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メリディアン 日本語 |
日本の教会員 梶山克宏兄弟より |
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生徒の道1960年5月号の梶山兄弟の「私の改宗」をご覧になってください」 http://www.ldschurch.jp/archive/1960s/1960/1960-05_S.pdf
2004年の国内調査の結果、ハワイは最も健康的な州の第四番にランクされ過去十三年間健康国トップテンを外れたことがない。年中潮風そよぐ緩和は気候のハワイはまさにパラダイスである。私の住むライエはその昔、国法を犯した罪人たちの免罪避難所であった。1865年末日聖徒イエス・キリスト教会がライエを購入して以来ポリネシアの各地から教会員の移民が始まり、以来ライエは聖徒たちの「集合地」となり、現在人口7000人、そのうちの90パーセントがモルモン教徒で、1919年ヒーバー J グラント大管長が献堂され、アメリカで第五番目に建てられたライエ神殿のある神聖で平和なシオンの町である。また、1955年デビッド O マケイ大管長が献堂されたブリガミ・ヤングハワイ大学、1963年ヒュー B ブラウン大管長が献堂されたポリネシア文化センターのある霊的、学究的センターで、世界各人種のハーモニーの理想町である。 この理想町に居住生活四十年、陽気で歌や踊りを好み、大食嗜好、ざっくばらんで雑談に笑いこけ、些細なことは全然気にしないポリネシアの人たちに囲まれてのんびりと気楽に幸せに過ごした長年のハワイ生活は知らず知らずの中に蝕み、私を呑気者にしてしまった可能性がある。初めてパラダイスのハワイに足を踏んだ時は、咲き乱れる南洋植物、紺碧の海,なだらかな海岸、たなびく季節風、純白のハワイ神殿に感動し神の存在をひしひしと感じ、寛大で親切で大きな笑顔のハワイ住民、信仰深い教会員に包まれ感激したものだが、長年の日常生活を続けているうちに数多くの祝福に不感症になってしまったようだ。毎日幸せだからだろうか。日常の祝福に、小さな奇跡に不感症になっているようだ。「本当に祝福された毎日だね」と妻としばしば話し合うのだが、その自覚にもかかわらず誠心誠意の感謝を捧げるよりも願い事ばかり祈っている自分に気がつく。 「又、声に出して主に叫び求めないときでも、あなたがたの幸いと、あなたがたの周りの人々のさいわいを気遣う気持ちを心に満たし、それが絶えず主への祈りになるようにしなさい。」(アルマ34章27節)アミュレクの言葉を思い出さずにはいられない。そんな折、娘のジェニファーが「counting my blessing」と題する日誌帖をプレゼントしてくれた。日々の祝福を簡易に書き下ろすためのノートだ。書き忘れた日々もあるが、紐どいてみると家族に与えられた主の祝福と奇跡の経験を呼び戻してくれ、私の信仰を高揚してくれる。読み返してみると、信仰深い子供たちへの愛情を切なく感じるし、祈りと断食、それに伴う小さな奇跡は「神は真に生き給い、私たちの祈りを答え給う」ことの証しであり私を幸せにしてくれ感謝の祈りを捧げ、モルモンの神聖な家族町にすんでいる幸せを祝福を感謝せずにはいられない。「counting my blessing」から過去一年間の祝福のいくつかを書き下ろしてみたい。 6月26日、朝目を覚まし、ベッドから足をおろすと床のカーペットがびっしょりぬれだ。夜分トイレのタンクに繋がれている管から水が漏れていたのだ。三日後に家族旅行に出掛ける予定でいたので、不幸中の幸いだった。もし旅行中に起こっていたら家中水浸しになっていただろう。即座ホームティーチャーが駆けつけてくれ修理を手伝ってくれた。 7月5日、 六人の子供を持ち寡のタイレレ兄弟の荒れ果てた古家の修築の声がかかった。腐りかけた床、窓枠、扉、無効の電灯、汚れ果てた壁、伸び伸びになった草木だらけの庭の修理は十日間掛けても出来ないだろうと思われた。この日、正義に満ちた信仰強い40人の親権者が出席、日が暮れるまで働き続け仕事を完終させ、見違えるような家になった。このような親権者団結力を見たのは初めてである。なんと言う奇跡だろう。なんと美しい兄弟愛だろう。扶助教会の姉妹たちが昼飯を作って持って来てくれたことも書き加えたい。 9月5日、この日娘の二コールはラスベガスに出張し三泊した。帰宅して分かったのだが、その間自分のアパートがガス漏れで危険な状態になっていた。もし、出張しなかったら、命にかかわりがあったかもしれない。神様、ありがとう。 9月25日、ハリケーン・ケニーはハワイに大洪水、被害ををもたらした。信仰深い聖徒たちの住むライエはその被害を免れた。聖徒たちの祈りが答えられたに違いない。われわれは勿論ユタ州にすむ子供たちも祈ってくれていた。 10月22日、BYUハワイ分校の50周年記念のためのミュージカル・エキストラヴァァガンザのショーのある日だ。ライエの合唱団の一員として私も過去三ヶ月間この日のために練習していたのだが、不幸にもこの日は一日中大雨、大風が続き、開演の一時間前にライエ中、停電になってしまった。百余名の合唱員たちは揃って祈りを捧げた。開寸前に電力が回復され、無事に盛大にショーを終えることが出来た。祈りが答えられたのだ。 10月23日、50周年記念際の最終日、十二使徒のトーマス・マンソン長老が出席。閉会後、タヒチ人のママ・プー姉妹(87歳)がマンソン長老と握手をしたくて群集にもまれてた。妻のヒルダは彼女の手を引いて長老に近づき、十五分後やっと実現。「サモア人ですか。」と聞かれ「タヒチ人です」と答えた彼女にマンソン長老がタヒチ語で「ヨラナ」と挨拶してくださった。ママ・プー姉妹は嬉しさに号泣。われわれももらい泣きしてしまった。 1月14日、去年の夏ジェニール・シカ姉妹が乳癌で倒れた。意識不明の入院生活が続き、教会員たちは代わる代わる訪問したが、意識不明のままだった。アメリカ本土から子供たちも帰郷し、看病を続けた。シカ兄弟は看病と精神困憊のためすっかりやせ衰えてしまっていた。我々はシカ姉妹のために何度断食し祈ったことだろう。ワード会員とて祈っていたに違いない。「心の中で祈ることはやめないように」(ニーファイ20章1節)と私たちは毎日彼女のために祈りを忘れなかった。医者にも見捨てられた状態で、天昇の日を待っている悲しい日が続いていた。そんな彼女をラマ監督が「キット健康は回復する」と祝福をされた。そして、半年後の今日、シカ姉妹が教会にやってきたのだ。頭髪も生え、元気そうに。教会員は皆涙を流して喜び合った。まさに奇跡だ。「信仰とは待ち望んでいながらまだ見ていないものであることで疑ってはならない。信仰が試されてからでなければ、証は得られないからである。」(エテル書12章6節) 3月7日、 三週間ばかり前、妻のヒルダの事務員のペニナがカフフクの教育学部から誘いがかかり、辞令をだしてきた。給料は今の三倍で、子供たちがカフクの学校に通っているのでペニナには好都合。後釜を探し、トレーイニングするのは並大抵のことではなく、ペニナに去られるのはヒルダには大打撃。ユタ州にいる子供も毎日母親のため祈り続けてくれていた。そんな折の今日、奇跡的にペニナにカフクの仕事が回ってこなかったと知らせが届いた。神はまことにわれわれの祈りに答え給う。 3月12日、娘のジェニファーのMPA(Master of Public Administration)の許可がおりた。四月にBYU law schoolを卒業し、七月に司法試験を受ける計画を立てているジェニファーにはMPAの許可はほとんど不可能だった。オークス長老が「神様、正しい決断が出来るように精霊の導きを下さい」と祈られたようにジェニファーも祈りを捧げ、精霊の導きを受けての決心だった。大きな祝福だ。その上、奨学金の知らせまで届いた。 3月21日、義理の息子、ランスは医科大に入るための国家試験の準備中だ。医科大申し込み用金がない。大抵の医科大希望生がやるように、ランスも16校に申し込むつもりでいる。多額の金が要る。思いがけない国家奨学金4000ドルが今日ランスに届いてきた。本当に喜ばしい祝福だ。 5月20日、 ユタ・ヴァリー・カレッジで教鞭を取っているミラー兄弟がブリガミ・ヤング・ハワイ大学を訪れてきた。われわれの大学の雰囲気が違うと言うのである。しゃべり合っている学生間でさえ霊的で、校内中で精霊を感じたそうだ。マンネリになってしまっている己を目覚ましてくれた。 これからも毎日の小さな出来事に神の深業に気づき感謝し、証を強めていきたい。 静かで美しいシオンのライエに住む私はなんと幸せ者だろう。「いつも微笑みを持ちなさい。愚痴をこぼしてはいけない。感謝の念を口にしなさい。奉仕しなさい。御霊によって行動しなさい。」と十二使徒のリチャード G スコット長老が今年の卒業生に送られた言葉だが、私も順応させたい。 神は正に生き給い、主はわれわれを愛し給い、われわれの祈りに答え給うと知る強い確信は心を平和で包んでくれる。毎日の努力と奉仕は尚一層証を強め、生活の支えである。
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