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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

アンデセン伝道部会長ーIV

 

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日出づる国と共により

 第六章  アンダーセンの歴史記録

森駒枝に送られた口述史 

IV-北部極東伝道部時代 

私は、一九六二年七月中旬に北部極東伝道部会長として日本に行った。ポール・C・アンドラス長老が、日本と韓国の伝道部会長だった。彼は忙しすぎて、ほとんど韓国にいて新しく召された韓国の伝道部会長との引き継ぎで、追われていた。しかし、私は彼からの引き継ぎの訓練もあまりないまま、伝道部会長としての仕事が始まった。 

山田五郎兄弟と渡邉驩兄弟 

私は、日本語で簡単な挨拶くらいしかできなかった。それで、一日に三〜四時間程、日本語の勉強をしなければならないと考えていた。日本語が話せないと、意思伝達ができず、伝道部会長として仕事を果たせないと思ったからだ。私は日本語を勉強することについて、山田五郎兄弟や渡邉驩兄弟のように、英語の話せる会員たちの意見を聞いてみた。彼らは、「どんなにアメリカ人が日本語を話せたとしても、日本人の感情を理解するコミュニケーションはできません。文化の違いもあります。ですから、日本人の通訳者を付けた方がよいと思います」と答えた。私は、そうすることにした。日本語を習得するために莫大な時間を費やすよりも、宣教師や会員たちの指導に専念しようと決めた。 

 日本に着いてしばらくの間、私は歴代の伝道部会長がしてきたように、私のカウンセラーは、アメリカ人宣教師と日本在住のアメリカ人の兄弟であった。しばらくして日本人の会員である、山田五郎兄弟を私のカウンセラーにした。山田五郎兄弟は、アメリカ軍の基地で働いていたので、上手に英語が話せたからだ。また群馬県出身で、アメリカのスタンフォード大学で学んだ吉野洋太郎兄弟が、帰国していた。私は彼の時間の許す範囲内で働いてもらった。ついに彼の仕事上、継続できなくなり、渡邉驩兄弟をカウンセラーに召した。このため東京と大阪にカウンセラーを置いたことになる。東京から北の方角で開かれたあらゆる大会や教会の活動には、山田五郎兄弟が同行した。私たちは飛行機に乗って座ると、教会の組織などについて話したり、出席する大会や活動について語り合ったりした。彼らに教会の組織について、私の知っているすべてのことを教えるように努めた。 

当時の教会の問題点 

日本に到着後、私は沖縄も含めて日本中の教会員を訪問することにした。各地で多くの問題を抱えていたことに気がついたからだ。最も大きな問題は、宣教師たちの証と日本語力であった。最初に宣教師の証を強め、彼らの伝道が日本で成功するためには、日本語を話す必要性を強く感じたのである。どのようにしたら、彼らが日本語を学べるかについて検討してみた。結果として宣教師が伝道を始める前に、日本語の勉強時間を持つようにした。教会本部に要請し、大勢の宣教師が派遣された。彼らが空港から伝道本部に着くまでに、人前で日本語の自己紹介ができるように指導した。一人一人が、各支部に送られて行くまでの一週間に、祈りができ、簡単な日本語が話せるように訓練をした。 

 次の問題は、神権者数が少なかったことである。当時若い会員たちに神権を授けることに対して、とても注意を払っていた。バプテスマを受けて一年経って、やっと執事の職が授けられる。それから一年してアロン神権教師の職をという状態であった。長老の職に召されるのは、約四、五年を経過しなければならなかったのである。神権の力を用い、神権者たちが教会の仕事に携わり、奉仕をすることは容易ではなかった。おそらく、多くの会員が興味をなくし、不活発になって教会を去って行ったことだろう。日本の教会の指導者を養成しなければならなかった。私が日本に到着した当時は、全日本の長老職に携わっていた兄弟の数は、百人しかいなかった。私は、兄弟たちに神権の職を授ける期間を短縮した。その年、一九六二年の八月から十二月にかけて、長老の職に召された神権者は、合計十七人増加した。一九六三年には、さらに百人が長老職につけるようにと、目標を設定した、その年は、目標に三人足りない九十七人が長老職に召された。

アロン神権においても同様であった。もし、バプテスマを受けるに相応しい兄弟であるなら、アロン神権を受けるにも相応しいので、一ヶ月の間にその準備をするようにと指示を与えた。神権者なくして、教会は前進していけない。未来の神権者になれる求道者を探し、教えるようにと宣教師たちにすすめた。日本人の地方部宣教師たちには、主に婦人や女学生たちを教えさせた。 

 宣教師と神権者の問題を解決した後、このようなリーダーシップを基にして、神殿訪問プロジェクトを望んでいた。日本の地において、教会が栄え、ステークが組織される前に神殿訪問の経験が必要であると考えていた。しかし、当時の日本では会員たちの神殿訪問は、不可能に等しかった。 

山中健次郎兄弟の支援 

ある日、山中健次郎兄弟がフィルモア長老に連れられて、私の事務所を尋ねてきた。一九六三年六月十六日にバプテスマを受け、新しく改宗された会員であった。年齢は、六十歳くらいで、日本で多くの重要人物、例えば、佐藤総理大臣とも面識のある兄弟であった。山中兄弟は、カリフォルニア州で日本について学んでいた大学教授たちのツアーガイドをしていた。彼らの為にセミナーを開いたり、質疑応答を設けたりしながら、一緒に日本を旅していた。そのグループの一人に教授の奥さんがいた。彼女はモルモン教会の会員だった。二人の旅行中の話題は教会についてだった。山中兄弟は、以前にアメリカにも日本からツアーを連れて行ったり、真珠販売をしたり、多くの他の仕事にも携わっていた。そのため、彼女と教会に関する会話もこなせる程、英語力に秀でていた。教授の奥さんが、「あなたは、日本人をソルトレーク・シティの観光に連れて行ったら、どうですか。教会の指導者たちと知り合いになったり、モルモン・タバナクル合唱団を聞いたり、いろいろな経験をしましたら、あなたご自身もモルモン教会について知ることができますよ」と言われたそうである。 

 山中兄弟は、教授の奥さんが、以前に話されたソルトレーク訪問の件に強く関心を持ち、日本から会員を引率して、ソルトレーク訪問を実行したいと希望した。それにしても、日本の会員たちの間でその計画を叶えられるような費用は、一人として持っていなかった。彼はソルトレーク訪問費用を準備するため相談に、私のオフィスに来た。「日本の教会員を、ソルトレークにツアーで連れて行けるかどうか考えてみましょう」。私は答えた、「そうですね。ソルトレークは遠すぎますね。日本の地方部会長会や支部会長会、そして指導者たちをハワイ神殿に連れて行く方がもっとよいと思います。ハワイの教会ならどのように教会が運営されているかも、経験できます」。