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日本の教会員

佐藤龍居兄弟のアメリカでの著述

1985年8月18日

 

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永遠の生命 

日本語の聖書を開いて見ますと、旧約聖書(1955年改訳)ダニエル書第122節に「また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命(えいえんのせいめい)にいたる者もあり、また恥と限りなき恥辱を受ける者もあるでしょう」誌してあります。また新約聖書(1954年改訳)マタイによる福音書第196節に「すると、一人の人がイエスに近よってきて言った。『先生、永遠の生命(えいえんのせいめい)を得るためには、どんなことをしたらいいでしょうか』」と誌してあります。

 このほかマルコによる福音書第1017節、30節。ルカによる福音書第1025節、またヨハネによる福音書の第315節、36節; 第414節、36節; 第524節、39節; 第640節、47節、54節、68節; 第1028節。 及び、使徒行伝第1348節には「永遠の命(えいえんのいのち)」と誌してあり、ローマ人への手紙第27節; 第521節。テモテ人への手紙(1)612節; ヨハネの第1の手紙第315節には「永遠のいのち(えいえんのいのち)」としてあります。そしてヨハネによる福音書第173節に、「永遠のいのち(えいえんのいのち)」とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたが使わされたイエス・キリストを知ることであります」というイエスさまの御ことばがしるしてあります。

 以上の聖句に誌してある「永遠の生命(えいえんのせいめい)」、「永遠の命(えいえんのいのち)」、「永遠のいのち(えいえんのいのち)」とは何のことでしょうか。

 教義と聖約第19章を見ますと、その第10-12節に次のように誌してあります。「見よ、神の神たる奥義、如何に計り知るべからざるかを。そはよく見よ。われは永劫(えいごう)にしてわれの手づから与うる罰はすなわち「永劫(えいごう)の罰」なり。そはわが名は永劫(えいごう)なればなり。さればすなわち「永遠の罰」とは「神の罰」なり。「永劫の罰」とは「神の罰」なり」と誌してあります。

 この聖句によって見ますと「永遠の生命」、「永遠の命」、「永遠のいのち」は、すなわち「神の生命」、「神のいのち」、「神のいのち」となるのであります。

 ところでここに言われている「生命」、「命」、「いのち」の原語は「life」でありますが、これは「いのちまたは寿命」を指しているのではなくて「生活」であり、「生存して働らくこと」であります。従って「永遠の生命」、「永遠の命」、「永遠のいのち」は「神として生きて働らく」ということであり、之を更におしひろめて申しますと、「神の位に登って、父なる神と御子イエス・キリストのもとに神の王国の経営に当る」ということになるのであります。

 今、アブラハムの書第211節を見ますと、「すなわち福音の祝福にして救いの祝福すなわち永遠の生命の祝福を得ん」と誌してあります。これによれば「永遠の生命」は「救い」であり「福音」であります。ここに末日聖徒イエス・キリスト教会の根本教義である「救い」と「福音」の本質が明瞭に示してあることは本当に有難いと言うほかはありません。

                                               (以上)

                             18Aug. 85        by Tatsui Sato