メリディアン

日本語

 

 

日本の教会員

今井一男兄弟の証

 

戻る

2007年11月2日の証会のために兄弟が書いた証 

(英語に翻訳されたものを英語で話しました)

親愛なる兄弟姉妹、 

私はこのワードの会員ではありませんが、教会員ですので証させて頂きます。

私は1949年9月17日、この教会に改宗しました。しかし教義や誡命は何も知らず、日曜学校で教えられ、毎日曜日新しく学びました。2年位たつと、少しずつ判ってきました。そして宣教師たちは特別な訓練を受けず、教会員だけの生活をして来ますので、また大学の途中で来ますので、私も宣教師になりたいと思いました。一人でもいいからこの福音を伝えることができたらと思いました。「教義と聖約」「高価なる真珠」はまだ翻訳されていませんでした。1951年春から、もし私でも伝道できるなら召して欲しいと朝晩祈りました。しかし服も伝道資金もありませんでした。また父がロクマク(肋膜)になり、仕事が出来なくなりました。それで私は1952年のある日断食して祈りました。風呂に入り身体と髪を洗い、油をつけてきちんとして一日中祈りました。それからしばらくして父が医者からよく直(な)ったので仕事に行っても良いとの事で大変喜びました。また支部長から私に伝道に出る気はないかと聞かれ、「出たいけれども資金がないのです」と答えました。そしたらサービスメンの教会員が日本人の宣教師をサポートするため毎月1ドルか2ドル献金してて、その資金が少し貯まったので、そこから毎月少しずつ資金が出されるといいました。それで父は仕事に戻り、私は宣教師として1952年11月3日、宣教師になりました。

最初広島へ行き、それから高崎に転勤しました。広島で9ヶ月、高崎で15ヶ月、宣教師として奉仕しました。沢山の人に証を伝えましたが、特に高崎で戸別訪問をしているとき、1954年春、歯医者さん(女)の家を訪問した時、質問を受けました。それは「あなたの教会には預言者が居られますか?」と言われ、びっくりして「ハイ、居ります。十二使徒も居ります」と答えると、「あなたの教会は本当の教会らしいですね」と言われましたので、「本当の真実の教会です」と伝えました。そして家庭集会が始まりました。彼女は救世軍に30年以上所属してましたが、モルモン書を3日間で読んで確信を得ました。けれども夫もその教会員で、皆から大反対を受けて、バプテスマはすぐ受けられませんでした。彼女は救世軍をやめて、この教会に出席しました。そして私の伝道は1954年11月3日に終り、東京に戻りました。1955年4月に高崎の宣教師から手紙が来て、彼女は夫から許可が出て、私からバプテスマを受けたいとの意向で、1955年5月1日、彼女と娘にバプテスマを施しました。彼女はその後も活発に支部、ワードで働き、天に召されました。その前にS.L.C.に訪問し、神殿に入り、東京神殿で先に死んだ夫と永遠に結ばれました。これが私の体験した事で、大きな証です。神とイエス・キリストは生き給い、この教会は真実で、ジョセフ・スミスは預言者です。現代はゴードン・B・ヒンクレー大管長が預言者です。

この証をイエス・キリストのみ名によって証します。アーメン。