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メリディアン 日本語 |
日本の末日聖徒イエス・キリスト教会歴史 日出づる国と共に
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掲載七部 教会の賛美歌 ほどなくして賛美歌が翻訳の対照となった。これまでモルモンの賛美歌のメッセージのおかげで多くの門戸が開かれてきた。それで日本人のためにも完全な福音の一部である賛美歌を翻訳する必要があると感ぜられた。 「一九〇五年五月二十九日までに最初の賛美歌集である末日聖徒賛美歌集が印刷、出版されました。黒の布張りで金文字の表紙でできていました。LDS賛美歌集からと日曜学校の歌集からと子供の友から選ばれた六十六曲からできていました。 原作の意味ができる限りよく保たれるように注意が払われました。その結果、ほとんどの場合、英語よりも日本語の節の方が長くなり、英語の曲を断念し、それぞれの賛美歌集に新しい曲をつけることになりました」。 上記の引用文は最初の賛美歌のはしがきに収められている。 一九一一年にはジェイ・C・ジェンセン長老とジェームス・スノークロフト長老とロイド・O・アイビー長老によって作られたよりよい賛美歌集が、札幌と甲府と盛岡に配布された。しかし、他の教会とその賛美歌集にみられるように原曲に適した翻訳は、可能であると考えられた。 しかしさらに後になって、当時伝道部会長であったグラント・H・アイビンス会長が、レスター・チャップマン長老と塩野氏と共同で、二百二十の賛美歌を収めた賛美歌集を出版した。 日本人の改宗に向けて 求道者 テイラー伝道部会長は次のように書いている。 「日本人は非常に感情的、衝動的である。心に少しでも感じたり、一寸訴える何かを聞くと熱烈にその偉大なことをしようと決心する。しかし他のことが心に響くと最初のことを忘れて新しい考えに夢中になる。それゆえ、バプテスマを受けてキリスト教に帰依しようとやってくる人々には、極めて大切な段階を踏む前に続けてよく調べ、学ぶように一般的にはすすめることにしている。ヤコブの子孫にとってその先祖の神を忘れ、エジプトの偶像なる神々に身をまかせるようになるには、ほんの数年しか必要でなかった。何千年もの間、これらの人々は生ける真の神への信仰から離れて生活してきており、しかもその間、エジプトのイスラエル人のように、その心は偶像に過ぎない英雄たちや先祖たちに捧げられてきたのである」。 アルマ・O・テイラー伝道部会長はさらに次のように記している。 「日本人は非常に接待好きな人種である。それで、宣教師は、公衆の面前での僅かの場合を除いて、いつも個人的に大振るまいを受けてしまうことになる。しかし肝心な知的な話し合いになると話は別で、行われたとしても稀である」。 ホレス・S・エンサイン伝道部会長はこのように見ていた。 「この地での我々の仕事はどちらかと言えば、骨の折れる類である。……幾人かの改宗者は出たが、主が素晴らしい方法で、人々の心を変えて下さらない限り、大きな成果は望みようもない……」。 日本への最初の伝道は、人々の因習や習慣に阻まれた。茶、コーヒー、タバコ、酒をのまないとする知恵の言葉は、多くの人にとって特に大変だった。というのは日本茶をすすめ、日本酒を酌み交わすということは厳しい社交上の決まりであったからである。これらの飲物は人々を社交上、同等とするために使われ、飲まないあるいはすすめないということは話にもならないということであった。 教会で教える婦人の立場の高さについて話が及ぶと、ある日本人にとってそれは宗教ではなく「アメリカ主義」を説くものであるとされた。また日本に見られた男尊女卑の傾向は問題であった。バプテスマを受けた後、教会員でない人と結婚した姉妹たちは、自分の個人的宗教的意見も言えず、ただ夫の意に従うだけだった。 今一度大管長に宛てたテイラー会長の言葉を引用してみよう。 「宣教師にとって日本人の性格を理解し、同調するには時間と忍耐が必要です。実に時間と決意が必要です……」。 「もつと多くのバプテスマを報告できないことを残念に思います。多くの人がやって来て、『信じています。教会に入らせて欲しい』と言います。しかし、続けて福音の研究をするという熱心さが見られないのです。これまで興味を持ち続けさせ、さらによく教えようと最善を尽くしてきましたが、宣教師より遠のき、人々は冷淡になり滅多に見かけないようになります。福音に耳を傾け、信仰を告白する人が少しはいますがその隠れた動機は不純です。それゆえ、我々は人々に待つように言っています。……急いで行われるバプテスマが、早い時期の破門につながることはおおむね確かであるからです」。 エンサイン会長はジョセフ・F・スミス大管長に次の手紙を送っている。 「これまで私たちは人々と集中的に福音中心の話をしてきましたが、人々の心に触れることができないでいます。何度も何度も話しても、福音に従う必要があることをその心に刻むことはほとんど不可能のように見えます。毎週日曜日の出席は増えていますが……しかし真剣さと探究の精神が欠けていて、私たちの業を少し難しくしています」。 「日本人は私たちの証を素早くは受け入れていません。しかし私たちはその血が私たちのガーメントにはねかえらないよう、また神の御言葉がその裁きとなるよう努めています」。 |