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メリディアン 日本語 |
日本の教会員 奈知江姉妹に関するエピソード 柳田聡子姉妹より |
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当時の末日聖徒イエス・キリスト教会に集まる人は若い20歳前後の人々でした。奈知江姉妹は40歳で改宗したので、おばさんと呼んでいたそうです。 幼児洗礼がないことに共感した彼女は、この教会に入ってから、死者の救いを聞いて、ますますこの教会を熱心に信じるようになっていました。離婚していましたが、奈知江姉妹は栄という姪を養子として入籍し、奈知江栄と言っていました。(写真1)その頃の仲間は「おえいさん」と、よんでいました。 東京神殿が出来たとき、おえいさんはオープン・ハウスに会員ではないご主人と一緒に神殿にいらっしゃいました。そのとき彼女は長尾姉妹と呼ばれていました。結婚して、もう90歳になっていました。ご主人が車椅子を押して、来られました。そのあとで、ご主人は宣教師から勉強して改宗されて、翌年神殿で夫婦の結び固めをしました。私は神殿宣教師でしたから、いつも彼女の車椅子を押して案内しました。「奈知江姉妹も喜んでいらっしゃいますね。あなたも安心しましたね」とお話しましたら、「ほんとに良かった」とおっしゃっていました。そしてその年にご主人より先に亡くなられました。「おえいさん」 は「さかえ」とよんでくださいと神殿ではおっしゃってました。 養女の話になってしまいましたが、奈知江姉妹について、もう一つ内緒の話があります。それは高木冨五郎とその妻についてのエピソードです。 母は早稲田大学に行っていた父と仲良くなりました。母は母親に早く死に別れていまして、当時継母(ままはは)=(stepmother)と一緒に暮らしていました。 冨五郎が出した手紙はその継母が全部娘に見せないで、母(光)(みつ)は手紙を一つも来たことも知らなかったそうです。冨五郎は、なぜ手紙に返事が来ないのかと思って、彼女の家に行こうとしたら、門のところで丁度彼女が掃除をしていたのに出会ったそうです。手紙の話をしたら、彼女はなにも知らなかったと分かって、「みつ」は家にいるのがいやになったそうです。 ある時彼女は自分の家を出て、冨五郎の下宿に来たそうで、彼は困って、教会の奈知江おばさんのところに相談したそうです。奈知江姉妹は伝道部会長さんの家(教会の本部の建物)にメイドさんとして、住み込んでいましたので、「私がみつさんを預かりましょう」と言ったそうです。その建物は大きくて、奥の部屋には誰も来ないので、伝道部長さんにも内緒であずかって、「みつさん」は何日かそこに泊っていたそうです。それからみつさん(私の母)の叔母(父親の弟の妻)が世話をして、その叔母が光(みつ)の父親を説得して、新しい借りた家で結婚式を行ったそうです。私の母の父親は大きなお菓子を製造して商売に成功していた人でしたので、家具や衣類は整えてくれたそうです。もしも奈知江姉妹が親切にしてくださらなかったら、母は継母と一緒に暮らすのが、いやになって死んでしまいたいと思っていたそうです。父はその時早稲田大学を卒業して、読売新聞の記者になったばかりの時でした。この出来事は奈知江姉妹が助けてくださったから、無事に結婚することも出来て、今の私がいる訳です。それは奈知江おばさんが親のように助けてくださったことと、それも一人で内緒に預かってくださったのですから、教会の人も宣教師も伝道部長さんも知らなかったことなのです。私の両親にとって大切な恩人だったのです。 奈知江姉妹はハワイに行っても、日系の1世が苦労が多かったのを、いつも助けて、隣人に親切に働いて、歳をとっても元気に働いて多くの人に慕われていたので、ライエの神殿の近くの墓地に埋葬されました。お墓の石は池上吉太郎兄弟が(DAVID 池上兄弟の父上です)彼女の故郷の山梨県から取り寄せたと言うことです。私はライエの神殿に行った時そのお墓に行って来ました。
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