、神殿に入る準備が備えられている」と、言われた。 

彼らが神殿の中で最も涙が止まらなかったのは、家族がひざまずいて、結び固めの儀式を受けた時だった。 

ヒンクレー長老がハワイにいらして、幾人かのシーリングを施して下さった。その時に強く霊的に満たされた気持ちを実現することは、不可能だった。日本人の聖徒たちは、神殿を出て宿泊していた寮に帰りたくなかった。彼らは神殿の中にずっといたかったのだ。彼らは、その後続けてエンダウメントのセッションを受けた。ある会員は英語でセッションを受け、他の会員は、テープに吹き込まれた日本語でセッションを受けた。彼らは二つのグループに分かれた。一つのグループがセッションを受けている間、他のグループは子守役か、または死者の為のバプテスマを受けた。 

 百三十四人の会員がエンダウメントを受けたことを、覚えている。約二十七人の子供が含まれていたと思う。乳児、幼児、そして大人を合わせて、合計百六十五人がハワイ神殿に旅立ったと記憶している。