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メリディアン 日本語 |
日本の教会員 佐藤龍居兄弟のアメリカでの著述 1985年 6月23日 |
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救い主イエス・キリストの神聖に就て イエス・キリストさまは一生の間に人間の及ばない特別な性質、すなわち神の性質を度々現わしておいでになります。こえらの神性は神の御子イエス・キリストが前の世から御自身に具えておいでになった特別な性質にほかならないのであります。そしてこれに就てロレンゾ・スノウ大管長は次のように言われました。 「イエスがまだかよわいちのみごで、かいばおけの中に臥していた時、イエスは自身が「神の子」であることを知ってはいなかった。また前の世に於て自分が地球を創造したことを自覚してはいなかった。ヘロデ王がおさな子を探し出して殺そうとしている時、イエスは直接自身を危険から守る力がなかったので、ヨセフはイエスとその母とを連れてエジプトへ逃げ、彼らの安全を守った。イエスは成長して一人前の男子になり、心身共に成長して行く間に自分が誰であるか、自分が此世に在る目的が何であるかに就て啓示を受け、また啓示によって自身が此世に来る前に持っていた栄光と力とを知ったのである。(1901年4月大会報告)。 いま教義と聖約第93章13節を見ると、「されば、彼は始めに完きを受けずして絶えず恩恵(めぐみ)に恩恵(めぐみ)を加えられ、ついに完きを受けしなり。」また同上第17節に、「また彼は天地両つながらに於けるあらゆる権能を受けたれば、御父の栄光彼と共にありき。」更に同上20節に、「もし汝らわが誡命を守らば、御父の完きを受け、わが御父に於ける如く、汝らわれにありて栄えを得べし」と誌してあります。 ここで先の第13節に見えている「恩恵(めぐみ)」とは何か。いろいろ説明がありますが、要するに「恩恵(めぐみ)」とは「神の賜である力―霊能」であります。それですからイエス・キリストさまだけでなくすべての人間も「恩恵(めぐみ)」に「恩恵(めぐみ)」を与えられ、すなわち「神の賜である力−霊能」を次々に与えられて、ついに父なる神の栄光、とりもなおさず「神の力」を完全に与えられるのであります。 それではこの「恩恵(めぐみ)」を神から与えられるにはどうしたらよいでしょうか。モルモン経イテル書第12章27節を見ると、 「すべてわが前にへりくだる者には充分わが恵みを授くるにより、かれらがわが前にへり下りわれを信ずる時にはその弱きを強きに変えん」と誌してあり、またモロナイ書第10章32節には、「キリストの御許に来てキリストによって全くなれ。それべて神のみこころに背くことを捨てよ。もしこのようにして勢いと心と力とをつくして神を愛するならば、神があなたたちに与えたもう恵みは充分である。恵みが充分ならばあなたたちはこの恵みを受けてキリストにより全くなる。」と誌してあります。 つまり人が自分の能力の低いことをすなおに認めて、自分の心の中にある邪念を払い去り、一心不乱に「神を愛する」すなわち「神の戒めを実行する」ならば(ヨハネの第一の手紙第5章3節参照のこと)、別の言葉で言えば、「神の戒め」すなわち律法(おきて)とりも直さず時間、空間を越えて存在する「法則」を心から忠実に守り行なう時には、「恩恵(めぐみ)」すなわち「霊能、霊の力が一歩一歩前進してついに神と同じ域に達する」と言ってあります。この本当に偉大な教えを私たちにはっきり示してある聖句に心から再拝する次第であります。 23 Jun 1985 written by Tatsui Sato
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