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メリディアン 日本語 |
日本の教会員 佐藤龍居兄弟のアメリカでの著述 1985年2月3日 |
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佐藤龍猪兄弟の著述−2 啓示を受けよ 聖典を見ると主なる神が霊の子である人間たちに自分の御心をお伝えになる方法について多くの実例が誌してあります。マリオン・G・ロムニー長老は主なる神が御心をお伝えになること、これを人間の側から言えば「啓示」を受けることについて次のように言っておられます。 「人間が主なる神に心をうちあける方法が祈りであると同じように主なる神が人間に自分の心を示したもう方法は啓示である。主なる神は自分の心をお示しになるためにいろいろな手段をお使いになる。例えば「言葉をかけること」は主なる神がアダムの祈りに対して答えるためにお使いになった手段である (モーセの書第5章4節)。」 「また主なる神は言葉をおかけになるばかりでなく自分の姿をお現しになったことが度々ある。予言者ジョセフ・スミスは父なる神と御子とが彼に親しくその御姿をお現しになったことをあかししている。」 「また主なる神は御自分の代りの者をつかわしてその御心を人間に伝えさせ給うこともある。例えば主なる神は何度もモロナイを予言者ジョセフ・スミスにつかわして彼にさしずをしておいでになる。(ジョセフ・スミスの書二、28−59)」 「このほか主なる神は夢や示現によって自分の心をお示しになる。例えばダニエルの見た夢、ニーファイに与えられた示現がその例である。(ダニエル書第7章、ニーファイ第一書6−10)」 「またイノス書第10には、主の御声が私の心に聞えて仰せになった、と誌してある。」 「私自身もまたこれを経験したことがあるのでこのような手段で主なる神が御心をお伝えになることを私自身あかしをすることができる。それで私は主なる神が御自身の言葉で、また親しく姿を現わして、また御自身の代理の者をつかわして、また夢や示現によって、また人の心にひびく主の御声によって啓示をお与えになる事実を確かに知っているので、以上の事が真実であるとあかしをする者である。」 「然しながら大部分の啓示は静かな細い声で我々の心に入ってくることが列王記上第19章12、教義と聖約第85章6節にその例として誌してある。」 「教義と聖約を見ると主なる神がその霊の子たちすなわち人間に啓示をお与えになる時には静かな細い声で御心をお伝えになることが最も多いことがわかる。」(1973年大会報告;エンサイン1973年5月号) 「然り、見よ、われ今汝に来たりて汝の心の中に留るべき聖霊によりて汝の智と情に告げんとす。そもそも、見よ、これは啓示の「みたま」なり。見よ、これはモーセがイスラエルの人々をして乾ける土を踏みて紅海を渡らせこれを導きし「みたま」なり。この故に、こは汝の賜なり。汝これに依り頼め、さらば幸福なり。」(教義と聖約第8章2−4節) (続く) Dated: 3 Feb. 85 |