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日本の教会員 父なる神に捧ぐ-7 |
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掲載七部 「人となりはその心に思うそのままである」 二十年後にやっと教会に復帰した喜び 東京神殿宣教師 沖村 一夫 昔の賢者は次のように述べました。「人となりはその心に思うそのままである」(「欽定訳箴言」二三章七節)。この言葉に突き動かされ、営業用の看板も機械も世俗の思いも打ち捨て、私たち夫婦が東京神殿宣教師として上京したのは、昨年七月のことです。 こんな私も、過去には神様の戒めを破り、一生を台無しにするところでした。「あなたがこれまでに、神を失望させたり、悲しませたりしたことがあっても、神はあなたを愛し、立ち返る道を備えておられる」(「インスティテュート生徒用資料『旧約聖書』列王紀上—マラキ書」一二八ページ)という主の言葉に勇気づけられてきました。 人の裏切りに苦しんでいた時に 一九五八年八月、夏の暑い頃、私はある人に裏切られ、その人を恨み、呪い、その人と共にダイナマイトで自爆して死んでしまいたいとさえ、思って苦しんでいました。 その頃の日本は高度成長時代にあり、私の仕事はダム、橋、トンネル、高層ビルなどの建設工事、地質調査でしたから、忙しく日本各地を転々とする日々でした。そのために自然と教会から足が遠のくようになり、イエス・キリストの福音への思いも薄れていきました。 一九六五年に山口市で会社を設立したのですが、金儲けのためには手段を選ばないという荒んだ生活を送るようになっていました。事業は利益を上げ、この世的には成功を収めました。 金銭を愛する事は、すべての悪の根 それから二十年の歳月が流れ、ふとしたことから我に返り、福音が心に甦って来ました。「金銭を愛することは、すべての悪の根である。人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした」(「テモテへの第一の手紙」六章一〇節) 自分の犯した罪に気がつき、教会に帰りたいと思うようになったのです。しかし、その時には教会の敷居が高く思われ、同じキリスト教ならかまわないだろうと別の教会で一年くらい学びました。ですが、やはり心から受け入れることはできませんでした。かつて学んだ末日聖徒イエス・キリスト教会は、まことの教会であるとの証を強くして、山口支部の門を叩き、遂にこの教会に帰ることができたのは、一九八七年十月四日でした。その時のことを思い出すと涙が出てきます。宇部支部、山口支部の会員、指導者の助けに感謝は尽きません。 教会に復帰してから、八ヶ月目の一九八八年六月六日、初めて東京神殿に参入し、「昇栄と救い」にかかわる儀式を受けることができました。さらに四年後には、私の父、戦時中、南の島で亡くなった兄、四代前までの先祖のエンダウメントの儀式をすべて終えることができました。 神殿奉仕を通して、主の犠牲を学ぶ 神殿宣教師として奉仕を続けていると、利己心がなくなり、イエス・キリストの犠牲が心から理解できるようになりました。 ある朝、五時半頃、ゴミを捨てに外に出ますと、小さい子供を連れた若いカップルが玄関の前で待っておられました。「どちらからですか」と尋ねると「大阪の堺です」と言われました。挨拶を交わし、ゴミを捨てて部屋に戻る時には、涙が出て止まりませんでした。夜通し運転をして来られたのでしょう。神様を愛し、神殿に熱心に参入される兄弟姉妹がおられることを感謝しました。 また、車椅子で儀式を受けられる兄弟のお手伝いをさせて頂く機会もありましたが、その方の信仰に感動し、御霊が胸に満たされ、目頭が熱くなりました。 神殿の業を思う時、戦争や原爆で亡くなった多くの霊が、列をなして儀式を待っているという神殿会長の言葉が思い出されます。私たちは直系の先祖の記録を調べ、彼らの昇栄のために、ぜひ儀式をしてあげなくてはなりません。数多くの儀式のために働き手を多数必要としているのです。神殿に参入される多くの兄弟姉妹に、これからもイエス・キリストが示された親切と優しさ、温かさ、愛を持って一生懸命奉仕したいと念じています。 菊地良彦長老が、一人一人に愛をもって接しておられる姿や、神殿の外回りを綺麗に清掃されている姿を見ると、私も神殿会長の模範に倣いたいとの思いを、新たにさせられます。 「神殿は麗しい場所であり、啓示を授かる場所であり、平安の宿る場所です。そこは主の宮居であり、聖きを主に捧げる場所です」(「聖徒の道」一九九五年五月号七ページ)とハワード・W・ハンター大管長が言われたように、私も姉妹と共に自分の聖さを捧げ、頑張りたいと思います。(おきむら・かずお 岡山伝道部山口地方部山口支部出身)(「聖徒の道」一九九五年十一月号 チャーチ・ニュース 6〜7ページ)
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