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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

アンデセン伝道部会長ーIII

 

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日出づる国と共により

 第六章  アンダーセンの歴史記録

森駒枝に送られた口述史 

III-第二回目の伝道日本

十二使徒のハロルド・B・リー長老から面接を受ける。長老は、私の書類から目を離し、家内のペギーに振り向いて言われた。「アンダーセン姉妹、あなたの夫が二年間も家を留守にしますが、それでも、構いませんか」。ペギーは、躊躇もせずに「はい」と返事をした。「あなたは、どこに伝道に行きたいですか」とリー長老に聞かれた時、私は、熊谷僧侶の言葉が蘇ってきて答えた。「はい、日本に行きたいです」。伝道の召し、それは日本伝道部であった。ディクソン中学校で教えていたが、二年間の休暇を取った。当時、日本の伝道は三年だったが、私の伝道の召しの通知には、二年と書かれていた。 

六週間の間にすべてを準備して、伝道本部に入った。愛する妻が伝道本部から別れを告げて去っていく後ろ姿を見た時、妻と十八ヶ月の幼い娘を残して行く心の中は、悲しみで胸が張り裂けそうだった。 

私の他には、誰も日本伝道部に行く宣教師はなく、独り旅だった。日本に行く船は、途中ハワイに立ち寄った。 

一九五一年十月二十八日、横浜港に到着。汽車で横浜から東京の伝道本部に行く窓には、戦争の傷が癒えない、崩壊したままの家並みや建物など灰色の世界が、広がった。その日は、雨が降る陰鬱(いんうつ)な日曜日であった。 

伝道部会長は、ヴァイナル・G・マース長老で、最初の伝道地は東京の池袋だった。同僚はハーリン長老で、二人は相良千代(尾古ちよ)姉妹の家に住んだ。相良姉妹が食事から掃除、洗濯の世話役をして下さった。 

私は日本伝道部(日本と沖縄)で、一九五一年から一九五三年まで伝道した。日本語を習得することはとても困難であった。特に、私は他の宣教師たちよりも年齢が上だったせいもある。日本に着いて五ヶ月程経ち、マース伝道部会長が、私を彼のカウンセラーに召して下さった。 

 当時、日本在住のアメリカ進駐軍は、二千人程だった。経済的な面で彼らからの援助資金が日本の教会側に常にあった。私は日本人が土台になって、日本の教会は運営されるべきだと考えていた。その基礎作りに最初にアメリカ軍の会員たちから、一人につき一ドルの寄付金を集めた。二千ドル集まった。その資金で十人、日本人の兄弟姉妹をフルタイム宣教師に送ることができた。伝道後その十人は、教会の土台作りに力を尽くし、現在立派な教会の指導者たちとして、今も活躍している。 

伝道後 

伝道後は、カリフォルニア州コルドバ・シティに住んだ。フォルサム高校のカウンセラーとして勤める。一九六一年頃、ポール・C・アンドラス伝道部会長が、すでに日本で五、六年も伝道されていたので、そろそろ彼の任期が終わる頃だというニュースは、私の耳にも入っていた。ある夜、私が外出から帰ってくると妻のペギーが言った。「ゴードン・B・ヒンクレー長老が『どんなに遅くてもよいから電話をするように』と、仰っていました」。私は教会の会合に出席していて、帰ったのは夜の十時半だった。 

私はヒンクレー長老に電話をした。 

「あなたは、日本で伝道をしたドゥエイン・N・アンダーセンですか」

私が「はい」と返事をすると「お元気ですか」と聞かれ、「元気です」と答えた。

「何人子供がいますか」 

「四人です」 

「あなたは、オークランド神殿の(くわ)入れ式に出席しますか」 

「はい、私たちは行く計画をしています」 

「よろしい。そこに行ったら、モイル長老を探して会いなさい。彼はあなたに話があります」と告げられた。 

 それは、木曜日の夜だった。私はその夜も次の日の金曜日の夜も一睡もできなかった。頭の中で「何と答えようか」ということで頭がいっぱいだった。彼が何を尋ねるか判っていたからだ。日本で伝道部会長会に属していたが、日本語が解らないだけでなく、友人からは遠すぎて助けも得られないだろうから、自分で頑張らなければならない。このようなことなどが頭の中を駆け巡っていた。

 モイル長老にお会いした時、彼は私が伝道部会長としてやっていけるかなどとは聞かなかった。 

「日本にまた、行くのをどう思いますか」 

「はい、行きたいです」と答えると「よろしい、あなたは日本で北部極東伝道部会長として召されました」 

と、言われた。「できますか。行けますか」とかは何も聞かれなかった。私は喜んで帰ったのだが、多くの心配があった。 

 後で、ヒンクレー長老が、「あなたを日本に伝道部会長として送ることに関し、十二使徒会では大変迷いました。理由は、あなたが日本語を話せないからです。しかし、マッケイ大管長が、『この兄弟こそ、まさに次の伝道部会長です』と断言なさったので、皆があなたを支持しました」と語って下さった。