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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史 アンデセン伝道部会長ーVI |
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日出づる国と共により 第六章 アンダーセンの歴史記録 森駒枝に送られた口述史 VI-日本航空ハワイ・オフィス 日本航空の支配人が、「それでは明日、私のオフィスに来て下さったら、料金に関する金額を出しましょう」と言ったので、大佐は翌日、日本航空のオフィスに行って、支配人と会ってチャーター機の料金費用を算出してもらった。私はその頃、ヒンクレー長老と一緒に沖縄にいた。デビッド大佐からの電話で、ハワイ行きの旅費を聞いた時、信じられなかった。「私は、料金の値を契約した書類を持っている。ハワイの支配人が、オフシーズンなら二百四十三ドル、それ以外のシーズンなら二百七十三ドルと料金を出した」と、デビッド大佐が言ったのである。 ゴードン・B・ヒンクレー長老 以前に私が、ヒンクレー長老にハワイ神殿訪問に関して簡単に報告をした時、彼は、半信半疑な感じで「できると思うならやってみたらよい」とだけ言われた。私たちが計画を立て準備中の中間報告を、ヒンクレー長老にはしていなかった。飛行機の旅費の交渉をしていた時点で、ヒンクレー長老には、順調にハワイ神殿訪問の計画が立てられて、実行されていることを報告した。その時ヒンクレー長老は、日本からの聖徒たちのハワイ神殿訪問が不可能ではないことに気づかれた。 ヒンクレー長老は、沖縄から直接帰られて大管長会にお会いし、この件に関して話されたと思う。なぜなら、まもなくして私たちにソルトレーク本部から通知が来たからである。それには、「聖徒たちが日本語で神殿の儀式が受けられるように、ハワイに翻訳者を送り、神殿の儀式を日本語に翻訳させてください」と、書いてあった。私たちは、神殿の儀式を日本語に翻訳すると言うことは大変なことだと思っていたので、日本語のセッションを受けるということは考えてもみなかった。日本語で説明を加えながら、英語でセッションを行うことを念頭においていた。 山中兄弟と日本航空の責任者 山中兄弟は、日本航空のセールスの責任者と顔見知りだった。彼は、学生時代に山中兄弟の家で世話になっていたからである。それで、山中兄弟は私を彼に紹介してくれた。私が彼にハワイ行きの件に関して説明した後に、彼が、「では、どれくらいの料金ならば、この若い人たちをハワイに連れて行けるのですか」と聞いた。 私は、デビッド大佐の手紙をポケットから、取り出した。「この手紙は、ハワイ滞在の職員からです。もし、あなたがこの料金で引き受けるならば、幸いです。直ちに交渉を始めましょう」。彼は、手紙を広げ、声を出してゆっくりと読み始めた。そして「これはまさに旅費に関する契約金額が記された書類です。我々もこの手紙通りに実行しなければなりません」。私は「それは素晴らしい。早速、契約を始めましょう」と言い、彼は「では明日、代表者たちをあなたのオフィスに送ります」と言った。 翌日、日本航空からの代理人たちが、私たちのオフィスを訪れた。昨日の話とは異なっていた。「すみませんが、そのような料金ではできません。私たちは、サンフランシスコからハワイまでのジェット機の費用を頂かなければなりません。なぜかと申しますと、サンフランシスコからハワイまで行き、皆さんを降ろしたら、その帰りの飛行機は空席です。そしてまた、ハワイから皆様を帰国される時は、皆様を迎えに行く時に飛行機は空席でサンフランシスコから、ハワイまで飛びます。ですから、その分の料金を追加したいと思います。その追加分は片道で四千ドルから二千ドルです」。また、壁にぶつかってしまった。 それで、「この問題を正すために、上司に会わなければなりません」と彼らに述べると、ブツブツ呟きながら、「これ以外に方法はありません」と言う。私は、「山中さんの友達は一番上の幹部ですか」と聞いた。彼らは「はい、そうです」と答えた。私は山中兄弟に友達に電話をして頂けないか頼んだ。山中兄弟は、上司に電話で話し、上司は山中兄弟の友達だったので、おそらく、その理由で彼らを納得させたと思う。彼らは、「よろしい、その料金でしましょう」。翌日、出発日を決めるために、日本航空のオフィスに行くと、私たちが出発したい日に、日本からハワイまでの航空便が二機、出ることがわかった。それで私たちが、最初の便で出発したい旨を伝えると、「その飛行機はすでに、他のグループが借り切っています。満席ではありませんが、あなた方の前に予約を入れてあります。あなた方は、次の飛行機で行かなければなりません」。「また、それは貨物機なので、百二十六席しかなく、百四十一席はありません」。しかも、私たちは百二十六席分に対し、百四十一席分の金額を払うことになるとのことだった。 私たちの予定していた料金を上回ってしまう。彼らが説明するには「私たちは、新しい計画を立てています。新しい飛行機のタイプは、取り外しの席を追加することによって、百四十一席を設けられます。機内持ち込み荷物は、少しだけにして頂き、そこに席を用意します。日程までには新しい飛行機を完成させ、上記の計画を維持しながら、あなた方がハワイに出発できるように準備しましょう」と。 旅行会社 日本航空は、私たちに今後は旅行会社を通して、彼らに連絡を取るようにと指示した。私は、「全日本に支店のある旅行会社なら、私たちの教会員にとって都合がよいが、そのような旅行会社がありますか」と尋ねた。彼らは、私たちに旅行会社を紹介してくれた。 旅行会社からの代理人が、私たちのオフィスに来た時、私は教会員のビザを申請する際に、その代金を請求しないように要請した。なぜなら、チャーター便の交渉からすべてを頑張って、助け無しに自分たちでしてきたからである。彼らは、「そうします」と同意した。ところが、ビザの手続きや他の細々した仕事が終わった後で、私のオフィスに来て二、三千ドルに昇る手数料を請求してきた。問題を解決するために、お互いに行ったり来たりして何時間も労力を費やすことになった。最後に彼らは折れ、手数料を払わなくてもよいことになった。旅行会社にとっては、このようなビジネスはしたことがなく、理解しにくかったと思われる。 航空会社 私たちは、日本航空の契約にサインを貰うために、長い時間待ち続けた。「口約束はできますが、この契約を紙面上ではできません」。おそらく、他の航空会社などに、このような契約内容を知られたくなかったのだと思う。私たちは新しい貨物機が仕上がるのを待った。 ハワイ行きが一、二ヶ月前に迫った時、彼らはこのように伝えてきた。「本当に申し訳ございません。私どもは、最善を尽くしてきましたが、新しい飛行機は期限までに完成できません。もし、あなた方が、百四十一人の人数を送りたいのでしたら、十五人は、他の飛行機で普通料金を払わなければなりません」。これで、またもハワイ神殿行きの実現が危ぶまれた。 私は自分のオフィスに戻り、どれだけの宣教師が日本航空で日本に来て、帰国して行ったのか記録を調べた。一九六四年に、約七万ドルを、日本航空に払っていることがわかった。 それで再度、日本航空のオフィスに行き、副社長に面接を願ったが、あいにく彼は外出中であった。もちろん、山中兄弟は、最初からこの件に関して私と共に行動をとってくれていた。彼が私の通訳者でもあった。私は担当者に、「あなた方は、私たちがどれ程のビジネスをあなた方の会社に提供しているか、ご存知ですか。私たち以外に、誰がこれ程、日本航空を利用していますか。一九六四年に、七万ドル余の旅券を購入しています」と述べた。 担当者は、しばらく席を外し戻って来た時に、「やはり駄目です」と答えた。「私たちは、あなた方の最高の客であるのにも関わらず、この旅行に関して、何も考慮してもらえないと言うのですか」と言うと彼は、再び部屋を出て行った。そして、副社長を伴って入ってきた。日本航空の旅行バッグとその他のギフトを携えていた。それ以来、彼らはとても親切になり、すべての面で大変協力的になった。「では十五人の旅費は、当社で支払います。また彼らを最初の便の飛行機に乗せます。最初に契約した金額だけを払ってくだされば結構です」と言われた。 このようにして、私たちは出発の数ヶ月前に、最終的な契約を終えたのである。日本航空は私たちに寛大に援助してくれた。今後、日本航空を利用する宣教師数は、三百人または、それを超えるでしょうと彼らに告げた。 その時は、まさか宣教師の人数が九百人に達するとは、想像もできなかった。
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