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日本の教会員

父なる神に捧ぐ-3

 

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掲載三部 

  自分を捨てて 

 すべての調整をした後で、一九九四年の初めに、神殿宣教師として東京に出発したのです。主の弟子の条件として、「……何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで……思いわずらうな。……」(「マタイによる福音書」六章二五節)との主の御言葉があります。沖村兄弟の心の中に、主イエス様の言葉、「まず神の国と神の義とを求めなさい……」(「マタイによる福音書」六章三三節)とのこの主の言葉が、沖村一夫兄弟の心の中に、燃えていたのでしょう。

 かたや、沖村周子姉妹も兄弟の提案を、純粋な気持ちで受け入れ、夫に従い、夫の気持ちを尊重しました。静かにある朝に、自分の読んだ主の言葉を、思い出していたに違いないのです。……だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(「マタイによる福音書」一六章二四節)、昔のモルモン開拓者の姉妹たちのように、純粋な気持ちで、しかも従順な、純真な、純朴な信仰を持って、神権者に従って行ったのです。

 お二人とも、かなりの年齢でしたから、直ぐに儀式の言葉やその方法が覚えきれませんでした。何度となく、早く覚えられないことに落胆し、失望して、自分たちは辞任して帰ろうと思ったそうです。ちょうどその時に、私たちが神殿に着任しました。

 主人と私は、「カードを見てやればよい。覚えるまで、何度も、見ながらやればよい。大切なことは、心を込めて儀式をすること。霊的に、謙遜に儀式を施すことが、死者の方々が、私たちの施す儀式を喜んで下さるのです。それが一番大切なことです。覚えたことを、丸暗記して儀式をするよりも、正確に、心を込めてすることが大切です」と伝えました。 

  スーパーバイザーとなる 

 遂に、お二人は、神殿儀式のすべてを、完全に覚えました。彼がスーパーバイザー(現コーディネーター)に召された頃は、神殿のエンダウメント・セッションの数は、以前に比べると倍に増えていました。また、その時はオーディナンス・ワーカー(儀式執行者)の数も多くはありませんでしたので、神殿宣教師と神殿会長会、メイトロンとメイトロン補佐に対する仕事量が多かったのです。それはそれは、皆さん、とても頑張って下さいました。主人と私は、その当時の皆様の偉大な働きに、心から感謝しています。

一九九四年から一九九五年に比べますと、八十七%の成長

一九九六年は前年よりも八十四%の成長

一九九七年は前年の九十三%の成長

それぞれ前年度に比べて素晴らしい成長振りでした。

 神は、神殿会長会、メイトロンと二人のアシスタント、各神殿宣教師、すべてのワーカーをとても祝福して下さいました。参入者も主よりこの上なく、祝福されました。

 沖村兄弟は、ちょうどその中にあって、老体に鞭打って、スーパーバイザー(現コーディネーター)として神殿の中を急ぎ足で、責任を果たしておられました。沖村兄弟は、自分の責任を熱心に果たされ、それはそれは夢中で働きました。事業で鍛えた感覚と機敏さ、彼の主を愛する熱心さを持って、若い人たちに負けないだけの働きをしました。神殿の二階の参入者を誘導し、三階の礼拝堂から四階へと案内するのに、息をぜいぜいしながら、汗を流して、毎日走りながら熱心に果たしておられました。その生き生きとした姿、熱心さが、今でも強く、記憶に残っています。

 そして格調のある声でお話をされ、しかも霊的に皆様をご案内される姿は、天使のような優麗な姿でした。その姿が、今目に映ります。その他、神殿の大切な儀式の指導もなさいました。ちょうどその頃、神殿儀式のセッション数は増え、ほとんど倍に増えていました。先に述べたように、どんどんエンダウメントの出席も増えて行きました。そのため、まだ充分でないワーカーの数でしたから、神殿宣教師への奉仕の量は、大変なものでした。しかし、当時の神殿宣教師程、よく働いた方々はいないと確信しています。沖村兄弟は老体に鞭打って、それはそれは熱心に働かれました。驚くばかりです。他の神殿宣教師も同じように働きました。それでも誰一人として、不平は言いませんでした。

 むしろ、そのような情熱を持って、神殿礼拝の方々を助けにあたっていました。そのような神殿宣教師を見て、ある参入者は「何か皆さんから、清い信仰の輝き、信仰の純真な輝きを感じます」と言って下さいました。他の方々からは、「何か、信仰の持ち方を、教えて頂いているようです」とか、「神殿に来ると、皆さんの目がとても輝いています」、「神殿に奉仕する姿を、宣教師の皆さんに、教えて頂いているようです」、「神殿に来て、儀式を受け、皆さんの生き生きとした姿を見るだけでも、心が洗われます」などと、言って下さいました。すべての神殿宣教師は、沖村一夫兄弟の熱心さは、昨日の出来事のように思い出されます。それから間もなく、沖村一夫兄弟は神殿会長会補佐として召されました。

 神殿会長会は、大変貴重な提案をされたと主人が言っていました。神殿宣教師一人一人のその働きに心から感謝しております。「人は、人生の中で、たくさんの人々に会いますが、その会う人々は、直ぐに、忘れてしまう人もいれば、いつまでも美しい幸せなメロディーのように、良い気持ちを与えてくれる人もいます」。沖村一夫兄弟と周子姉妹は、美しい人生のメロディーです。彼らの信仰の姿に感動しています。当時の神殿宣教師は、皆、美しい音楽の旋律を讃えていました。 

  メイトロンのアシスタントとして 

 沖村周子姉妹は、霊性が高く、霊に関する理解力が優れています。スーパーバイザー(現コーディネーター)として活躍されました。何時も神殿の中を、急ぎ足で、その責任を立派に、熱心に、果たされていました。この原稿は、神殿の外ですので、いろいろな状況を詳しく説明できないのが残念です。沖村姉妹は、後輩の皆さんやすべての姉妹のオーディナンス・ワーカー(儀式執行者)は、もちろんのこと、男性のワーカーにも、皆さんに慕われ、尊敬されておられました。彼女は、お仕事で鍛えた機敏さとその感覚から、物事の手順を手早く覚えられ、機敏に、的確に、適切に、上手に指導されておられました。特に、参入者の方々からも、親しく慕われて、地元に戻ってからも、地元の方々から、親切なお手紙を、何時も頂いておられました。

 一九九五年一月一九日に、私が小脳の腫瘍の手術をした時に、もう一人のメイトロン補佐の徳田姉妹の働きは素晴らしかったのです。そしてその他のスーパーバイザーの方々や各神殿宣教師の方々、ワーカーの方々の、それは並々ならぬ、祈りと美しい奉仕があればこそ、神殿は順調に運営されたのです。もう一人のメイトロン補佐の徳田姉妹と沖村姉妹の努力は、感謝しても私の言葉では表すことができません。

 沖村姉妹は、細かく、正確に、すべての学ぶことをメモに取られます。そしてそれをよく覚えておられます。それを状況によって判断し、適切な時に、お使いになられます。彼女はそのような特質を持っておられます。教会員としての年月は浅かったにもかかわらず、神殿のすべての動きと、ポイントを素早く把握して下さいました。

 「……自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(「ルカによる福音書」一七章二五—三三節)との主の言葉があるように、姉妹は誰よりも自分を忘れて、ご自身を発見したようです。神殿の清い奉仕と礼拝を通して、沖村周子姉妹は本当の自分、すなわち「自分は、神様から大切な娘である」と確信したのです。自分はその「天父の御許からやって来た、神の娘である」こと。そのように感じることができた自分を、彼女は、どんなに嬉しかったことでしょう。天の父なる神様は、今熱心に主の宮で奉仕している彼女、すなわち長い年月をかけて、ご自分のところに戻って来られようとしている、大切な娘、周子を御覧になって、どんなにか嬉しかったことでしょう。