メリディアン

日本語

 

 

日本の教会員

高木進より

 

 

戻る


私は1992年にバステスマをうけました。当時、17歳でした。中学生の時からの友人が、ある雑誌を私に貸してくれました。その雑誌に「あすかあきおさん」(佐藤兄弟)の記事がありました。たしか、ノアの箱舟についての記事だったと思います。

私は彼の記事を読んでから、彼に手紙で私の意見を書いて送りました。すると、しばらくして、彼から返事がきました。私は返事がくるとは思っていなかったので驚きました。彼からの手紙には、感謝の言葉と、あなたの話しを聞いてくれる組織があるということが書かれていました。

その組織は、仮の名前で「光の存在の組織」と言い、「二人の紳士があなたの話しを聞いてくれるでしょう。」と書かれていました。今、思えば、その「光の存在」とは、イエス・キリストのことで、「組織」とは、教会のことだったのでしょう。

また、その手紙には、連絡先の書かれた紙、つまり、伝道本部の連絡先の書かれた紙が同封されていました。私は、ある日曜日に、その連絡先に電話してみることにしました。

すると、「はい、末日聖徒イエス・キリスト教会、東京北伝道本部です」と、外人の声で電話に出たので、「間違えました」と、すぐに電話を切ってしまいました。私は、その組織が「光の存在の組織」という名前だと思っていたからです。

もう一度、電話をかけました。やはり「末日聖徒イエス・キリスト教会」と言うので、電話番号を確かめて、「光の存在の組織ですか?」と聞きました。

すると、「いえ、違います」と言いました。

私は、話しが合わないので、混乱しましたが、二人の紳士の話しをしたところ「それは宣教師のことではないでしょうか?」

ということで、その「二人の紳士」がいる最寄りのワードの電話番号を教えてもらいました。そして、私はすぐに、その番号に電話しました。

すると、日曜日だったので、教会に人がいて、すぐに宣教師に代わってもらいました。そして、近くの駅で今から会う約束をしました。

私は急いで最寄りの駅に向かい、「二人の紳士」である「長老」を探しました。「長老」ということなので、老年の紳士を探しました。

ところが、それらしい人がどこにもいませんでした。まもなく、若い二人、一人は日本人、一人はアメリカ人が私に近づいてきて、「高木さんですか?」と聞いてきました。私は老年の二人の紳士だと思っていたので、驚きました。それから、教会へと移動しました。

その日は、ある教会員の誕生日を祝う集会がある日でした。ですから私は、レッスンよりも先に、おいしい食事をたくさん食べました。そして、とても友好的に話しかけてくる同年代の人々と会話を楽しみました。その後に、簡単なレッスンをして、来週の日曜日に聖餐会にくるように誘われました。私は、また食事が食べられると思って、その約束に「はい」と答えました。

もちろん、その日には、食事はでませんでしたが…こうして、私は、自分でも以外なことにキリスト教の教会に行くことになったのです。私の家は、仏教系の宗教でした。

もし、宣教師が戸別訪問で私の家に来たならば、私はすぐに断っていたでしょう。神様はそのことをご存知だったので、戸別訪問ではない方法で私を真実の教会へと導いてくれました。

それから私は、教会員の素晴らしい模範に感動して、私もこの教会の人たちのようになりたい、と思い、1992年12月25日、クリスマスの日の土曜日にバプテスマを受けました。もし、あすかあきおさんが私に手紙を送ってくれなかったら、今の私はいないかもしれません。

そして、伝道にも出ていなかっただろうし、妻と出会うことも、神殿で結婚することもなかったでしょう。最初の改宗のきっかけとなってくださった、あすかあきおさんに心から感謝しています。また、そのように導いてくださった天父に感謝しています。