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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

アンデセン伝道部会長ーV

 

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日出づる国と共により

 第六章  アンダーセンの歴史記録

森駒枝に送られた口述史 

V-ハワイ神殿訪問の計画 

山中兄弟は、「ハワイ神殿訪問の案はよいですね」と言い、ハワイ神殿行きについて、調べ始めた。私は、数人の指導者たちにその件に関して話してみた。すると、そのようなことは実現できないという判断が返ってきた。まず、小さなグループの三十人から四十人を連れて行くことが、私たちの最初の計画であった。そうすると、飛行機代は普通の料金を支払わねばならないので、旅費が高すぎるとなった。伝道部会長会は、その件に関してどのようにしたら、ハワイ行きが実現できるか日本の指導者たちと話し合うことにした。彼らは、ハワイ神殿訪問を果たしたかった。三十人から四十人をハワイに連れて行くなら、各会員には、負担できる費用を支払ってもらい、不足分は資金作りをして伝道本部が補うことにしようと考えた。

私たちが、このような案を練っている時、ランバート兄弟がビーハイブ旅行団を引率して日本を訪問した。彼に日本の教会員たちの神殿訪問計画について話した。「どうして、百六十人位を『フライング・タイガー航空機』のチャーターで連れて行かないのか」続けて、「私は、このグループを『フライング・タイガー機』で、連れて来た。それもとても、格安でね。あなたが、百六十人のグループをハワイに連れて行くなら、不足分の資金を募ることはしなくて済みますよ。なぜなら、私は会員の為に往復切符を三百ドルで交渉してあげられるから」と言った。当時の普通料金は往復切符で、一人当たり六百二十一ドルが相場であった。

私は、「では、その件に関して検討してみましょう」と、答えた。この実現できそうな提案を各伝道部の指導者たちに通知した、会員たちは、ハワイ神殿訪問にかかる費用は、夫婦で六百ドルであることを知った。何人の会員たちが、設定された期日までに準備ができ、ハワイ神殿訪問に参加できるかを決定しなければならなかった。

その期日とは、ハワイ神殿訪問の案が出されてから一年半、いや二年後であった。ハワイ神殿訪問の目的は、日本からの地方部会長や支部会長そして、多くの指導者たちに行ってもらうことだった。百七十人の会員が、頑張って費用を作り神殿行きの準備が備えられると伝えてきた。その数は沖縄を含めて、日本の二十九の支部の指導者たちの七十五パーセントであった。その中には、一九二四年(日本伝道部閉鎖)以前にバプテスマを受けた会員たちもいた。奈良冨士哉兄弟、桂鶴一兄弟、そして高木冨五郎兄弟たちであった。北海道から熊谷姉妹の準備を整えていたが、腕を折りハワイ行きはキャンセルとなった。 

霊的な準備

ハワイ神殿訪問に行く計画を立てていた会員たちに、何を準備しなければならないかなど指導に当たった。多くの会員たちは、ハワイ行きは、不可能に違いないと考えている会員が多かった。彼らは「とにかく、行けても行けなくてもなるべく準備はしてみます」という心意気であった。そのような条件の許で、準備を整えることにした。ハワイ神殿訪問を実現させることは実に困難であった。まるで四方八方ふさがりで、どこに傾いても石垣にぶつかるような気持ちであった。

あの時を振り返ると、あれ程大変なプロジェクトだと知っていたら、スタートするのではなかったと、思うくらい困難を乗り越えなければならなかった。

ハワイ神殿訪問行きの会員たちは、家庭の夕べの時間を使って霊的糧を得て、霊的にも高められるよう準備を行うようにチャレンジした。彼らは、神殿とエンダウメントなどに関して、翻訳したパンフレットを勉強した。この勉強会は九ヶ月の過程で行われた。各会員は、それぞれ系図を探求して、ファミリー・グループ・シートを作成しなければならなかった。神殿での家族の為の儀式を施すためであった。経済的に精神的にそして霊的な準備を整えることは、並大抵のことではなかった。でも、彼らはそれを全員が成し遂げたのである。勉強を通して、神殿の儀式を理解できるように準備が整えられた。

神殿訪問希望者の会員たちは、三回以上の面接を受けた。面接のスタートは山田五郎兄弟と渡邉驩兄弟からであった。彼らは私のカウンセラーであった。私は、彼らが神殿参入するのに相応(ふさわ)しい会員であるか、信仰と証があり、経済的に準備ができるかなどが主な面接内容であった。聖徒たちの面接は、初回を出発する八ヶ月前とし、最後の面接を出発二週間前にした。神殿団体参入に向け、彼らに神殿で着用する白い服を備えさせ、個人個人には、日本で入手、もしくは作製できる物を備えさせた。

当時ハワイ神殿会長であられた、クリソルド長老は、このグループ程に霊的にもすべての面で神殿の儀式のために準備された会員たちを見たことがないと言われた。

大変な問題は飛行機であった。東京で、フライング・タイガー航空にあたってみた。日本人百六十人をハワイまで乗せて行って欲しいことを依頼した。これに対して、会社幹部は長いこと、返事をしてこなかった。それで、私たちは、その返事を早めに出して欲しいと再度頼んだ。

彼らは、「できません。外国の飛行機をチャーターして、日本国民を外国に連れ出すことはできません」と、言った。

こう言う理由で、フライング・タイガー航空を利用する扉は閉じられたのである。それで、日本航空とパン・アメリカ航空を当たってみた。ところが、一人当たりが三百三十ドルの料金だと言われた。百六十人分を一人三百ドルと比較すると、その差額は大きすぎる。会員たちは、ある金額しか準備することができないことを覚悟していた。三百ドル以上のその差額を伝道本部で補うことにすると、私たちの能力の範囲を超えた料金であった。どの航空会社も私たちのハワイ行きに関して力を貸してはくれなかった。 

デビッド大佐 

その頃、軍勤務のデビッド大佐が素晴らしい提案をした。当時は、常に軍の会員たちからあらゆる面で多くの援助を受けていた。彼は、「ハワイでとても安い料金のチャーター機を出している航空会社があると、新聞の記事で読んだので、それを調べてきてもよいか」と聞いてきた。私は、「それは素晴らしい、お願いします」と答えた。彼が、ハワイに行く一、二ヶ月前であった。その時、私たちは、まだ日本政府の規則として、外国のチャーター機を使用することが禁じられていたことを知る以前のことだ。

デビッド大佐は、ハワイ滞在中にある晩餐会に出席した。彼の向かい側には、日本航空の支配人が座っていた。デビッド大佐は、彼に日本の教会員たちのハワイ神殿訪問計画について話した。主に会員たちは、年齢が若いので経済面の準備ができていないことを告げた。また、神殿訪問の目的について説明を加えた。