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メリディアン 日本語 |
日本の教会員 佐藤龍居兄弟のアメリカでの著述 1985年2月10日 |
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佐藤龍猪兄弟の著述−3 啓示を受けよ(其二) 予言者ジョセフ・スミスは言われました「聖霊は神の御心を示す御方である。啓示のないところに、聖霊の仲立ちは有り得ない」。 私たちは自分自身が啓示を受けるために身も心も清くして努力することが非常に大切であります。スペンサー・W・キンボール大管長は次のように教えておられます。 「決定的に必要なのは個人個人の努力である。主なる神は人間の自由意志を認めて強制なさらないので人が信じない場合 啓示は受けられない。もしも人が自分の狭い知恵による解釈を信頼しているならば、主なる神は人の選び取った道を行かせ給う。」(1977年4月大会報告、エンサイン、1977年5月号参照) 教義と聖約には「人が啓示を願い求める方法」というよく知られた主題に就てくり返し誌してあります。「汝もし願い求むれば、啓示を啓示の上に受け、知識の上に知識を受け、かくて悦びをもたらし永遠の生命をもたらすべき奥義にして平和なることを知るを得べし。」(教義と聖約42:61)。また教義と聖約18:18、59:4、76:5-7、88:63-65、77-78、98:12121:26-33等の聖句を参照して下さい。マリオン・G・ロムニー長老は個人的の啓示が下るまで神に乞いねがうことが非常に大切な要素であることを論じて次のように言っておられます。 「人が神と霊の交通をする最も重要な仲立ちとなる手段は二つある。その一つは祈りであって人は祈りによって自分の心にある思いを神に話しかけることができる。第二は啓示である。すなわち啓示によって神は人と霊の交通をなさるのである。人は祈りによって、しばしば特別な祝福を与えられるよう神に乞い願う。然しながら、人は祈りによって神に感謝をし、ほめたたえ、拝み、あがめ敬うべきは当然なことである。 「主なる神は祈ることをどの誡命よりも度々くり返して人間に与え 以て祈りの大切なことを明瞭に告げておいでになる。祈りの目的は霊すなわち『神の前よりさし出でて広大なる宇宙に満ち充ちて』(教義と聖約88:12)いる光と自分自身を同調させることである。その光の中に我々の必要とするすべてに対する確答が見出されるはずである。祈りは扉を明けてキリストを我々の生活の中に招じ入れる鍵である。『見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。』」(ヨハネの3黙示録:20参照)(1978年4月大会報告、エンサイン1978年5月号参照) (続く) Dated: 10 Feb. 85
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