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メリディアン 日本語 |
日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史 アンデセン伝道部会長ーVIII |
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日出づる国と共により XI-ライエ・ステークとワード ハワイ行きの第一の目的は、神殿訪問であった。それから、日本人の聖徒たちが、教会における組織の全プログラムを体験することである。ハワイの会員たちと一緒に、ライエ・ステークの会合に出席し、家族の夕べ、ホーム・ティーチングなどのプログラムに参加することであった。私たちはハワイの祝福師たちに、祝福文を与えて下さるように依頼していたので、ほとんどの会員たちが祝福師の言葉を受けることができた。 日曜日には、支部会長たちをハワイのビショップたちと一緒に、日曜日のあらゆる会合に出席させた。日曜学校の会長会は、日本の聖徒たちをワードやステークのハワイ会員たちと組み合わせて出席させた。彼らは、ハワイの指導者たちと共に行動をすることによって、教会のワードやステークの組織がいかに運営されているかを経験できた。 ハワイの会員たちが、ルアウパーティ・プログラムを開いてくれた。オアフ・ステークの会員たちがたくさん集まった。この上ない歓迎とご馳走、霊的な糧、そして素晴らしい贈り物などで、日本の聖徒たちをもてなした。 ある夜ショーを開いて、そこで募った千ドルもの代金を私たちに、オアフ・ステーク会長が寄付してくださった。オアフ・ステークから、受けた千ドルで、神殿訪問した聖徒たちのためにガーメントを購入した。 私たちは、ポリネシアン文化センターのナイトショーを見学に行った。太平洋諸島の各地から集まった、BYUハワイの学生たちや市民から構成されているナイトショーの劇場で、ポリネシア諸島の民族ダンス、歌や多くのショーを楽しみ、心の底から爆笑し、感激のあまり拍手喝采をした。 証会 最後の土曜日は、オアフ島を一日観光し、翌日の日曜日はホノルルの会員たちの家でホームステイをした。そして、最後の夜の送別会は私たちの証会であった。全員の日本人会員が証を述べた。その時の彼らの証を録音していたら、大変貴重な記録となったであろう。残念で仕方ない。日本人夫婦の兄弟姉妹が一緒に手をつないで立って証を述べた。本当にその光景には感動させられた。なぜなら、当時日本の風俗習慣では滅多に、夫婦が公衆で、手をつないだりすることはなかったからである。神殿への往復で彼らはお互いに手をつないで歩くようになっていた。 証会で、ある兄弟が次のような証を述べた。チャーター機が真珠湾の上空を飛んでいた時に、彼は真珠湾を見下ろして、ふと独り言をもらしたそうである。「真珠湾を攻撃した日本人の私たちは、ハワイでどのような扱いを受けるのであろうか」と。私たちが、ハワイの地に上陸した時に、「ハワイ空港での歓迎」で述べたように、彼もレイとキスでもって歓迎をされたのである。それは、彼の人生で、最初に受けた歓迎のキスと温かい抱擁であった。彼は証で、「私は、兄弟愛について聞いてきました。でも、それが何であるかはわかっていませんでした。今では、兄弟愛が何であるかがはっきりとわかります。私たち日本人は、ハワイの民を爆弾でもって滅ぼそうとしたにも関わらず、ハワイの兄弟姉妹たちは、私たちに真心からなる親切と慈愛を示して下さいました。私は、皆様から受けたこの兄弟愛を他の人々に分かち合いたいと思います」と述べた。 帰国 翌日、一九六五年七月三十一日月曜日の朝、ホノルル近辺の会員たちが、ホノルル空港に私たちを送って行った。空港で、滝のように出る涙で顔を濡らしながら別れの挨拶を交わした。国境を越えたハワイと日本の聖徒たちが、神様の教えの中で心を一つにして、強い兄弟愛の絆で結ばれたのである。 私たちがハワイを出発する前に、オアフ・ステーク会長会のカウンセラーが、「日本人は、ライエの地で、ハワイの教会員にどれ程の霊的な糧を与えたでしょうか。今までにこのような出来事はありませんでした。日本からの聖徒たちは、私たちの霊を高めてくれました」と言われた。本当にあのハワイ神殿訪問は、日本からの会員たちに多くの霊的な経験を与え、そして、ハワイの聖徒たちも霊的な成長を遂げる機会に恵まれたのである。 山中兄弟逝去 「山中兄弟の支援援助があったからこそ、このハワイ神殿訪問は実現できたのです。一九八〇年、私は、東京神殿会長として召されて日本に行きましたので、山中兄弟を訪ねました。その時、山中兄弟は、年老いて施設に入っていたのです。東京神殿は、ほとんど完成していました。施設で山中兄弟の外出許可をもらって、東京神殿に彼を案内しました。私が東京神殿会長時代に彼は他界しました。一九八一年三月十日が、山中兄弟の葬儀の日でした。私は出席しました。 今でも兄弟の大いなる教会での働きが、次から次へと、頭の中に浮かんできます。 山中兄弟は、早稲田大学の学長や武蔵野市の市長にも候補になられた素晴らしい人物でした。彼の妻子は誰も教会の会員にはなりませんでした。それにも関わらず、彼は、平塚から東京伝道本部まで来られ、週に何日も何の報酬も問わずに、ハワイ神殿訪問のプロジェクトの為に頑張られました。彼は、私を励まし助けてくださいました。神が必要な時に必要な場所で必要な兄弟を、私たちに与えて下さったのです。その兄弟が山中兄弟だったのです」。
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