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メリディアン 日本語 |
日本の教会員 佐藤龍居兄弟のアメリカでの著述 1985年8月25日 |
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教義と聖約第20章 第1節に「この末の世に於けるキリストの教会の起りはこれなり。而して時はわれらの主、われらの救い主なるイエス・キリストが身を以てこの世に来りたまいてより千八百三十年にして第4の月すなわち4月の6日、神意と神命によりてわが国の国法に従い正式に組織創立せられたり」と誌してあります。なぜ私たちの教会が4月の6日を選んで組織されたのでしょうか。 この日の大切なことに就てハロルド・B・リー大管長は大会の日に次のように言われました。「今日は1973年4月6日、この4月の6日は特に深い意味のある日であります。それは末日聖徒イエス・キリスト教会が正式に組織創立された日であることを示しているばかりでなく、私たちの主であり大君(おおぎみ)である救い主イエス・キリストの誕生日であるからであります。」(1973年4月大会報告『エンサイン』1973年4月号) またスペンサー・W・キンボール大管長は次のように解説しておいでになります。「イエス・キリストのお名前とその御名前に含まれている深い意味は世界歴史の中に深く根を下していて、決して引きぬくことはできません。キリストは4月の6日に此世にお生まれになりました。父なる御神の霊の子たちの御一人として、しかも唯一の御子・長子としての御生まれには最高の権威が含まれています。」(1975年大会報告、『エンサイン』1975年5月号) 第41節に「またバプテスマを受けて教会に入りたる者に、聖典の示すところに則り、火と聖霊とのバプテスマを受くる按手を施こして教会員たることを確認し」という聖句があります。これに就てブルース・R・マッコンキー長老は2種のバプテスマの意味を次のように述べておられます。「救いを得るための責任を引き受ける人は誰でも2種のバプテスマを受けなくてはなりません。この二つのバプテスマとは「水のバプテスマ」と「霊のバプテスマ」であると言われています(ヨハネによる福音書第3章3-5節)。 この「霊のバプテスマ」はまた「火と霊とのバプテスマ」とも言われています(教義と聖約第20章41節、第33章11節、第39章6節)。悔い改めをした人は「聖める御方」である聖霊(ニーファイ第三書19-21節参照)の御力によって、心の中にある不純物、邪悪、俗念、肉欲そのほかあらゆる悪が「あたかも火によって燃える」かのように消え去って清められ、文字通り聖霊のあらたな息子、娘となるのであります(モーサヤ書第27章24-26節)。これは「火と聖霊とのバプテスマ」と言われていますが、聖霊の御力によって清められほかに、「火のバプテスマ」があるわけではなく、教義と聖約第19章21節に「火すなわち聖霊による罪の赦し」とあるように按手の時に受ける聖霊の賜の現れたものにほかならないのであります。(モルモンの教義) またハロルド・B・リー長老が説明されましたように「水に沈めるバプテスマ」は罪を抱いている人の「死と埋葬」の象徴であり「水の中から出てくることは復活して新生活にはいることを意味しています。バプテスマのあとバプテスマを受けた信者の頭に按手をすると、この人は祝福されて聖霊を受けます。このようにしてバプテスマを受けた人は聖霊のたまものである「約束」すなわち「神会の御一人」である「父なる神」のみもとへ帰って行く特権を受け、父なる神の御言葉に忠実に従うことにより、まるでアダムがエデンの園に居た時、いつも父なる神から親しくお言葉を賜わったように、毎日の生活の中で父なる神のみ言葉を受けて行くことができます。 このような指導を聖霊によって受けることができるのがすなわち霊的に生まれかわったと言われているのであります(1947年大会報告より)。 25Aug 85
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