メリディアン

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日本の教会員

佐藤龍居兄弟のアメリカでの著述

1985年5月 12日

 

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予言者ジョセフ・スミスの友人(第3回) 

オリン・ポーター・ロックウェルは予言者や予言者の家族の為ならいつも自分の利益をすてて忠誠をつくしました。彼にとっては与えられるよりも与える身となる方がもっとすばらしかったのです。ある時カリホルニアへ行っている間に予言者の末の弟であるドン・カルロスの妻のところへ見舞に行きました。彼女はさきに腸チブスにかかったので、その時は病み上りの身で、かって美しかった髪の毛がすっかり抜けてしまっていました。ロックウェルは先にクリスマスの夜ノーヴーで予言者が約束をして以来(前回の話参照のこと)髪の毛もひげも切ったことがなかったので、その時も彼のつやつやした頭髪は肩の上までふさふさと垂れ下がっていました。気の毒にも禿げ頭になったドン・カルロスの未亡人はポーターのふさふさとした長髪を見ると、人に言わなかった胸の思いが涙になって湧き出したのであります。これを見たポーターは「あんたのねがいは決して見すごしにはしない。わたしがドン・カルロスと兄さんのジョセフを愛したほど私がほかに愛した人が何人いるか。ほとんどいない。私はそれだから、ドン・カルロスの未亡人の望みが判っているのに何もしてやらなかったと人に言われるようなことはしない」と言いました。そして彼は床屋へ行って彼の長髪を切らせ、それでカツラを作らせました。ポーターが彼女の心からの希望であった贈物をあげた時に、二人の顔は幸福にかがやいたのであります。

主なる神が予言者ジョセフ・スミスの心を開いて、敵の手をのがれ死の原因となるカルセージ行きを避けることを悟らせて下さった時、ポーターは予言者と共に居ました。二人はゆうゆうと流れる大ミスシッピをわたって向う岸のアイオワに着き、それからポーターは二人がロッキー山脈へ着いて安全を得るように二頭の馬を手に入れるため、ノーヴーへ戻って行きました。然しながらポーターよりも予言者に対する忠誠の念がはるかに少なかった人たちは、二人は聖徒たちを敵の手の中に捨てて逃げ出したひきょう者であると非難しました。この間違った非難の声が予言者の耳に入ったとき、彼は西方へ行くことをためらって行くべきか又は帰って自分を死地に投げ入れるべきか全く当惑したのであります。そこで彼は一生の友であるポーターに向って「どうしよう」と尋ねました。するとポーターは即座に「あんたはここで一番年長者である。だから最善の方法が解っているいるのは当り前。しかしあんたが死地に赴くなら、わたしも一しょに行く」と言いました。命をすてて忠誠を尽くす。偉いですね。予言者が彼に「あんたは敵の手に自分をわたしたり、誰かに捕らえられたりしないようにノーヴーに止まっていなさい」という言づてを送らなかったなら、ポーター・ロックウェルはジョセフ・スミスと一しょにカーセージへ行っていたにちがいありません。

さて、民兵の一団が彼を捕らえようとしてノーヴーへやって来ました。そしてポーターがジョセフ・スミスの留守中にジョセフ・スミスの妻の近くへ来ることを知ってノーヴー・マンション(ジョセフ・スミスの邸宅)の近くに網を張ってまっていました。すると間もなく一台の馬車がやって来ました。(続く)

“Friends of Prophet Joseph Smith” translated by Tatsui Sato             12 May 85