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日本の教会員

私の改宗について、竹内敏子

 

 

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                                                                                                                              2007/05/15 東京ステーク・足立ワード

改宗したのは山口県防府市に住んで居る時でした。

1996年12月末、夜、7時過ぎチャイムが鳴りました。ドアを開けると、「私達は、末日聖徒イエス・キリスト教会から来ました。宣教師です。イエス・キリストの福音について、お伝えしています。お話を聞いて頂けませんか。」小阪長老とスバルスキー長老の訪問でした。

私は「私は、仏教徒で、一神教なので他の宗教のお話をお聞きする事はできません。」と断ると宣教師達は「私達は英会話も教えています。英会話に興味はありませんか。」と言いました。私は、「あります。機会があれば学びたいといつも思っていました。」と答え、年が明けた1997年1月8日水曜日夜7時英会話を学ぶ為に教会へ行く事を約束しました。

当日、教会へ行くと10人位の人達が居て、凄く明るくて楽しそうで、また私を歓迎して下さいました。そして皆、親切で、英会話も分かり易くてとても楽しいものでした。

19972月頃

2ヶ月程して、宣教師からの面接がありました。私は改宗するつもりはありませんでしたが、彼らが好きでした。「私たちの話を聞いて頂きたいのですが・・・」と言われた時、『知識としてキリスト教について学ぶのは良いかも知れない。』と思いました。また、モルモン書を渡されたのですが改宗するつもりがなかったのと、大変高価なものに見えて、頂けない、いつかお返ししなければいけない。と、思いました。なぜなら、それは黒表紙で分厚くて・・・内心、1万か2万円する本だと思いました。

スバルスキー長老が転勤して、カー長老と小阪長老からお話を聞きする事になりました。小阪長老に「神様が居られることを信じますか?」と言われた時「何か大きな力が働いているのは分かりますが、・・それが神様なのか、仏様の力なのか、先祖の力なのか・・・わかりません。」と答えました。また、小阪長老に「神様は貴女を愛しておられます。」と聞かされた時、私の信じている宗教とは違うのに何故だかすごく嬉しくなりました。小阪長老からモルモン書を読んでいますかと、聞かれて「こんな高価なもの頂けないのでいつかお返ししなければいけないと思って、大切にしまっています。」と答えると、「モルモン書は貴女に差し上げたので是非読んで下さい。」と言って下さいました。

19974~5月頃

小阪長老が転勤して、シュミット長老とカー長老からレッスンを受ける事になったのですが、シュミット長老の「天の国に帰るにはこの教会にしか行く道はありません。」と、言う言葉に反発を覚えました。世の中には良い人がいっぱいいます。そして教わった戒めを一生懸命、守っている人もいます。教えられた事を一生懸命、忠実に守って従っているのです。なのに何も悪いこともしていない、信じている宗教が違うという事で、良い人が天国に行けないなんておかしいと思いました。そして『このモルモン書が聖典で神様の本であるなら、きっと何処かに、善い人は皆、天国に帰れると書いてあるはず。』と思いました。その言葉を聖典の中に見つける為に一生懸命モルモン書を読み始めました。1週間で100p読みました。宣教師にその事を話すと彼らは飛び上がって喜びました。彼らが余りに喜ぶので私はモルモン書を読み続けました。5月頃の事です。また、知恵の言葉を学びました。その頃、私は一日、7杯位コーヒーを飲んでいました。お砂糖を取り過ぎていると感じていましたから、コーヒーは飲まない方が良いと思い始めたところだったのでコーヒーを飲む事をやめる良いきっかけになりました。知恵の言葉を守ることは、私にとって難しい事ではありませんでした。

この頃、教会のパーティーに呼ばれました。そこで、阿部兄弟と言う人が私に言いました「この教会には神様がいます。お試しあれ。」私は、「神様を試していいの?」と、言うと「いいですよ。」と、言いました。私は、『なんて自信を持っているのだろう。神様が本当に居るように話す。』私には彼がどうしてそんなに神様を親しく言うのか分かりませんでした。

「お試しあれ」の言葉は、心に残りました。そして、『本当に神様がいらしたら良いのに、でも、私の願いは聞いてもらえない。神様は、遠いお方で私たちとは関係ないところにいらっしゃる。』とも、思いました。

19976月頃

シュミット長老に代わって、ディクソン長老が転勤してきました。彼は日本語が凄く上手な人でした。

カー長老が転勤してアンダーソン長老がきました。ディクソン長老とアンダーソン長老の時初めて宣教師とレッスンの後で食事をしました。私は彼らが自炊している事、すべて自分たちでやる事を知りました。また、彼らが凄く若くて、大学の途中で伝道に出ている事も知りました。宣教師と友達になりました。腕白だった宣教師のおかげで私は、宣教師と友達に成る事ができました。

8月に宣教師の一日同僚交換(スイッチ)があり、ディクソン長老とゾーンリーダーの秋山長老が私のレッスンをしてくれた時、秋山長老が「知恵の言葉は守っていますか。どうですか。」と、聞かれました。私は、「濁った水が沈殿して水が透き通るように、頭の中がスッキリしてきました。」と、答えました。秋山長老が驚いていました。なぜ、そんなに秋山長老が驚いたのか分かりませんでしたが、後で私は彼が驚いた訳を知りました。私は大切な知恵の言葉の証を知らず知らずのうちにしていたのです。また、その時、始めてアンダーソン長老からブラウニーというケーキを作って頂きました。食べられない程、甘かったです。

199710月頃

そして、何週間か過ぎ、10月の27日レッスンができるかどうか聞かれた時、私は「母が手術をするので教会でレッスンを受ける事ができない。」と、言った時の事です。宣教師は「僕達二人でお母さんの為にお祈りします。」と言ってくださいました。私は驚きました。彼らは母の事は何も知らないし、レッスンを受けているのは私です、なのに何の関係もない、会った事もない母の為に祈ってくれると言うのです。私はこの教会はどんな教会だろう。なぜ会った事もない母の為に神様にお祈りしてくれるのだろうと思いました。初めて教会について知りたいと思いました。教会の人達について、教会の教えについて、福音について知りたいと思いました。私の教会に対する考えはこの時かわりました。私は、教会について知りたいと心から思ったのです。知識としてではなく知りたいと思ったのです。 また、アンダーソン長老が私と同じ辛い経験をしている事も知りました。私はドンドン彼らと親しく成っていきました。

私はその頃、聖典の中によく出てくる、下段にある言葉“教義と聖約”と云う文字が気になっていました。『きっと教義と聖約と言う本があるんだ。教義と聖約を見たい、読んでみたい。』といつも心に思うように成りました。でも、私は教会員ではありません。『きっと教会員に成らなければ、読めない本なんだ。特別な事が書いてあるんだ。』そう思いました。でも、読んでみたいと、云う気持ちで一杯でした。

199711月頃

アンダーソン長老が転勤する時です。わたしにプレゼントがあるといって、一つの包みを下さいました。「開けていい。」と、言って早速、『貧しい彼らが私に何をくれたのだろう。』と思いながら開けると、“モルモン書の合本”でした。私は、涙が出てきました。合本を抱きしめました。私がほしくて、ほしくてたまらなかった教義と聖約が書かれている本です。『なぜ、彼らにわかったんだろう。私は、誰にも一言も、ほしいと、言っていないのに。なぜ、彼らにそのことが分ったんだろう』と、思いました。そして、『神様は本当に私たちの思いをご存知なんだ。』と、思いました。そして、『聖霊の働きって本当にあるのだ。御霊を受けるって、こう云うことなんだ。』と、知りました。そして、天の父と主と聖なるお方聖霊に心から感謝しました。

アンダーソン長老が転勤してリアル長老がきました。清閑な宣教師でした。自己紹介で「家族は11人です。」と聞いた時、『大家族だ。祖父母、両親、後は誰だろう・・・』と、考えたのですが、両親と子供たち9人、彼は5番目ということでした。この教会の人達は大家族である事を知りました。

199712月頃

12月に成ってクリスマス会に呼ばれた時のことです。帰る時、戸口のところで何人かの教会員の方が見送って下さいました。月野姉妹が私に「姉妹、防府の教会員 皆で姉妹の為にお祈りしています。どうか、バプテスマを受けて下さい。」と、思いつめたように言いました。

私は、その時、感謝の気持ちを持ちませんでした。°『何て余計な事をするのだろう。私は、お祈りしてほしいなんて、たのんでいないのに。』と思いました。月野兄弟が「そんなプレッシャーを掛けてはいけない。」そう言って、奥さんをたしなめました。

でも、今は、彼らに心から感謝しています。彼らの祈りがなかったら私は改宗できませんでした。彼らを本当の兄弟・姉妹・家族と思っています。彼らにいくら感謝しても、感謝しきれないでしょう。それ程、感謝しています。彼らを心から愛しています。

 また、私は什分の一についても学びました。問題だったのは“心からのものでなければ、私(神)は受け取らない。”と書かれていた事です。私は『おしい』と云う思いが放れませんでした。でも、戒めを守りたいと思いました。そして、考えました。ボーナスの時ならお金が沢山あるから『おしい』とは、思わないだろう。と。そして、ボーナスが出たら什分の一を納めようと思いました。ところが、そう計画した日にサティと云う百貨店に会社帰りに寄りました。何とほしかったオーブンレンジが半額で販売されていました。5万〜6万円するものが24千円ほどで店頭にありました。メーカーも一流のメーカーでした。私は『凄い』と思いました。什分の一を納めようと決心しただけで神様は祝福して下さったのです。

什分の一の約束は真実でした。什分の一を納める事はもう問題ではなくなりました。

私は、ボーナスを貰ってすぐに支部会長の所へ「什分の一を納めに来ました。」と言って納めに行きました。すると支部会長は「貴女は教会員ではないので納める必要はありません。」と、ことわられました。私はビックリしました。『宗教団体の中で、献金を断る所があるなんて!』私はなんと凄い教会だろう、また、なんと公正な教会だろうと思いました。私は彼らが本当に神様を信じていて忠実に戒めを守っている素晴らしい人達だと思いました。そしてこの教会は凄い教会だと思いました。私は教会員に成ったら絶対に什分の一を納めたいと思いました。

1997年末〜1998年1月頃

私は、クリスマスの後、2週間程して『改宗したい』と、思うように成りました。なぜなら、お祈りした時、いつも願いが聞き届けられていることが分かりました。私は神様の存在を否定できない状態に成っていました。そして、私たちを愛してくださっている天父が主が望んで居られる事が何であるか知っていました。私はある晩、自分の信じていた阿弥陀如来にお祈りをしました。「私は改宗しようと思います。神様が本当に生きていらっしゃる事が分かったのです。もし、私が間違った選択をしようとしているのなら止めに来て下さい。」その夜、私は夢を見ました。・・・私は湖に居ました。桟橋に小さなボートが一つつながれていました。私は、何の気なしにボートの中をのぞきました。すると黒い服を着た凄くハンサムな男性が横たわっていました。そして私に、『貴女は、こんな素晴らしい世界に居るのに、(行けるのに?)それを捨てるのか。』と言いました。そして、湖は、一面金色の蓮池に変わり、中央の金色の蓮台に観音様が立って居られました。(仏教的には素晴らしい夢です。)

目が覚めたとき『この夢は違う』と思いました。なぜなら、私を止めに来なければならないのは信仰していた“阿弥陀如来(あみだにょらい)”か、もしくは、“信仰に篤かった祖父母”でなければなりません。止めに来たのは彼らではありませんでした。私は、『バプテスマを受けていいのだ』と思いました。

 その朝、仕事の為に防府から小郡にある事務所に行く間、素晴らしい事を感じました。

私の車が通勤の為に走り出すと周りがダイヤモンドダストの様にキラキラ光りだしました。『凄い!ダイヤモンドダストだ。北海道でしか見えないのに、見えてるよ。』と思いました。

前を見ると、虹がかかりました。私はまるで、虹の門に向かって走っているようでした。『わぁ〜虹だ。すごい。虹の門に向かって走っているよ。』私は虹の門をくぐるのかも知れないと思いました。ず〜っとしばらく虹を見ながら、虹に向かって走っていると、虹の頂点の横に、天のお父様と主が「偉かったね。よくこの教会が選べたね。私は貴女と約束したようにちゃんと宣教師を貴女の所に送りましたよ。さぁ、この虹の門から入ってきなさい。」そう言って下さっていると感じました。その周りで、天使たちがハレルヤを歌って喜んで下さっているのを感じました。目には見えませんでした。でも、そう感じたのです。心は軽く、晴れ晴れとした至福の状態でず〜っと、20分位そんな幸福感と感激の中にいました。幸せでした。

バプテスマを受けると決めてから宣教師が「バプテスマを受けて下さいますか。」と、言ってくださる言葉を待っていました。ところが彼らは言ってくれませんでした。

そんなある日、レッスンの中でリアル長老に「長老の一番好きな聖句は何ですか」と、聞いた時の事です、彼は「マタイの2540節 すると、王は答えて言うであろう、『あなた方によく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。』」と答えました。私は「えっ。あなたたちは新約聖書も読むの。モルモン書だけじゃないの?」と、言うと「私たちは新約聖書も読みます。」と、答えました。私は、『大変だ、教会員になる為には新約聖書も読まなければ成らないんだ。』と、思って新約聖書も読み始めました。

そんな中、一番長く私をレッスンし(8ヶ月間)、導き、おそらく私の為に何度も断食して下さったディクソン長老が広島県 の安古市の方に転勤してしまいました。凄くさびしい思いをしました。リアル長老は次に転勤してきた木島長老を一番先に私の所に連れて来て紹介してくださいました。しかし、ディクソン長老が転勤した時、バプテスマを受けたくないと思いました。

なぜなら、主が大好きだった宣教師を転勤させてしまったからです。私の為に祈り、断食し、一生懸命福音を教えてくれた宣教師が居なくなったのです。私の心は、悲しくて、すねてしまいました。すると、岡崎姉妹が「そんなに大好きな宣教師を貴女の所に、遣わせて下さったのは誰ですか。」と、言いました。私は、『主です。天のお父様です。』と、心の中でいいました。でも、凄く悲しいと思いました。そして、後悔しました。“正しいと思うことはすぐに実行しなければ、悲しい結果、悲しい思いをする事に成る”と。

19982月頃

新約聖書は、1月から読み始めて3月に読み終わりました。わたしはこれで大丈夫と思って「新約聖書、読んだよ。」と、宣教師に言うと「私たちは旧約聖書も読みます。」と、笑いながら言います。わたしは「こんな分厚い聖書、読むの。」と、言うと「そうです。私たちは新約聖書も旧約聖書も読みます。」と、答えました。私は、『それなら、私も読まなければならない。』と思い、今度は旧約聖書を読み始めました。

リアル長老と木島長老が訪問してくれた時、わたしは、“教義と聖約88章65節 また、もしあなたがたが自分にとって必要でないものを求めるならば、それはあなたがたの罪の宣告となる。”と、云う聖句について質問しました。「どうして、何も悪い事をした訳でも、悪い事を願う訳でもないのに、罪の宣告となるのですか。」と云う事についてでした。リアル長老は「僕が日本語を話せたら説明できるのに・・。」と、悔しそうに目に涙を浮かべて帰りました。その時、支部の人も答えられませんでした。彼らの説明に私は納得できなかったのです。2週間程して宣教師が訪問してくれました。帰り間際、先輩の木島長老に「ちょっと彼女と話していいですか」と断って、リアル長老が「前回の質問の答えを話したいのですが。」と言って教えてくれました。「それは、こう言うことです。私たち宣教師には転勤があります。わたしは広島に転勤したいと思いました。神様に広島に転勤できるように祈りました。すると神様は、私の願いを聞いて私を広島に転勤させて下さいましたが、神様が思っていたのは、私を米子に転勤させることでした。神様はそこに私の為に一杯、祝福を準備していました。沢山の友人ができ、日本の事をもっと知る機会を、福音を分かち合う機会を、神様は米子に準備していて下さったのです。私の願いはかないましたが、その祝福は米子にあったので祝福は広島にはありませんでした。私は神様が準備して下さった祝福を受けられなかったのです。・・・日本語では罪の宣告と書かれていますが、英語では祝福を受けないと、訳し(解釈)ます。」と、説明してくれました。私は驚きました。リアル長老の説明は素晴らしいものでした。私は納得しました。そして、何よりリアル長老は私に説明する為に一生懸命日本語を勉強して下さったのです。そう思うと、この教会の誠実な宣教師、教えを、素晴らしいと彼の模範を通して思いました。『歴代大管長の教えブリガム・ヤング』の本も読んでいましたから、リアル長老の私にして下さったことは、ブリガム・ヤング大管長の教えを実践する素晴らしい教会員を見るようでした。私は彼を尊敬しました。素晴らしい人だと思いました。彼から福音のレッスン、教義、教えを学びたいと思いました。

19983月頃

でも、リアル長老が転勤してダウンズ長老が転勤してきました。MTCでアンダーソン長老と同僚だったと言いました。彼は凄く頭のいい人でした。その頃、一生懸命、旧約聖書を読んでいましたが、創世記を読み始めてすぐ、神様がノアに約束の印に虹を架けられた話に出会いました。私はその時、バプテスマを受けると決めた日に見て感じた虹の事を思い出しました。『あの時、感じた事は、正しかったんだ。神様が、あなたとの約束、宣教師を私の所に送って下さると言う約束を、私は果たしましたよ。と、言う印だったんだ。』そう思いました。また、申命記4章を読んでいる時『私のことが書いてある』と思いました。

“あなたがたは人が手で作った、見ることも、聞くことも、食べることも、かぐこともない木や石の神々に仕えるであろう。しかし、その所からあなたの神、主を求め、もし心をつくし、精神をつくして、主を求めるならば、あなたは主に会うであろう。後の日になって、あなたがなやみにあい、これらのすべての事が、あなたに臨むとき、もしあなたの神、主に立ち帰ってその声に聞き従うならば、あなたの神、主はいつくしみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、またあなたの先祖に誓った契約を忘れられないであろう。”

私の事が書かれてあると思いました。

昨年、私が宣教師にあったその頃、朝晩、防府天満宮に歩いてお祈りしていました。神仏を確かに願い求めていたのです。宣教師が訪問して下さったのは、そんな時でした。

“もし心をつくし、精神をつくして、主を求めるならば、あなたは主に会うであろう。”その通りの事が私に起こりました。“後の日になって、あなたがなやみにあい、これらすべての事が、あなたに臨むとき、もしあなたの神、主に立ち帰ってその声に聞き従うならば、あなたの神、主は慈しみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、またあなたの先祖に誓った契約を忘れないであろう。”まさに私に起こったのです。

聖典には、私たちのことが書き記されている、と思いました。そして神様の声だと思いました。

私を忘れず、私を愛していてくださっていた事がひしひしと伝わってきました。

 また、私が夕方、山口市 の維新公園にあるアリーナに急いで居る時でした。車の中には、その日、手に入れた特別おいしいと評判のフランスパンを乗せてありました。車の中は、おいしいパンの香りでいっぱいでした。その時、信号で宣教師を見つけました。一瞬『私はパンを持ってる。彼らにあげようか。』と、心に思いました。でも、信号が変わった時、私と宣教師は同じ方向に向かいませんでした。私の心は宣教師のことで一杯でした。次の信号で、道を変え宣教師の行った方向に向かいました。でも、宣教師は居ません。『私がすぐに宣教師に声を掛けなかったから宣教師を見失ってしまった』と、後悔しました。でも、あきらめきれず、ゆっくり宣教師を探しながら車を走らせました。あきらめ掛けた時、横道から宣教師が飛び出して走ってきました。私は50メートル程先に車を止め、彼らが気がついてくれるように祈る気持ちで待ちました。宣教師は気がついて車の側にきました。山口支部で伝道している長老たちライト長老とガスト長老でした。ライト長老が「こんにちは。」と、言ってくれた時、私は「どうぞ。」とだけ言ってパンを渡しました。私は先を急いでいたので、そのまま立ち去りました。その次にライト長老と会ったのは、私のバプテスマの面接の時でした。

一ヶ月ほど経っていました。私はすぐにライト長老に気が付きました。面接が始まった時「お会いするのは、2度目ですね。」と言っても、彼は気が付きませんでした。「パンをあげたでしょ」と、少し恥ずかしいとは思いましたが、なつかしさが先に立ってそう言ってしまいました。するとライト長老は「あっ、そうだ。姉妹だ。・・・僕たちは、一生懸命、姉妹をさがしました。パンをくれるなんてきっと教会員に違いない。そう思って探しました。お礼を言いたかったのです。実はその時、同僚のガスト長老が伝道をするのが難しくなっていました。彼は日本に来て2週間位でしたが、毎日、何処へ行っても『帰れ!』『何しに来た!』と怒鳴られ続けました。ガスト長老は『僕たちは何も悪いことしていない。神様の言葉を伝えようとしているだけなのに。皆に幸せに成ってもらいたいだけなのに!』そういって、落ち込んでしまい、伝道をやめて帰りたいと思い始めていました。そんな時、姉妹がパンをくれたのです。そして、何も言わないで立ち去りました。ガスト長老は『良い人がいるんだ。伝道、頑張ろう。』と、いう気持ちに成って、それから伝道を辛いと思わなくなりました。そして、親切な姉妹にお礼が言いたくて、二人で、姉妹をさがしてハウジングも頑張りました。日曜日になると姉妹が居ないか探しました。でも、姉妹は一週間たっても、二週間立っても、見つけることが出来ませんでした。一ヶ月探しました。僕は思いました。『これだけ探しているのに見つからない。もしかすると、天使かもしれない。ガスト長老も元気になって伝道を頑張れるようになったのは、きっと、神様が天使を遣わして下さったからなんだ。』そう思いました。そして、姉妹を探すことをあきらめたんです。」

 わたしは、それを聞いて主が私を御手に使って下さったんだと思いました。私は求道者です、なのに主は私を使って下さいました。私は嬉しくて、主に感謝せずには居られませんでした。

彼らは私がバプテスマを受けるまでよく防府支部に来てくれました。

私は、19984月9日に“モルモン書が真実であるという答え”を頂き、その上、同時に“神様が私たちの体を造って下さった”という証も持つ事ができました。特別な祝福を授かったと感謝しています。

私は神様が生きていらして祈りに答えて下さり、モルモン書が真実の書であり、ニーファイのお話しが本当の事であると信じていました。だから宣教師に「モルモン書が真実かどうか神様に尋ねてください。」と、言うチャレンジに『知っているのに、真実だと思っているのに、わざわざ神様に尋ねるのは、しらじらしくて出来ない。答えなんて戴かなくても信じている。もし、神様が答えをくれるとすれば、それは、特別大切な人で、どうしても改宗させないといけない時に答えを授けて改宗させるのだ。』そう考えていました。だから信じている私には答えは必要ないと考えていました。宣教師は「それでも、答えを戴く事は大切です。」と、時々私に神様から答えを戴くように言っていました。

宣教師は木島長老に代わってディクソン長老の居る安古市から転勤して来たソレンセン長老とダウンズ長老に代わっていました。ソレンセン長老は凄く清い心を持った宣教師でした。

ソレンセン長老が転勤してきて間もない、49日、買物から帰って、マンションのドアのノブに触れた時『モルモン書が真実かどうか知りたい。』と、強く心に思いました。そして、荷物を投げ出すように置いて、部屋に入ると、部屋の中央に座って祈り始めました。「天のお父様や主が生きていらして私たちを愛してくださっている事を知っています。ニーファイのお話しが真実であることを知っています。モルモン書が真実であることを知っています。でも、モルモン書が真実かどうか知りたいです。」そう言って祈り始めると、涙がどんどん出てきて、慟哭(どうこく)になりました。私は答えだと思いました。でも、反対の事を聞こうとしました「モルモン書は真実ではない。」そう頭の中で言った時、それまでの慟哭がピタッと止まりました。あんなに激しく泣いていたのに一瞬にして止められたのです。激しく泣いていたので、一瞬何が起きたのか分りませんでした。頭の中が真っ白になりました。部屋の中にぽつんと座っている自分をやっと見つけました。

私は答えが分らなくなりました。真実と感じていた時、激しく泣いていました。真実でないと尋ねた時、慟哭が止められました。答えが逆です。泣く事は異常で、泣かずに済むことは平安です。答えが逆なのです。夜、宣教師に電話しました。「モルモン書が真実であると云う答えを貰ったと思うのだけど、答えが逆なの。」次の日の夜、ソレンセン長老とダウンズ長老が訪問してくれました。そして、三人で答えが分るようにお祈りしました。

私はだんだん答えが解ってきました。私が真実であると尋ねて泣いていた時、それはモルモン書を読んで主の愛を感じて涙が出てくる時と同じ気持ちでした、でも、真実ではないと尋ねて、慟哭が止められた時、心に何も感じませんでした。何も感じなかったのです。

私は神様からモルモン書が真実であるという答えを戴いたのです。そしてその時、神様が私の体を造られたという証も同時に戴いたのです。神様が私の体を造られたのでなければ、あんなに激しく泣いていた慟哭を一瞬にして止める事はできません。

そして、その時、私は祈り方も教わったのだと思います。心に思っていることを素直に言えました。祈る言葉が心の中からひとりでに湧いてきたのです。

宣教師との面接が終わり支部会長とのバプテスマの面接の時です。岡崎支部会長が「毎週教会に集って頂けますか。」と、言われた時、私は「それは出来ません。私は水曜日がお休みです。努力はしますが約束はできません。」支部長は「毎週、聖餐を受ける事は大切です。」と言われました。私は「新約聖書に、今のあなたを引き寄せた・・と、書かれています。神様は私が、日曜日は仕事で教会へ行けない事をご存知です。それでも、私を引き寄せて下さったのです。」と、言ってのけました。今から思うと、高慢でした。

私はダウンズ長老から、1998429日朝、6時に海でバプテスマを受けました。遠浅の海で受けました。海の水からあがった時、浜辺で心配そうに見て下さっていた兄弟・姉妹たちを見た瞬間、本当の家族だと思いました。彼らには何を話してもいい。苦しい事、悲しい事、うれしい事、楽しい事を共に分かち合ってくれる人達だと思いました。彼らは、朝早くから集り、本当に心配そうに、覗き込む様に見ていて下さいました。彼らの祈りのおかげで、私は改宗できたのです。

バプテスマから帰り、7時、出勤する前に、ゾーンリーダーの山口の宣教師ライト長老にお礼の電話をしました。宣教師は「おめでとう!今、一番 聖い状態ね!」と言いました。私は通勤の車の中で『今、一番 清い状態』と、その言葉が繰り返し浮かんできて頭から離れませんでした。そのうち、『聖餐受けないと汚れる!』と言う強い恐怖心に変わりました。そして『聖餐受けないと私は汚れる、聖餐受けないといけない。早く聖餐受けなければ!』と、今度は“聖餐を受けなければ”と、言う思いで一杯になり、4日先の日曜日が凄く遠くにある日の様に思えて怖くて怖くてたまりませんでした。“日曜日に教会へ行く約束は出来ません”と、言ってのけた私が、日曜日が待ち遠しくて教会へ行きたくて行きたくて待ちきれない気持ちに変わったのです。・・・神様が心を変えられると言うのは本当です。

ず〜っと後になって帰還した宣教師から聞きました。彼ら宣教師はわたしの知らない間に私のアパートに来てドアの前で四人(ライト長老・ガスト長老・ダウンズ長老・ソレンセン長老)で私が教会へ行けるように私の為に祈ってくれたそうです。宣教師たちの祈りによって私は聖餐を受ける特別な祝福を与えられたのです。

また、53日日曜日、ソレンセン長老から確認の按手と聖霊の賜物の祝福を受けました。6人の神権者の手も私の頭に置かれ祝福を受けました。その時、教会員の人達は言いました。「ソレンセン長老は日本語がまだ話せません。でも、彼の祝福は全て日本語でした。貴女を祝福したのは確かに神様に違いありません。」

私は忘れないうちに、ソレンセン長老にその祝福をモルモン書に書いて戴きました。

1998年6月頃

私は、沢山の証や経験をしながら、旧約聖書を読み続けていました。 でも、旧約聖書を読み進める事は、とても大変でした。ところが、たまたま車の中でラジオをつけていた時、旧約聖書の朗読が流れてきました。毎日、夕方、10分程のものでしたが、私が旧約聖書を読むのに大変助けになりました。登場人物の人物像や関係者、あらすじなど良く分かりました。だから、聖書を読むことが楽になりました。思いました。『神様は苦戦しながらも一生懸命に旧約聖書を読んでいる私を助けて下さっている。』と。旧約聖書を読むのに半年を要しましたが、8月に読み終わりました。これでやっと教会員になれたと思いました。

7月の夜、7時半ごろでした。私は、自分の部屋でモルモン書を読んで居ました。いつの間にか眠ったらしく、夢を見ました。

私は、かねがね思っていました。聖書に書いてある“天が開く”って、どんな風になるんだろう、と。その私の夢は、夕方、薄暗くなったころでした、調度その時の時刻のように、すると、空の一点から、白い何かが、ひらひら、白い蝶ちょうのように降りてきました。私は何だろうと、少し見ていました。『あっ天使だ。天使がラッパを吹きながら降りてきている。・・・と、云う事は、主の再臨が始まるんだ!』と叫ぶと同時に天が開きました。『天が開いた。本当に開いた。』それは、カーテンを中央から左右両側に引く様に天が真ん中から開いたのです。開くとしか言いようの無いものでした。そして、蛍光灯のような白い光が差し、そして、空は白く明るく真昼の状態に変わり、主が天使たちを従えて降って来られました。そして、中央に立たれ、少し後ろを振り向かれました。私は薄暗い荒野にひざまずき、主を仰ぎ見ました。そして『ああ、私は主にお会いできた、私は戒めを守り頑張ったんだ。福千年に主の前に来る事が出来たんだ。』と、主を仰ぎ見て、心と体が喜びで満たされました。

気が付くと、横になっていないのに、起き上がろうとする状態で気が付きました。夢を見たのだろうと思いましたが、モルモン書を読んでいて、横になった記憶が在りませんでした。眠った記憶もありませんでした。

 求めていれば、主が教えてくださる事が分りました。私は天が開くという事が分ります。

この教会は、全知全能の神様が管理し、導いて下さっています。私たち一人一人を慈しみ深く愛し、いつも側で見ていて下さっています。神様の娘である事がうれしいです。福音を教えていただいた事、主が私たちを救う為に命を奉げ差し出し、私たちを助けて下さった事に心から感謝しています。どんなことにも耐え忍び、必ず、天の父のもとへ帰り、主の前に恥じることなく立ちたいと思います。

私を見つけ、福音を教えて下さった宣教師に感謝しています。宣教師を送って下さった天の父に感謝しています。いつも側に居てくださる主に感謝しています。いつも答え、導いて下さる聖霊に感謝しています。主が与えれ下さった多くの証に感謝しています。

私の為に祈って下さった防府支部の兄弟姉妹・宣教師に心から感謝しています。 

私を見つけて下さった、スバルスキー長老

お祈りの方法を教えてくださった、小阪長老

ジョイントの姉妹をいつも準備して下さった、カー長老

私に、知恵の言葉を教え、モルモン書を読む機会を与えて下さった、シュミット長老

母の為に祈って下さった、ディクソン長老

私を慈しみモルモン書の合本を下さった、アンダーソン長老

私に模範を示し、福音を教えてくれた、リアル長老

私を見守って下さった、木島長老

バプテスマを施し、エンダウメントの時も一緒だった、ダウンズ長老

私を祝福して、姉弟のようにいつも傍に居て証を分かち合って下さった、ソレンセン長老

ゾーンリーダーとしてレッスンして下さった、秋山長老

ゾーンリーダーとして、面接し祈って下さった、ライト長老

彼らは、天のお父様から私に遣わされた、私の十二使徒です。

そして、伝道の最後まで私を覚えて居て下さったガスト長老。

彼らを心から愛しています、心から感謝しています。

すべてを愛する御子イエス・キリストの聖なる御名により証します。アーメン。