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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史

日出づる国と共に

 

 

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掲載二部

日本の国を奉献 

 ヒーバー・J・グラントは本格的に日本にイエス・キリストの教えを広めるため、特別な祈りによって日本の地を奉献しようと考えた。一九〇一年九月一日の日曜日に断食をし、横浜市山手二五番地の滞在先から二十分ほど歩いた丘の木立の中で、四人は輪になり賛美歌「感謝を神に捧げん」を歌った。賛美歌に続き、ヒーバー・J・グラントが祈り、続いてルイス・A・ケルチが祈りをささげた。再び賛美歌「いざ救いの日を楽しまん」を歌った後、ホレス・S・エンサインが祈り、アルマ・O・テイラーも祈りをささげた。四人の宣教師たちはそれぞれ心を込めて主に感謝と賛美をし、彼らに与えられている務めを果たす力が授けられるようにと願った。それぞれが感謝の祈りをささげ、賛美歌「恐れず来たれ、聖徒」を歌ったとき、静かな森の中に賛美歌の歌声が響き渡り、神聖な雰囲気が満ちあふれた。奉献の祈りをささげるに先立ち、天使が集まって来るのを感じたというアルマ・O・テイラーは、ヒーバー・J・グラントの祈りに触れて次のように日記に記している。

 「彼の舌は解かれ、御霊(みたま)は力強く彼とともにあったので、私たちは神の天使たちが近くにいると感じた。彼の(くちびる)から言葉が発せられたとき、私たちの内で心が燃えたからである。私は今まで、そのような穏やかでいながら心に強く影響を与える力を感じたこともなければ、そのように力強い祈りを聞いたこともなかった。一つ一つの言葉が私の骨の中にまで浸透していき、私は喜びの余り泣きそうになるほどであった」。

 奉献の祈りの概要は次のようであった。神の召しと祝福への感謝、イスラエルの集合と地上に義を確立するためにこの地を奉献すること、主が日本人の心に触れられて、人々が羊飼いの声を理解するように、またグラント自身が瀕死の病から(いや)されたのはこの召しのためだと感じていること、ケルチ、エンサイン、テイラーのそれぞれ素晴らしい特質を備えた同僚を与えられていることへの感謝、そして三人のニーファイ人がこの伝道を助けてくれるように、またこの地の人々にリーハイとニーファイの血が伝わったと感じていること、もしそうならばその子孫に与えられた約束をかなえてくださるように。

 このようにして皆は御霊に満たされ、賛美歌「時過ぎて」を歌った。その後グラントは、十二使徒オーソン・ハイドが以前オリブ山でパレスチナの地を奉献したときの祈りを読んだ。それから四人はそれぞれ感じていることや、決意や愛や望みを表明して、賛美歌「高きに栄えて」を歌った。

 また、その後は国内で二人ずつに分かれて働くことが決められ、賛美歌「奇しきみ業もて」を歌い、ホレス・S・エンサインの祈りによって会が閉じられたのであった。

 ヒーバー・J・グラントは一九〇一年十二月二日付の娘デジーへあてた手紙の中で、次のように記している。

 「私は平生祈りが不得手で、思うように言葉が出ないのが常であり、……さらに三人のニーファイ人の助けを願うことなど考えてもいなかったのに、口をついて願ったのは神様の助けがあったのだと深く感謝している。お前は、私がささげた奉献の祈りが私の人生で最高の祈りであると思うと言った。愛する娘よ、そのとおりだ。私が祈りをささげていたとき私の舌が解かれるよう祝福してくださったことに対して、私の心は主への深い感謝で満たされている」。

 この日本奉献の地は、初期の宣教師たちにとって神聖な場所として記憶されることとなった。後には、最初に受けた霊感を思い起こし、伝道への気持ちを新たにするため、節目ごとにそこで集会が持たれたのである。二年後の一九〇三年九月一日にも、同じ場所で記念の集まりがあった。後に最初の女性の改宗者となった波木井波もこのとき同行していたと思われる。その場でグラントはこう話している。「私はこの地の神聖な思い出を大切に心にしまい込んでいます。それはここが単に日本奉献の地だからではなく……奉献の祈りを通して、心を覆っていた憂いを吹き飛ばすほど、主の祝福と約束を豊かに頂いた場所だからです」()