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メリディアン 日本語 |
日本の教会員 父なる神に捧ぐ-4 |
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掲載四部 同僚として 先に述べたように、一九九五年一月一九日に、私は小脳の腫瘍摘出手術をしました。毎週の地方での神殿ディボーショナル、すなわち神殿礼拝の教義と祝福を説明するための会、そして日曜日は聖餐会に出て、再び神殿礼拝の教義と祝福を証します。手術の前には、私は主人に同行していました。しかし遠距離の旅行が大変になった自分の代わりに、沖村兄弟が同行することになりました。 空港や電車の駅、数分間の時間を自分が読んだ聖文の解釈と、その意味について、教義の質問をするのだそうです。話の説明だけで終わるのではなく、高齢である沖村一夫兄弟は、若い伝道宣教師が伝道部会長に質問するように、メモを取りながら説明を聞くのだそうです。主人は、レストランのナプキンの上に、なぜ教義の説明をしたことでしょう。その紙を、そのメモを沖村兄弟は自分のノートに、綺麗に整理し、本人のメモと一緒に貼っているのです。教義の理解と説明が解るまで、質問を何回もするのだそうです。そして何回も何回もそれを読み返しては、理解しようとしました。 このようにお年を召しているのにもかかわらず、今まで数十年も失った時間を取り戻そうとするかのように、教義の理解へのハングリー精神が旺盛だったようです。主人は次のように、何回も言っていました。「彼の学びの精神、その純粋な精神に感激しました。彼は暇さえあれば、少しの時間でも、聖文を読んでいます」。教義の説明はもちろんですが、「御霊の囁き」に耳と魂を傾けながら、聖典を読んでいる姿は、主人の父親の年齢であるものが、このように、しかも真剣に、熱心に神の言葉を学ぼうとする姿勢に、主人と私は感動を覚えました。主人が教義の説明をしながら、彼の真理を学ぶ、無垢で純朴な気持ちを感じて、何度か涙したそうです。 沖村周子姉妹の学びの精神 学ぶことにおいては、沖村姉妹も兄弟に負けず、それはそれは熱心です。教義と儀式と原則を学ぶことにおいては熱心です。 教会の歴史の場所を旅した時も、厚いノート一杯に詳しく記録されていました。イスラエルのイエス様が歩まれた地を訪問した時も、次のような思い出がありました。パレスチナのイエス様誕生の地、イエス様が育ったナザレの町、奇跡と教えを説かれたガリラヤの湖畔、山上の垂訓を述べられた丘、ゲッセマネの園、ゴルゴダの丘、イエス様が埋葬されたお墓での、熱心なメモの取り方は、歴史学と宗教学を学ぶ、知識欲の旺盛な少女のように熱心でした。 沖村姉妹は学ぼうとする知識欲が旺盛で、その対象は教会の歴史の数々、神様の愛、イエス様の贖いの教義、預言者ジョセフ・スミスの偉大な働きと、教会の教義とその原則、教会の歴史など数知れません。 彼女は、素晴らしいイエス・キリストに対する愛、天の父なる神様への限りない愛を持っています。 彼女の魂は、 一、 周子は、神の大切な娘であり、神様は、周子の父であること 二、 イエスは、周子の贖い主であること 三、 末日聖徒イエス・キリスト教会は、この世に回復された神の教会であること 四、 教会の教義と儀式は、私たちが再び、神様の御許に帰るために、必要なものであることを確信しています 五、 人生には、生きる目的があること 六、 先祖も、イエス・キリストの神殿の儀式を受けることにより、救われることを固く信じています
・ エルサレムのイエス様の体が横たわれた「園の墓」で証会が行われた時でした。そこでの沖村姉妹の涙に、「神の娘の光」を見ることができました。 ・ 少年ジョセフ・スミスが、父なる神様と御子イエス・キリストに見えた「聖なる森」での、彼女の感動は、再び神様がこの地上に、神様の教会を回復するためにおいでになったと、固く信じている信仰の表れを感じました。 ・ 沖村周子姉妹は、この世の旅路を終えられて、父の御許に戻る時に、この世で交わした、神聖な聖約と約束を守れば、栄光と昇栄が与えられて、沖村一夫兄弟と共に、天父の御許に住まうことができると確信しています。 ・ 永遠の世界で、永遠の恵みとして、数多の子供たちが授かると信じています。 ・ だから、沖村周子姉妹は、今、この人生を真面目に、誠実に、真摯に、正しく生きているのです。だから、天父の教え、イエス様の教え、預言者の教えを守り、生活しています。 沖村一夫兄弟と周子姉妹の心 彼らの純粋な奉仕は、その他の神殿宣教師やワーカーの人たちも、それはそれは皆さん、熱心になされました。彼らの純朴な神様への奉仕は、一生懸命やり過ぎたと、批判される傍観者の人々とは、裏腹に、イエス・キリストの「贖いの効力」が彼らすべてに与えられるのです。私たちが、イエス・キリストの贖いがなければ、救われないように、死者が自分一人ではできない、どうしようもできない御業、すなわち「この世の私たちがしなければ、できない神殿の贖いの御業」を、この世にいる私たちがして差し上げることこそ、何と「美しい、清いこと」ではないでしょうか。すなわち霊界にいて、何百年何千年も待って、待って待ち焦がれているたくさんの私たちの先祖の人々が、一刻でも、一刻でも、早く、獄から解放して上げたいと念じて、このように無我夢中、奉仕するこのお二人や、このお二人と同じように、神殿で熱心に、奉仕をされる方々の信仰の方が、傍観者として批判する人々の足より、「何と美しい麗しい足であろうか」と思います。イエスがその人を「清めて」下さるからこそ、その人は「シオン山の救い手」となるからです。その姿こそ、救い主の「型と影」を表しております。主の清らかな生活、型と影を、真似して生活する人こそ、「キリストの贖いの効果」を受けて、「清められる」のです。イエスが「ゲッセマネの園と十字架でお苦しみになられた」のは、まったくそのためです。獄から、一人でも解放されると、イエス様の苦しみ(「教義と聖約」一九章一五—二〇節)が、軽減されるのです。だから「神殿と家族歴史の業」、「伝道に携わる」人たちや家族を、主が祝福されるのはそのためです。 イエスによらなければ、私たちが「昇栄し、救われない」ように、神殿奉仕によって、感謝と報酬を期待しない、ましてや死者が霊界から言われる「ありがとう」との言葉が、聞こえなくても死者の心を汲んで、その美しい感謝の笑顔を悟って、謙遜に、しかも精神誠意に働かれる、お二人のような方々こそ、イエス・キリストの「贖いの効力」が与えられ、「清められる」と、確信しています。 「ひとやにて、みことばうけし、はらからのなみだおもいて、われうみにたつ」 青雲 十二使徒のデビッド・B・ヘイト長老は、ホーム・ティーチングは、「人の魂を、救うビジネスだ」と言われたことがあります。だから、ホーム・ティーチングも家庭訪問教師も中途半端なことはできません。熱心にしないと、相手に私たちの誠実さが伝わって行きません。私たちの愛が、御霊の力によって、相手に伝わるためには、「キリストの御霊」によって、「キリストの光」のすべてを持って、愛さなければなりません。そのような時に、人の心は動きます。 私たちの人生で、このような謙遜で美しい人たちにお会いできて、自分たちの心が洗われました。沖村一夫兄弟、周子姉妹、一生懸命に奉仕して下さってありがとう。いつまでも神様がこの世に生かして頂ける間、長生きして下さい。お二人を愛しています。
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