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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

 

 

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的場政弘兄弟のお陰で、1935年に出版した發逹創刊を掲載します。

發逹創刊 號目次 

信仰箇条────────────────────           

藤原管理長老の挨拶──────────────               

新管理長老の任命書─────────────                  

大管長の祝o槍氛氛氛氛氛氛氛氛氛氛氛氛氛氛                  

第一管長會より奈良兄弟への指令書──────────     

テイラー師より同兄弟への指令書──────────            六

テイラー師より藤原長老への指令書その一────────     

テイラー師より藤原長老への指令書その二────────     

大管長よりの通信─────────────────         

ハリス博士の手紙─────────────────         

奈良兄弟よりの手紙と信者よりの感謝状─────────    

ハワイよりの消息─────────────────        一一

教會閉鎖より今日に至るまで─────────────    一二

元宣教師よりの手紙一束───────────────    一六

ヒルトン・エー・ロバートソン夫妻、ジョセフ・エチ表紙幌馬車ステンプ   

ソン。エルバート・デー・トーマス────                            一七

カットセゴ百合高木富五郎兄弟よりの手紙──────             一九

 

末日聖徒耶蘇基督教會の信仰箇

第 一 條、我等は無始無終の天父なる~と其の御子イエスキリストと聖靈を信ず。 

第 二 條、我等は信ず、人々は自己の罪のために罰せらるべし、アダムの咎のために罰せらるるに非ず。 

第 三 條、我等は信ず、萬人はiケの律法と儀式とを守らばキリストの代贖罪に由りて救はれ得べし。 

第 三 條、我等は信ず、iケの原則と重なる儀式は次の如し曰く第一は主イエスキリストを信ずる事、第二は悔改、第三は罪を赦すため浸禮、第四は聖靈を與ふるための按手禮。 

第 五 條、我等ほ信ず、人はiケを宣べ且其儀式を執行せんにに豫言と有權者の按手とに出て~に召されすんば有るべからず。 

第 六 條、我等は古代の教會に存在したる組織と同じき組織を正當なるものと信ず、即ち使徒、豫言者、牧師、教師、祝nt等の存置是なり。

第 七 條、我等は方言(外語)を語るの力、豫言、天啓、異象、病を療すの力、方言を解くの力等の賓在を信ず。 

第 八 條、我等は聖書を其の正しく翻譯せられたる限りは~語なりと信す、又「モルモン經をも~語なりと信ず。 

第 九 條, 我等は~の凡て既に啓示し給ひし事及び凡て今啓示し給ふ事を信ず、叉~には此後も尚~の御國に關ずる衆多の重大なる件々を啓示し給ふを信ず。」 

第 十 條、我等は信ず、イスラエル人は眞に天下諸國より集合すべく十支族は恢復すべし、ザイオンに本大陸(アメリカ)に建設せらるべくキリストは遂に親ら地上に君臨すべく、地は更新して其の樂園の光榮を受くべし。 

第十一條、我等は我良心の命ずる所に從ひて萬能なる~を禮拝するの特權ある事を主張す、又如何楼にまれ何處にまれ其善とするものを禮拝するとも我等と同じき特權を萬人にも許す。 

第十二條、我等は帝王、大統領冶者及び有司に服從し國法を遵奉し尊敬し支持するの正常なるを信ず。 

第十三條、我は正直、信實、貞潔、慈善、厚徳なるべく萬人に善を行ふべきを信す、寔に我等はパウロの訓戒に則ると澗ふを得べし曰く、我等凡ての事を信じ、凡ての事を望む也、我等は既に衆多の事を忍ぶべし又凡ての事を忍びん得ん事を望む、若し徳高き事愛すべき事令聞ある事若くは稱讚すべき事あらば我等は乃ち之を尋ね求む。

ジヨセフ、スミス

「信仰箇條侮傑はこの他まだありますが、ジヨセフスミスが、以上をわかりやすく簡車に記述したものです」 

藤原管理長老の挨拶 

諸兄弟姉妹

奈良前管理長老の後を引き受けて管理長老及び特別宣教師として、日本の教會事業及信者を管理監督する權威を任命書及祝o曹ノあるが如く、米國本部教會第一管長會より與へられて日本へ派遣されてまいりました。諸兄弟姉妹の日本教會事業に對して協力一致の精~をもつて御盡力及御後援下されん事を希望致します。

回顧すれば明治三十四年八月現ヒバー・ジエ・グラント大管長(常時使徒)が來朝せられて日本傅道部を創設以來、大正十三年八月に至る迄、二十有餘年間、幾多の迫害や困難に遭遇し乍らも、キリストのiケや我が教會の教理は日本に宣傳されたのでありました。其處に多数の宜ヘ師の大なる義性と献身的努力がありました然るに日本信者の不熱心と日本人の我が宗教に對する無頓着とに依り、教會事業に遅々として進まず、たま々大正十二年の大震災に次いて、米國に於て排日的移民法の通過があり、最後の日を一層早からしめたものです。遂に十三年八月時の傳道部長ヒルトン・エ・ロバートソン師は米國本部の指令に基き日本傳道部を閉鎖致しました。

斯して日本信者求道者は指導者なく集會なく、教會本部よりは放置されたる形になって居りました。然し既にまかれた良き種子は、例へ少くとも日本に於て遅々ながらも、獨りでに芽を出しました。

此の良き種子の育成が必要となって來たのです~の愛は偉大であリます。

大正十五年十月グラント大管長は日本聖徒に深き~の恩恵と祝b與へんため、凡太平洋會議に教會のブリガム・ヤング大學總長フランクリンステワードハリス博士の渡日を機會に同総長に、相互発逹協會を東京を中心として、大阪札幌に設立する機能を與へました。因ってハリス總長に奈良兄弟を正式に東京発逹會長として又全國の発逹會を統一する人物に任命致しました。斯して日本聖徒は會員本位の會即ち靈の進歩信仰の向上互のwの増進を計るに勿論國家社會人類爲の貢献する相互発逹協會を得たのであります。

更に昭和ニ年十月札幌一信者としての小生がわが教會の最高學府大學へ入學の爲渡米し詳しく日本傳道事情の希望をエルバート・デ・トーマス博士を通じて大管長會に述べ又アルマ・オ・デイラー師の御盡力の結果日本聖徒に積極的活動に入るべき機會が與へられ昭和二年の十二月大管長會は奈良長老を管理長老に命じ神權行爲を回復させ日本に於ける教會事業を復活させたのであります。奈良長老は大いに責任を感じ発逹會の機関雑誌『棕梠』を発行、日本信者及び教會事業を全く一人と云つても過言でない程努力致しました。凡ての教會事業は元の傳道部の事業の始に復活されたる信者一同の精神的協力がなかつた爲か奈良長老の奮闘にも拘らす。満足な成蹟をなし遂げられなかった事は非常に残念であるが然し我々信者は奈良長老の献身的行爲熱心に對して深く感謝すべきであります。小生は不熱心な不信仰な精~的又は物質的に不協力であつたと云はれても仕方なき信者一同を、代表し奈良長老に深く感謝の意を表示するものであります

奈良前管理長よりは教會記録が引繼がれましたが事務上の事は一として引繼もなく、又教會事業は棕梠で知る以外の事は全く不明であります。殊に金銭上の問題十分の一法金及発逹會又は棕梠に對する寄附金及費用は全然不朋であります奈良長老に深く此の點を明らかに教會本部直接又は小生宛に報告あらん事を希望します。