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貴重なメッセジ

モンソン大管長のストーリー1

幼子の信仰からの抜粋

 

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(編集のメーモ: 32年前にこのストーリを初めて聞いた時の気持ちをまだ覚えています。)
 

十二使徒評議員会会員トーマス・S・モンソン,聖徒の道19762月号,45

私はあなた位の少年であった頃,私にも日曜学校の教師がいた。彼女はよく聖書から,世の救い主,贖い主であるイエスの話を読んでくれた。ある日彼女は,手を按いて祈ってもらおうと小さな子供たちがイエスの前に連れてこられたことについて教えてくれた。イエスの弟子たちは子供を連れてきた人々を叱った。「それを見てイエスは憤り,彼らに言われた,『幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。』」(マルコ10:14 

その教えは,以来ずっと私の胸から離れない。つい数ヶ月前も,私はその意味を再認識し,その力にあずかった。私の教師は主であった。そのときの経験をお話したいと思う。 

ソルトレーク・シティーのはるか遠く,ルイジアナ州シュリブポートから130キロほどの所に,ジャック・メスビン家族が住んでいる。彼らは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員である。つい最近まで愛らしい娘さんがいて,家中を明るくしていた。その名前をクリスタルという。しかし彼女はわずか10歳でこの世の生涯を閉じたのだった。 

クリスタルは家のまわりの広々とした農場を駆けまわるのが好きだった。乗馬が得意で,4Hクラブの成績もすぐれ,その地方や州の博覧会で賞をもらっていた。彼女の将来はまさにバラ色で,毎日は楽しかった。ところがそんなときに,足に異様なはれ物が見つかったのである。ニューオーリンズの専門医は診察の結果,がん腫という診断を下した。足を切断しなければならなかった。 

彼女は手術によって回復し,いつも陽気に,不平を言わず毎日を過ごしていた。しかしそれから,医師たちは,がんが小さな肺に転移しているのを発見した。メスビン家の人たちは,それでもあきらめず,クリスタルが教会幹部から祝福を受けることができるように,ソルトレーク・シティーへの飛行機の旅を計画した。メスビン家は教会幹部にひとりの知り合いもなかったので,クリスタルに全教会幹部の写真を見せて選ばせたのが,偶然にも私であったという。 

クリスタルはソルトレーク・シティーまで来ることができなかった。病状が悪化したせいである。死は近づいていた。しかし彼女の信仰はぐらつかなかった。彼女は両親にこう言った。「ステーキ部大会はまだ?教会幹部はいらっしゃる?きっとモンソン兄弟よ。私が行けないから主はきっとモンソン兄弟を私の所に送って下さるはずよ」と。 

その間にソルトレーク・シティーでは,シュリブポートでの出来事はまるで知らないまま,珍しいことが起きていた。ルイジアナ州シュリブポートでステーキ部大会が行なわれる週に,私はテキサス州のエルパソへ行く責任を受けていた。ところが,エズラ・タフト・ベンソン長老の事務所へ呼び出しがあった。エルパソのステーキ部の分割はすでにほかの兄弟が準備しているので,私にほかのところへ行くようにというのである。もちろん異論はなかった。私はどこでもよかった。ベンソン長老はこう言った。「モンソン兄弟,ルイジアナのシュリブポートステーキ部へ行ってほしいと思うんですが。」私はその責任を引き受けた。やがてその日が来て,私はシュリブポートに行った。

土曜日の午後は集会が幾つもあった。ステーキ部長会との会合、神権指導者たちとの集会、祝福師との面接、ステーキ部の指導者会。ステーキ部長のチャールズ・F・ケーブル兄弟か少々遠慮がちに、がんを病んでいる10歳の少女を祝福する時間かあるだろうかと、罫に尋ねた。少女の名前はクリスタル・メスビンだった。私は、できれば祝福したいと答え、彼女は大会に来るだろうか、それともシュリブポートの病院にいるのだろうかと尋ねた。スケジュールか詰まっているのは重々承知していた。するとケーブルステーキ・部長は消え入るような小声で、クリスタルは家から外に出られないのですと返事した。シュリブポートから実に130キロの場所である

私はその晩と翌朝の集会予定と、帰りの飛行便も調べてみた。時間は全くなかった。するとそのとき、別の方法か頭に浮かんだ。大会の公の祈りでその子のために祈れないものかと。主は必ずわかって下さるはずだ。そいうことにして、私たちは予定の集会をそのまま続けた。 

そのことがメスビン家に伝えられ、了解はしたものの、みんないささか失望した。主は自分たちの祈りを聞いて下さらなかったのか。主はモンソン兄弟をシュリブポートまで遣わして下さったではないか。家族はもう一度祈った。最後の願いを聞いて下さい、大事なクリスタルの願いを聞きとどけて下さいと。 

メスビン家の人たちかひざまずいて祈ったちょうどそのとき、ステーキ部センターの時計は745分を指していた。指導者会は霊的だった。私はメモを区分けして説教壇に立つ用意をしていた。すると、私の霊に語りかける声か聞こえてきた。その言葉は短かく、日頃聞き慣れたこの言葉だった。「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。 止めてはならない。神の国はこのような者の国である。」(マルコ10:14)メモを見る目がかすみ、私の心は祝福を求めているいたいけな少女のことでいっぱいになった。 

私は決断した。集会予定を変更した。集会よりも人の方がもっと大切である。私はジェームズ・セラ監督に,メスビン家に連絡を取ってきて下さいとお願いした。 

メスビン家の人たちが祈り終えて立ち上がったところで,電話のベルが鳴り,翌日曜日,主の日の朝,私たちが断食と祈りの精神をもってクリスタルの病床にかけつけるという知らせが伝えられたのである。 

私はあの早朝の,メスビン家が家庭と呼んでいる彼らの天国への道中を,決して忘れることができない。私はこれまで,聖なる宮居を含めて清い場所にたびたび入ってきた。しかし,主の存在をあのときのメスビン家におけるほど強烈に感じたことは,いまだかつてない。大きなベットにひっそりと横たわったクリスタルは,本当に小さく見えた。部屋は明るく楽しげで,東の窓から寝室いっぱいに射し込んでくる日光は,私たちの心に満ちていた主の愛と同じにまばゆかった。 

家族はクリスタルの枕もとを囲んだ。もう起き上がることもできず,話もできないほどに弱っている幼い子の顔を私は上からのぞき込んだ。病気は進み,すでに彼女は目も見えなかった。私はみたまの強い力を感じて,ひざまずき,彼女のかぼそい手を取って,ただこう言った。「クリスタル,来たよ。」彼女は口を開いてつぶやいた。「モンソン兄弟,いらっしゃるってわかってました。」私は部屋を見わたした。立っている人はいなかった。みんながひざまずいていた。祝福を施すと,クリスタルの顔にかすかな笑みが浮かんだ。彼女の「ありがとう」というささやきを最後にして,私たちはひとりずつ静かに部屋を出た。 

それから4日後の木曜日,シュリブポートの教会員がメスビン家の人々と信仰をひとつにし,クリスタルのためにやさしく愛の深い天父に特別な祈りを捧げる中で,クリスタル・メスビンの清らかな霊は,病にむしばまれた体を離れて神のパラダイスに入った。