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メリディアン 日本語 |
日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史 發逹創刊−6 |
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テイラー師よりの指令書(一九三四年十二月八日附) 親愛なる藤原長老 ハワイのホノル、から出された『日本へ持つて行く教會の本』の表のある七月十八日の手紙を受取りました。又奈知江姉妹や貴君の居る寫眞を送って貰つてどうも有難う。 十月一日附の手紙、歸國挨拶のハガキ、十月二十八日の手紙と札幌からの繪葉書、十一月六日附の大阪からの葉書と十一月十六日の手紙と貴君の父及び家族から來た手紙は、全部受取られ、且つ感謝されました。貴君が健康なることを喜び、貴君の故郷訪問が滿足なものであつたことを望みます。 何卒貴君の家族に「新年お目度う」を告げて下さい。彼等の温かい逓信は私が受とる價値以上であります。 貴君が間もなく奈良兄弟に會ふか、便を聞くか、そうして奈良兄弟が持つて居る教會傳導部の記録を貴君に引き繼ぎすることを希望します。貴君は直ちに自身の言葉を以て聖徒間に行き、そして使命された義務を行っても差支ありません。(中略)余は渡邊兄弟を覚えて居る、事實余が日本に居つた時、渡邊兄弟が五六度教會を訪問した詳しいことを書いた教會日誌を余は尚持つてゐる。實際教會に關する最初の消息は余に依つて彼に、渡邊興へられたものです。余は渡邊兄弟が教會に入り信仰を績けてゐることを、非常に喜ぶものです。 何卒余の挨拶と祝b輿へて下さい。 ソートレーク市に五六年居つてユータ大學を卒業した栗山長次郎兄弟が叉アメリカに來て我々を訪問致しました。余は彼に再會したことを非常に驚き且喜びました。今度彼はニユーヨーク市に本部のある東京日々及び大阪毎日新聞の通信主任として、アメリカに來たのです。彼は宗教には何等の興昧もなく自身を誇ってゐるやうです。實際少し利己主義のやうです。併しながら彼は『未だモルモン教徒である』と云ってゐるが、教會に於いて活動することは出來ないと白状してゐる。我々は彼に貴君のことを話し、貴君がブリガムヤング大學よりマスター・オブ・アーツを得たことや日本に於ける聖徒を指導する貴君の現在等に就いて話した。彼はアメリカに二、三年居ることを期待して居たけれども、いっか貴君は彼に東京で合ふことがあるでせう。 大阪の久田進兄弟、及甲府の米山盛藏兄弟に對して、祭司の職に任命したい旨を貴君は云つて來られた。貴君は久田兄弟に逢ったからよく知つてゐる譯だが、貴君は米山兄弟に手紙を書いた時にはまだあつて居らない。 故に貴君は彼に會って彼の精~信仰を見るのが良いでせう、それで貴君が彼が適當なる人物であると思ふならば、貴君要求を新たにしてもらひ度く、余は第一管長會と、相談しませう。 貴君の第二の質 教會堂を持つと云ふ事に活動することは今少し早過ぎるのではないかと思ふ、若し家賃を拂ひ、相當な状態に保つ事が出來るに充分な信者が一ケ所に居るならば、貴君は勿論聖徒の集るに適當した所を借用する事を定める人である。此の事に就いては貴君がいつでも具體的な提案を持つならぱ、余は喜んで、貴君が提案する如何なる事でも、教會の權威者と相談するでせう。併し勿論最初に聖徒が自分自身の爲めに、最善を盡す必要があるとすれば、丁度各部が充分に自費でやつて行く事を期待すると云ふ教會の常習の方針であるからです。(中略) 故アイビンス副管長は實に偉大なる先導者でした信者でも無信者でも誰れからでも非常に敬愛され尊敬されて居ました。 故副管長の葬式の行列が墓地へ行く途中で力トリツクの大會堂を通過した時、カトリツクの監督僧正や彼の祭司共は低頭して、大會堂の前に立ち大會堂の鐘をならしました。教會のタバナクル(大幕殿)は彼を尊敬する爲、色々な宗旨の人々や地位の高下の人々で一杯になりました。米國の大統領でさへ弔文を発しました。何故ならば大管長は非常に彼に頼って居たから余は要求された『信仰箇條』のカードを送付します。さてクリスマスや新年に當って我々は勧喜々悦や繁榮の爲哀心からの挨拶を、貴君や日本聖徒及友達に送る。 汝の誠實なる兄弟 十二月八日アルマ・オーテイラ |