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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

アンデセン伝道部会長ーVII

 

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日出づる国と共により

 第 七章  アンダーセンの歴史記録

ハワイ神殿訪問の為の資金作り 

 ハワイ神殿訪問に関する資金をどのようにして準備したかについて、話したいと思う。今まで、ファンド・レイジング(資金作り)のプロジェクトは、アジアの地で行われたことがなかった。だから、日本人聖徒たちはどのようにしたらよいのか、戸惑ったのだ。私たちは末日聖徒合唱団のレコードを作ることにした。レコードは、決められた金額をハワイ神殿訪問資金として寄付した人に、提供することにした。山中兄弟は、日本でレコードを制作する人を知っており、彼の友達が、一流のスタジオとオーケストラをアレンジしてくれた。 

真珠

 山中兄弟は、真珠のビジネスもしていた。彼の助けで、私たちは大変安い価格で真珠を入手した。七百円か八百円を寄付した人に真珠を贈呈した。

聖徒たちはこのようなことをしたことがなかったので、スタートするのに、時間がかかった。それだけでなく、多くの問題を抱えていた。真珠の仕入れ価格よりもさらに高い金額が寄付されたため、税務署に税金を払う必要が生じた。私たちは税務署に行き、レコードと真珠に関する件について説明をした。品物はギフトであり、お金は寄付となるので、税をかけることはできないはずだと説明した。日本ではこのような例は初めてだったので、どのような処置を税務署はとってよいのか分からなかった。とにかく、彼らは税をかけることに決めて、私たちの説明には耳を傾けなかった。 

税金を払う件に関して弁護士を雇った。私たちが、日曜学校の教科書の印刷代に使用した金額などを計算すると、真珠とレコードから得た寄付金よりも上回っていた。それで、結局は税金を払わなくてもよいことになったのである。 

私たちは、四千個の真珠を仕入れた。山中兄弟と数人の会員たちが、たくさんの時間を費やして真珠を分類した。帰還宣教師たちに頼み、アメリカに持って行ったら、真珠とレコードから資金を作れると考えた。アメリカの税関オフィスに行き、事情を説明して、真珠をアメリカに送れるかどうか相談した。彼らは、「大丈夫です。持って行けます」と答え、アドバイスもしてくれた。私は、サドラー長老が帰国した時に、説明を加えた私の手紙を添えて千個の真珠を託した。 

彼が日本を出発する時には、何の問題もなかった。しかしハワイに着いた時、税関に手紙を見せたら、「それは、よいですが、でも、大量に持っては来られません。この商品は、何千ドル分もの価値があります。ですから、私たちはこの真珠を保留しておきます」と言われた。それで、千個の真珠はハワイの税関オフィスに収められたのである。 

サドラー長老は、真珠を登録しないで日本を出たため、アメリカの税関は真珠を日本に送り返した。私たちは日本から出国した真珠が、自分たちの物であると証明できる書類を持っていなかったので、真珠を戻してもらえなかった。日本の空港で真珠は保留された。 

 山中兄弟は、計り知れない時間をかけて、その問題解決に取りかかった。二ヶ月経った後、真珠は私たちの手元に戻って来た。その間に確かに千個あった真珠は、百個取られて九百個しかなかった。真珠を少しずつアメリカに送ったりもしたが、真珠のプロジェクトは主に日本ですることにした。 

聖歌隊レコード

レコードのプロジェクトについても、いろいろな経験をした。私たちは、東京近辺の二つの支部から集めた二十四人のメンバーからなる、聖歌隊を結成した。彼らはレコードに吹き込む前に、何週間も練習を重ねた。教会の賛美歌と日本の歌を、レコードにする準備をした。前の晩にも、伝道本部に来て練習をした。私は聞いていて、「どうしよう、これで明日レコーディングできるのか」と思った。翌日早朝七時に、スタジオ入りだというのニコルスは完成していなかった。 

翌朝スタジオに行き、録音する前に、オーケストラと一緒に初めて練習をした。聖歌隊のメンバーは二十四人だったので、レコーディングするためのコーラスとしては少人数であった。最初の録音に、私もその場に立ち会いたくスタジオに赴いた。着いた時は、七時から十時までの練習がちょうど終わったばかりだった。皆、緊張して心配そうな様子だった。私が、「あなた方は祈りをして始めましたか」と聞くと、「はい、私たちは練習が始まる前にお祈りしました」。「ところで、スタジオのメンバーは? 彼らも祈りの中にいましたか」と尋ねると、彼らの答えは「いいえ」だった。私は、「レコーディングに携わるすべての人たちが、一緒に祈らなければなりません」と言った。彼らは、オーケストラの監督に確かめて、許可を得た。「録音中」のサインが表示された時、「これから、私たちはお祈りをします」と、アナウンスがあった。コーラスの責任者は私に、お祈りを求めた。私は、日本語で祈ることができなかった。それに、スタジオの人たちは英語が解らないから、どうしようと思いつつ祈りを捧げた。祈り終わり、目を開けると彼らは涙ぐんでいた。祈りの後、レコードディングが始まった。 

私たちは、録音室にいた。最初の歌の吹き込みが終わり、テープを聞いた時、何の間違いもなく、彼らが歌ったのかと思う程の出来である。大変美しかった。ある会員は、「天使が私たちと共に歌っていたのです」と述べた。本当に大人数の合唱団が歌ったように聞こえる。そこに、ある宣教師の母親がいて、「ソルトレーク・タバナクル合唱団と比較しても遜色がないです」と言った。「高きに栄えて」の賛美歌は、音とリズムが特殊な音楽なので、聖歌隊が歌い出した時、オーケストラは、リズムをとらえるのに少し戸惑った。このオーケストラのグループは少人数であったが、大変、熟練されたグループだった。聖歌隊は、オーケストラのリズムに合わせて歌えなかった。オーケストラの責任者が、言った。「あなた方が歌ったら、その後をオーケストラが追いていくことにしましょう」。それで、私たちの指揮者佐藤泰生兄弟(佐藤龍猪兄弟の子息)が指揮をしている後ろで、オーケストラの指揮者は指揮をしたのである。彼らは数曲の賛美歌と日本の童謡や唱歌を歌った。すべての吹き込みが終わらないうちに、オーケストラは帰らなければならなかった。彼らは組合に加わっていて、オーバータイムができなかったからである。私たちのグループが、食事をしている間に、最後の曲をテープに吹き込んで帰った。聖歌隊は、最後の歌をテープに吹き込んだオーケストラに合わせながら歌った。 

 彼らは声を休めることもなく、一日中歌った。付け加えておきたいのは、日本でも一流のこのスタジオで、長時間をかけて、休憩時間もなくすべての歌を一日でレコーディングを終えたことはないと、スタジオの方から言われた。

お祈りの後は、練習していた時のように緊張感もなく、声も滑らかになったと言っていた。 

三千枚のレコードを作成した。一枚から、四百枚の寄付を募る。レコードも真珠と同じように、その寄付金はハワイ神殿訪問の資金に充てた。アメリカに船便で千枚のレコードを送る。その方が、遥かに利益が得られると思ったからだ。アメリカで、私たちから頼まれた帰還宣教師が、受け取りに行ったら、係りの人が、「千ドルの課税がかかっているので渡せません」と言われたそうである。帰還宣教師たちは、そのような大金は持っていなかったので、そのレコードを受け取ることができなかった。しばらくして、帰還宣教師たちは、千ドルを準備して、レコードを引き取りに行った。レコードからは、支払った千ドル以上の利益を得ることができた。 

私たちはハワイ神殿訪問が七月で、その二ヶ月前の五月に建築資金から借りた金額を返済できた。ハワイ出発を目の前にして、費用が準備できなくて途方に暮れていた時に、驚嘆すべきことがおきて、あちこちからの援助金が送られて来たのである。本当にあらゆるところから寄付金が届いたので、ハワイに出発した時は、十分過ぎる程の資金があった。 

日本に帰国してから、帳簿を調べてみた。ハワイ神殿訪問のプロジェクトで、九千ドル以上の資金が集まったことが分かった。私たちは、建築資金から借りた金額を含め、その資金から四千ドル程使った。引いても残高が何と五千ドルもあった。私たちは、千ドルか二千ドルを、地方部会長会や指導者の中で、どうしても旅費を準備することができなかった方々のために、返済を前置きにして援助をした。将来の日本の教会の指導者たちとして、訓練する必要があったからである。最初のハワイ神殿訪問が終わってから、第二回の神殿訪問ができる程の金額が残っていたことが分かった。 

 このように経済的に多くの試練を乗り越えて、願望のハワイ神殿訪問が成功を収めたのは、主の大いなる導きと助けがあったからだと心から証することがきる。

 ハワイ神殿訪問に関して最初から最後まで、莫大な時間を費やした価値とそれを超える祝福があった。